Amazonの本を紹介ページに加えます

また新しい企画を思いつきました。
サイト制作にかかわる一人が、私の書いた本『ひきこもり 当事者と家族の出口』(Amazonで販売中)を松田武己の紹介ページに載せました。アフィリエイトにあたるものです。
これを見て、不登校情報センターのサイトに載る支援者・援助者のプロフィール(200人余)にも勧められると思いました。これらの方の執筆した本を個人紹介ページや相談室等に載せるのです。これが思いついた企画です。本の宣伝と販売促進になります。
著者個人だけでなく、学校などが編者になるものもあります。それらも視野において「あなたの本をサイトに掲載します」の案内と申込書をつくりました。
関心のある方には企画提案をお送りします。

[[http://www.futoko.info/…/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%B7%…]]

〔7月2日・追記〕5名9点の掲載依頼が届いています。まずは順調です。

7月2日の真夜中はブログの閲覧・投稿ができません

このブログ「引きこもり居場所だより」など「futoko.info」ドメインのブログのサーバーのメンテナンス予定の連絡がありました。

◎作業日程:2015年7月2日(木) 午前2時00分 – 午前6時00分
終了時間は、作業の進行状況により前後する場合があります。予めご了承ください。
◎影響範囲:さくらのブログの全サービス
メンテナンス中は、記事の投稿、閲覧及び更新など、全てのサービスが停止いたします。
◎作業内容:システムのメンテナンス作業
◎補足事項:「さくらのレンタルサーバ」「さくらのマネージドサーバ」における「さくらのブログ」以外のサービス(メール、ウェブ閲覧等)には影響ございません。

ブログの「高齢ひきこもり」「夜の明かり」「狂詩曲」「身近にある名所と史跡」「ひきコミWEB版」「イベント情報」が対象です。

皇居マラソン、参加者が少なく最後のお願いです

[6月26日。追記]明日27日の皇居マラソンは雨天のために延期します。秋に企画しなおします。

6月27日(土)の皇居マラソンが3日後になりました。日付を変更したこともあり、いまいち宣伝が行き届いていないようです。
しかし、なんとか実施にこぎつけようと最後の訴えです。何か選挙の最終盤みたいです。

◆27日午前10時集合◆雨天中止
◆集合及び解散場所・(桜田門皇居前広場)
[東京メトロ有楽町線・桜田門駅3番出口徒歩1分]
◆参加費一人500円
◆対象参加者・老若男女誰でもOK!
○特に誰かとお話したい方、○誰かに話を聞いてもらいたい方、
○悩みを抱えている方、誰でも大歓迎です!。
◆当日の主な流れ(あくまで目安です)
○10時集合
○10時30分スタート
○13時マラソン終了~お昼休憩
○14時お話会(普段かかえている悩みなどを皆さんと共有しましょう!)
○16時30分解散
◆完走した方には、メダルと賞状をプレゼントします。
◆どちらかだけの参加でも 構いません。

主催は中央大学人間活動研究会。NPO法人不登校情報センター・訪問サポート部門トカネットは共催になります。
いまからでも参加したいという方は連絡をお願いします。6月26日(金)まで。
お名前(フルネーム)、アドレス、電話番号をトカネット代表・藤原宏美に。
tokanet1998-lucky-chance@docomo.ne.jp
電話09049536033(藤原)
よろしくお願いいたします。

9月の進路相談会に「学校案内書の配布・相談コーナー」

「未来マップ 中高受験相談会」の事務局担当の小井出ゆう子さんが来られました(23日)。9月6日、北千住の丸井を会場にする進路相談会の打ち合わせです。トカネットの藤原さんを加えた3人で話し合いです。
事務局のほうで準備はだいぶん進めています。第4回になりますが、企画内容には模索する面があります。私というか、不登校情報センターは、どういう関わりで参加すべきか先日来考えてきました。
進行状況を聞いた後、私から「学校案内書展示コーナーをつくる」という提案をしました。小井出さんもこの提案に賛同してくれました。このコーナーの内容はこの進路相談会のこれからの性格づくりにも関係すると思います。
展示の場ですが、一般参加者が案内書を持ち帰る、だから学校の説明もいります。そのあたりを考えての私の提案でした。
打ち合わせではここに「相談」を入れました。中退再入学、学校に行っていない、学費が心配、成績不振、進路変更、特技を活かす…という項目が出てきました。スクールライフのための相談コーナーのようです。コーナー名を「学校案内書の展示・配布・相談コーナー」にまとめるつもりです。
終了し小井出さんの帰り際になって、『翼を抱く子どもたちへ』を作成した不登校の親子応援ガイドブックをまとめた親の会グループにも協力を依頼する案が立ち話のなかで出ました。これも名案(!)ですが、話しが中途になったのでコーナーの内容として親の会に呼びかけるのがよさそうです。

