生活保護の受給者が過去最高の人数になったと報じられています。
これは生活保護を受けるだけの条件にいながら、それを受け取らないでいる人が過去最高になった事実の表に現われた面です。
引きこもりの人にとっては、働けず収入がない状態であることは引け目に感じることです。そうなった根本的な理由は個人に帰せられるとは言えないのに、“自己責任”とされます。ここに精神的な負担を上乗せするような生活保護とか障害者福祉を受けることを潔しとしない人も少なからずいます。
それだけの条件や権利があるのにそうしない人が多いのは、日本人の特質というか、人間であることの示し方のように思います。この気持ちを悪用して、生活保護の基準を切り下げる動きが明確になりました。
こういう控えめな人たちこそ生きられる条件や環境をつくりたいものです。不器用です。自分ではできないのに他に頼むことを拒否します。露骨にうまく立ち回ることを毛嫌いしています。そういう人たちだからこそ貴重な存在ではないでしょうか。
その環境や条件とは、正直者がバカを見ない社会です。小器用さや自己を強く主張することを生存の前提としないような社会です。
どうすればそのような人が生活できる社会ができるのでしょうか。金持ちではない、節約しながら生きる引きこもりの人たちのサバイバル戦略を作りたいです。……誰からも夢想としてしか聞いてくれないようなことをつい考えてしまいました。
昨年定年で会社という組織を去るまで、そこで生き残るための最も強い手段として小器用(要領)、自己主張(説得力・押し)を追い求め続けてきたのは紛れもない事実。またそれを達成出来なかったのも事実ですが。言い訳を許してもらえるならそうせざるを得なかったと。本来の自分はそうではなかったはず。思い出せば昔は生きるのにもっと不器用でなにより控えめだった。世は高度成長期の真っ只中、サラリーマン人生に突入。今日に至るまで本来の自分を捨て続けた日々だったのかとあらためて思う。それによって得た経済的安定とこころの不安定。本来の自分を失わない。そのままの自分で生きられたら間違いなくこころは今よりずーっと穏やかだったろう。経済成長=豊かで突っ走る政治。正直ものがバカを見る社会は決して豊かな社会ではない。