“傾聴”とは時代を超えたいいコミュニケーションの形でしょう

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大人のひきこもりを考える教室で、“傾聴” というのが話題になりました(13日)。
「子どもから聞こうとしても、もともとそういろんなことを話してはくれない。そういうばあいの傾聴はどうなるのか」ということでした。
聞けば以前に疑問の形で「自分はなぜこんなひきこもりのようになったのか、なぜあんな施設に入れたのか」問われたことがありました。そのときは母親の気持ちとして何とかしたかったということで、子どもの言葉をさえぎってしまった。あれ以来とくに子どもは大事なことを話さなくなった。すごく反省している。それから親として勉強してきた。“傾聴”ということばを知った…。そういう背景があるのです。
出席した人からは日常生活での会話がないなかで、大事な話しだけが突然できるわけはないから日ごろからの話をよく聴くようにすることなどが話されました。
本格的に勉強したことのない私は、経験からこの話しに参加するしかありません。
子ども(相手)が話している途中で結論じみたことをいわないことです。話の途中にある事情を割り込んでしないことです。
聞く側の親にとってはこのタイミングで言わないとわかりづらくなる、後になると忘れてしまう…という気持ちからことばを挟むのです。しかし、これは親の“防衛”が優先した話し方です。それが“傾聴”をさえぎるのではないかと思います。
中間のちょっとしたことの結論などは聴く側としては忘れてもいいのです。こういうタイミングのときは子どもに終わりまで話してもらいましょう。いったん終わったと思っても、「話してもいいかな」といいながら、相手が話し終えたことを確認してから、答えるようにすることです。
というより、親の答えをする前に子どもが言いたいことをさらに引き出していきたいものです。例えば「あそこがわかりづらかったけれども、こういうこと?」と聞いてみることです。
結論的なことは子どもが言うのを待つのです。親が早々と出す結論を子どもが上手く受け入れる保障はありません。子どもが言うことを受入れることです。親としての“ちゃんとした結論”よりも実際的なことが多いからです。その積み重ねです。
こういうことをはじまると、子どもはよく話してくるようになります。会の席で誰かが、「親が子どもの考えていることのカガミになる」と紹介しました。子どもは親に話しながら自分の方向や結論をさぐっていくのです。確かのその過程は親が子どもの考え方を写すもの、カガミになる気がします。
ちょうど『良寛 旅と人生』(松本市壽、角川ソフィア文庫、2009年)というのを読んでいます。そこに良寛さん(江戸時代の後半の人)が“戒語” として書きとめたことばが紹介されていました。
「つつしむべきものは『人のものいひきらぬうちにものいふ・かしましくものいふ・しんせつげにものいふ・にくきこころをもちて人を叱る』など」(228ページ)とあります。
会話、コミュニケーションにとって“傾聴”すなわち相手の言うことをよく聴いていくのは、時代を超えて大事なことなのでしょう。

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