「転入編入情報」ページ群として情報集め

高校と同等教育にあたる教育機関の転入・編入学の情報を集めて紹介します。
3年前に一度試みたことがあるのですが、6校しか集められませんでした。今回はたぶん広がるでしょう。その理由は3年間のサイト制作の蓄積によります。
(1)「通信制高校と連携校」などの形で、校種を統合し、この企画の連絡がかなり行き届くと予想できること。
(2)サイトへのアクセス件数のレベルが高くなっていること。
(3)「転入編入情報」ページをWikiシステムでつくり、探しやすい工夫を考えていること。
全部が学校側の反応を引き出すものではありませんが、このページの注目度は高まるものと期待しています。
これは先日の「不登校に積極的に取り組む全日制高校への提案」に次ぐ、第2弾の生徒募集面からの提案です。
この後も第3弾の企画提案を準備中です。生徒募集という需要に応えなくてはならない、それは生徒側の学校探しの対向面です。
[http://www.futoko.info/…/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%…]

〔6月24日・追記〕かなりの学校から情報提供がありました。未掲載分を含むと30校ぐらいになりますし、さらに増えるでしょう。

対価を払わないのはそんなに不都合なマイナスか

Facebookのタイムラインに「プロにタダで教えてくれという平然と言ってしまう人たち」のコメントに関する第3回目です。おおよそ相談業務のような個人サービス業の世界の事情と考えてください。
この記事(?)を紹介された甲斐由美子さんのコメントは、私がうまく語れなかった部分を説明するのに有効です。
甲斐さんご自身も対価を求めない取り組みがあったとコメントで返されました。「それはずっと長年やってきましたよ。ただしお子さんです。22歳くらいまでですね」。こういう経験を踏まえての対価のある取り組みの重要性を主張されていると理解します。
その経験を踏まえて甲斐さんが対価ない取り組みに懸念をもつ理由は、コメントに書かれている範囲では2か所です。
(1)「人を助けるためには、無料ですることがいいとばかりは言えないことを私は知っています。ましてや見も知らない人をネットで人を助けるなどできません。中途半端な答えなど害にさえなります。仕事として対価を頂きやっていることです。」
(2)「不登校の親御さんたちの無料カウンセリングもさせていただいていた時期もあります。しかし、向き合う姿勢の違いが確実にあることを感じています。それは決していいことではないと私は感じます。」

(1)の「見も知らない人をネットで人を助けるなどできません」は、私の経験は乏しいので何とも言えません。前に引きこもり経験のある人が参加した会で話しました。自分が引きこもり生活から抜け出したのはメールで相談を重ねたおかげだと言いました。この人のように有効な人もいます。甲斐さんの意見はご自分の体験の範囲のことと理解します。
次に「中途半端な答えなど害にさえなります」はその通りだと思いますが、対価をもらわないと中途半端な答えになる、と続くのでしょうか? 無関係ではないかと思います。対価をもらっても、対価をもらわなくても、いい仕事はできるし、逆に対価をもらっても、まずい結果を招くこともある。それが実情ではないかと思います。
対価をもらえればいい仕事ができ、対価をもらわなければいい仕事ができない。私のような個人の「対人関係サービス」を職とする者には、これはピンとこないです。
高額な資材や装置を必要としていれば、それらの有無により仕事の良否が変わるのかもしれませんが、高額な資材や装置のない相談やカウンセリングでは想像できないことです。むしろ得意分野とか信頼関係の到達状況が関係するように思います。私の個人的な経験の範囲での感想です。

