事情があって別住まいをしている息子がいます。
役所関係からの書類が届くと、どう書けばいいのはわからないので、代筆を依頼されます。親としてはさほど難しいことではないと思えるのですが、書き慣れていないとわけがわからず書類提出をやめてしまうこともあるようです。
しかし、役所関係のものはそれで終わらず、また同じ書類が回ってきます。うっかりすると遅延支払いが発生します。ここから話しは始まりました。
引きこもりの高年齢化とは親の高年齢化でもあります。親のほうは何とかいまのうちに子どもの自立に目鼻をつけた状態になってほしいと願っています。
ところが子どものほうの差し迫る心配はそれとは別のことです。親が亡くなったときどうすればいいのかです。葬式はどうするのか? マニュアルで知っていても自分にそれができるのか、相続の手続きは? そういう心配がもっと前に来ます。仕事とか収入のなくなる心配が消えていないとしても…です。
亡くなっているのにそのまま放置され、葬式を出していないというニュースがあります。ニュースの場合はいろんなケースがあると思いますが、意外と自分ではどうしていいのかわからない、わかってはいたが動けなかった…そういうケースがこれから増えていくように思うのです。
こういう話をしていたらエンディングノートというのがあると教えられました。人生の終末を準備するノートということのようです。
これがあればすべてが解消するわけではありません。葬式であれば、自分が喪主になるケースは少なからずあるわけです。遺産相続などの手続きは役所に出向いていかなくてはなりません。知識はあっても折衝のようなことができない人が大量に現われていると思います。これ自体が一つの社会問題になりつつあるのかもしれません。引きこもり経験者にとっては、社会的自立の前の差し迫る難問のように思います。大人のひきこもりを考える教室での一場面でした。