(2)「向き合う姿勢の違いが確実にある」というのは、相談をしようとする人(以下、相談者とします)の姿勢をさすと思います。一応そうだと了解しますが、「半分は…」としたいです。
私は6月17日に「対価はなくとも収支はプラスなので働きます」のなかでこう書きました。「私には特別の救済精神はありません。救済精神はどちらかといえば淡白です」。この意味は説明しづらかったのですがいい機会です。
自分のことを薄情な人間だとは思いませんが、相談者に対して私は伴走者や助言者のようなものです。主体は私ではなく相談者です。
ある人の言葉尻を取るつもりはありませんが「全身全霊をこめて」しまうと、知らないうちに自分自身の意見を押し付けてしまうと危惧します。いろいろな経験から得た実例をあげて、参考にしてもらうように図ります。それらの考え方、実例、方法を自分のなかに取り入れる、消化する、拒否する…その判断をするのは私ではなく相談者です。相談者が考え、判断できるように余裕をもたせたいと思います。
相談者が、私を下請けのように使うのであればうまくいきません。主体は私ではないのに私が主体として動く状態に置かれるからです。私を指令者のように扱かってもうまくいきません。同じく相談者が主体にならないからです。
引きこもりや不登校の場合は、相談者と主体はさらに複雑で、本当の主体は子どもですし、相談者は親が多く真実の主体とはいえないこともあります。そこは省いて説明しています。
私と相談者が対等であることが必要であり、それがいいのです。この点を意識して「特別の救済精神はありません」と一歩引いた表現にしたのです。救済とか“人を助ける”というのは、私の感覚ではおこがましい言い方です。いつの場合も助けるのは、主体となる当事者自身です。私ができるのは周囲の応援者、伴走者、助言者にとどまります。
しかし、対価をもらうことは、私と相談者をいくぶん対等な関係にする効果はあります。それは認めなくてはなりません。そうであっても相談を受ける側の私のスタンスは対価があろうとなかろうと、相談者との上下関係ではなく対等な関係をつくること向かうのが基本になります。
そこを考えると、無料のカウンセリングを受ける方の姿勢は、「向き合う姿勢の違い」を感じても、その時点での主体性が作用している姿とも思えます。あるいはその人の主体的な関心や判断が未成熟なのかもしれません。信頼関係の到達状況が低いのかもしれません。
そういう状況において対価をもらえばこれらを越えるのでしょうか。その判断は私にはまだできません。しかし、対価を払わないのは相談者の“中途のスタンス”とイコールではないと思えるのです。これも私の個人的な経験の範囲の感想です。

巡回型の空き家対策の可能性を探す

江戸川区役所に総勢3名で行きました。
都市開発部の住宅課と建築指導課の担当者に話を聞かせていただく機会を持ちました。
不登校情報センターが、引きこもり対応の延長として、空き家対策法が施行されたのを機会に、地域の空き家を巡回し可能な管理と家主への連絡を主とする事業をはじめる可能性を調べるためです。
次の事項について質問させていただきました。

(1)江戸川区内の空き家軒数、平井小松川地域における軒数。
(2)アパート・マンションなど集合住宅、空き商店の場合。
(3)住民から寄せられている空き家に関する状況。
(4)空き家の家主から聞いたことのある対応の障害例。
(5)不動産会社、町内会等から寄せられる空き家にかんする情報。
(6)これまでに行政の対応、空き家対策法が施行に伴う行政区としての対応策、特定空き家を防止または指定していく体制
(7)空き家対策法の施行による事業者の参入の様子。
(8)空き家対策として必要なこと。家主が遠方に生活する場合の必要策。

素人ですからわからないことだらけですが、いろんな事情がわかりました。
これらを参考に引きこもり対応セクションや不動産会社などからも話を聞かせもらい、可能性を探っていくつもりです。

“対価を求めるのは当然”と一般化しないでおきたい

甲斐由美子さんがFacebookに「プロにタダで教えてくれという平然と言ってしまう人たち」を紹介されました。私も経験していることに基づいてコメントを書きました。私のコメントは少数意見です。
私の意見について甲斐由美子さんからお返事もいただきましたし、別の方からのコメントが寄せられました。これらのコメントに私の考えを書きます。取り組みのスタンスを表わす機会になるからです。

Sho Yamamotoさんからのコメントは「プロ=仕事=金を貰う」で始まったものが、24時間365日、休日ぐらいは休む、という別テーマに変わってしまいました。別テーマに変わり「休日は休む、24時間365日全力はできない」は同感です。しかし、これらは対価の件とは別のテーマです。
若い方に希望するのは、こういう意見を読んで、わかったつもりで自分の意見にしないでほしいことです。可能ならば、ご自身で実際にやってみて体験による意見にしてください。私はもう少し若いころは休日なしのつもりで、枕元に携帯をおいて寝ました。真夜中にしょっちゅう電話があり、付き合ってきました。引きこもりの人には昼夜逆転生活の人が多く、夜中に不安が高まってしまうからです。
いまは携帯自体を持ちません。体力と日中の行動への支障が出るようになったのです。

Shintarou Kawakamiさんからのコメントはこうあります。
「人を「助ける」という見地からすれば、これは、言い過ぎる点が存在す、人を助けるには、見返りを、求めない。」
わかりづらいですが「言い過ぎる点が存在」というのは、対価を求めるのは当然として、それがないとダメなのかという意味に受け取れます。「人を助けるには、見返りを、求めない」につながります。私の考えにやや近いのかもしれません(読み違いならごめんなさい)。
私と違うのは「人を助けるには、見返りを、求めない」を一般化することです。私は見返りを求めることもあるし、求めないこともあるのです。
私は対価を求めないこともありますが、対価という収入がないと仕事として続けられません。収入は天から降ってきませんし、特別のスポンサーや篤志家はいないのです。
このあたりまで話せばコメントの多数者と大きな違いはないはずです。もっと柔軟であっていいと思うのです。
河之口眞宏さんのコメントはなごませてくれます。紹介してくれた「三浦千賀子さんも青少年に対する無償の援助続けています」も嬉しいです。

山本周五郎『赤ひげ診療譚』は江戸期の医師の物語ですが、“対価を求めるのは当然”とはしていません。実話に聞く無産者診療所もそうでした。医療だけでなく福祉や教育でも“対価を求めるのは当然”と一般化しなくてもいい、一般化したくはないです。
経済的に貧しいことが背景にあって困っている人にはこういうスタンスがないと、金のある人は助けるがそうでなければダメに終わってしまいます。
甲斐由美子さんのコメントにも私なりの思いを述べようと思いますが、長くなったので稿を変えます。

事務グループは代々木高校提携先に情報依頼します

代々木高等学校から、サテライト教室(サポート校などを含む提携先)のリスト139か所分を送っていただきました。
Excelに入力されているのですが、A3版に印刷するにも大きすぎて分割しなくてはなりません。私にはそのやり方がわかりません。できる人にお任せしところ、しばらくしたら2枚に印刷されました。文字が小さいので拡大コピーすると、また枚数が増えました。
先日からこれを担当したMTくんに渡して、次回から該当教室に情報提供の依頼と記録するカードの形になりました。
このところの事務作業グループは、各人がそれぞれ別のことをしています。事務処理とともに学校や相談室などの情報検索がウェイトを増しつつあります。それが一斉に同じことに取り組む事務作業から広がっているのです。
情報検索を進めるについても代々木高等学校のサテライト教室一覧に続いて、他の高校のサポート校リスト等を送っていただくと嬉しいです。不登校情報センターは原則としてその学校・相談室から直接に提供を受けた情報を紹介することにしています。そういうのに役立つからです。

対価はなくても収支はプラスなので働きます

Facebookのタイムラインに「プロにタダで教えてくれという平然と言ってしまう人たち」というのが入ってきました。コメントするみなさんは対価をもらうのが当たり前でしょう、という意見です。
必ずしもそうはなっていない私の場合をコメントに書きました。

青年期以上の引きこもり当事者からの相談やときには訪問では無料はおろか、交通費などの持ち出しで対応することは珍しくありません。
その機会を逃すと、その人は完全に誰かと連絡をしなくなるのではないかと思うと、金のことなんかはいっておれないのです。こういう私は皆さんの水準から言えばかなりおばかさんです。ま、許容してください。

あまりよく伝わらないかと思い、もう一度あらためてコメントしました。
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職業として継続していくには相応の対価をいただくのに異論はありません。私も職業として続けています。ただ最大の顧客である引きこもりの青年は要するに無収入です。払おうにもお金を持っていません。親ともけんか状態のことも珍しくありません。それを確認してやっているのではないので、金はもらわなくてもいい、そういうスタンスです。対価をもらうのを批判的に見る気はありません。論外扱いされるのを承知で、でもこういうタイプもいるので笑ってやってください。

後になって読み返すと、「じゃあなぜ」という理由がありません。居住まいをただすつもりで、そこを書きます。

私には特別の救済精神はありません。救済精神はどちらかといえば淡白です。
そういう人は私に人間を教えてくれます。私には特別の学問知識はありません。生きる死ぬがさし迫っている人は掛け値なしの人間の状態を示します。
本人は教えるつもりなど全然ないのに人間の深いところを表してくれます。私はそれにひかれます。ある種の依存症みたいなもので、対価のない不満足感よりも感謝があります。
実はその日もそうでした。交通費800円、総時間5時間かけて対価はなく会いに行きました。これだけの授業料で得たものを考えると特別の学問知識のない私には収支は十分プラスです。これがお金をもらわなくても働く理由です。