間が空きましたが、「全国若者・ひきこもり協同実践交流会」の実行委員会(11月23日)の続きです。
分科会の準備状況の報告がありました。その分科会の一つ「不登校・フリースクールをめぐる行政と民間の連携」について、古庄健さんが報告しました。
国会で教育機会確保法が成立しました。この交流会に関わる団体・グループのなかには推進派、慎重審議派、断固粉砕派が相混じり、これまでも激論をしてきた法案です。
その状況における方向付けがされたと思います。古庄健さんは各地域においてフリースクール、親の会が地域協議会に参加し、教育機会確保法を地域・現場においてよいものする方向を話せる場にしたいと発言しました。
私はおそらく慎重審議派と断固粉砕派の間にいる者ですが、古庄健さんの提起には賛同します。立派な法律であっても末端地域で国民が動かなければ、形骸化します。不十分であっても地域でそれを超える動きがあれば様相を変えていけると思うからです。
時代背景は野党の共同と統一が主張されるときです。この法律で分裂や対立を持ち込んでいいことはありません。古庄健さんが提起するような団体・グループの地域ごとの協力の推進力にしたいものです。
月別アーカイブ: 2016年11月
不登校の親の会で発達障害を語る
27日の不登校・ひきこもりの親の会には、アスペルガー症候群と言われている2人が参加予定と聞きました。いつも何か短いレクチャーをするように言われています。今回はアスペルガー症候群について話すつもりでテキストを準備しました。
アスペルガー症候群の当事者であれば(状態像はいろいろに分かれるにしても)、
具体的で実感のある話がいいと思います。けれども私の経験はすでに多く書きました。経験談はその場の状況に応じて話そうと決めました。
なぜ今の時代にアスペルガー症候群が目立つようになったのか、歴史的社会的な背景に目を向けるのも、当事者にとっては自分理解にとって役立つのではないか、そんな考えが浮かんできます。
それを表わすには前から考えていた進化論と発達障害を結び付けて説明するのがよさそうです。しかしこの考え方というか説明の仕方は、意外なことにこれまで他で見たことがありません。自分なりにはごくオーソドックスな論理なのですが、ちょっと不思議です。
そこで「私論」か「試論」を付けるのがいいのですが、両方を付けるのはもったいぶっている感じがして「試論」を採用しました。
会のなかでは自分が実感したいくつかの場面の話をしました。出席の青年からの話を聞きながら、記憶が薄くなっていた経験も思い出しました。「そうだ! あれが気になっていたんだ」というものもあります。
アスペルガー症候群で「あいまいな表現が苦手・伝わらない」というのがあります。私の方から言えば、「なぜそんな言い方で伝わるのか、もっとはっきりしてほしい」と、思い続けていた子ども時代や青年時代のことを思い出しました。思うにそれで伝わったのはことば以外の周りの人の様子や雰囲気があったのです。そこを感知するのが苦手だったのか、と改めて確信します。しかし、ことばのレベルで伝えるのが正当という思いはいまもあります。
その「発達障害についての試論」は、時間の制約と長さの制限で何か書き残している感じがあります。近く訂正しようと思います。
発達障害についての試論――不登校・ひきこもり親の会でのテキスト
人は動物の1種であり、現存する動物はすべて進化の途上にあります。人も同じです。進化の途上にあるといっても、時々刻々の変化は見えません。見えるのは子どもが成長する、成人が老化する、負傷が治っていく様子です。これらの変化は生物の進化よりもはるかに速いから見えやすいのです。それらに比べると進化は目立ちませんが、ゆっくりと確実に進んでいます。
ガラパゴスのイグアナの進化は数十年単位で観察され、記録されています(海イグアナと陸イグアナ、混合イグアナ:省略)。
日本人の身長・体型なども、胴長短足からこの数十年に相当スマートになっています。生活する町や商品は昔と比べるとかなりセンスがよくなっています。これらは文化水準に依存しますが、それでも進化を反映しています。
進化はその生物が生息する環境に大きく左右されます。人の場合はその環境に占める社会的・文化的条件が他の動物以上に重要に大きく作用します。
進化は、動物として環境適用に向かって一直線に進むのではありません。いわば手探りでジグザクの経路を通りながら進みます。言い換えるとあるときは不十分で中途半端であり、別のときは行きすぎて調整を必要とします。それらの総体が進化であり、他方では個人差(個体差)が生まれます。
人は大きな歴史的な流れの中で、工業的な生産社会から情報社会に移行する過程にあります。全体として時代に適合する進化に向かいますが地域差、世代差、個人差もともないます。
発達障害といわれるものは、このまだら模様の進化の過程で表われます。いつの時代でもこのような個体差はありましたが、情報社会に移行する時代では身体科学も進歩しており、また個人が尊重される社会環境になっているので、この過程は詳しく観察されます。本人も周囲もいろいろな程度で意識できます。
どの部分がどう変化するのか、変化の様態や速度は一人ひとり違うのですが、ある程度共通する種類に分類されました。一つはアスペルガー症候群(障害)といい、別のものを学習障害といい、さらに注意欠陥・多動性障害といいます。アスペルガー症候群は数年前に自閉症スペクトラムという分け方に収められました。その他たとえば吃音(どもり)やトゥレット症候群も発達障害の1つとして認められています。
ここから発達障害を私自身の経験から話を挟みます。
私が発達障害の1つ、アスペルガー症候群の程度の低いもの(いまではそれは自閉症スペクトラムに入ります)と自覚したのは、10年前のことです。
*アスペルガー症候群と表現するのは私の場合は強すぎる(?)ので、アスペルガー気質としますが、いずれにしても自閉症スペクトラムには入ります。
10年前に臨床心理士のKさんが、アスペルガー症候群の話をしていました。聞いている私はそれが自分の子ども時代の経験に共通していると知りました。子どものなかにいて「超然としている」というのが、なぜか印象的でした。
子ども時代の私は、アスペルガー気質を日常的に表わしていたと思います。小学2年生のとき「変わっている」とか変人と言われていた記憶があります。しかしまた人間関係ではその状態を自分なりに感じて対応していた面もあります。中学生のとき同級生から「タケミくんは公平だ」と言われて気づいたことです。情緒的な好き嫌いがよく理解できなかったのでしょう。嬉しい・悲しいという感じ方も薄かったと思います。そういう感情的情緒的な基準による人との関係ができないので、意識して「公平に」を基準にしたと思います。学級内で弱いとか強いとかよくつかめず、誰にたいしても「公平に」しよう…と。
以下いろいろなエピソードがありますが、省略(または口頭発言)します。
ひきこもりになる人の中心は感覚の鋭さと感受性の並外れた強さが関係しています。そのために対人関係、社会関係に不都合が出ます。大雑把な言い方ですが、ひきこもりはこの置かれた状態における自己存在策、自己防衛策です。
感覚の鋭さと感受性の並外れた強さが、このようにな表現になるのは今日の日本人、特に青少年の置かれた社会的状態によります。このような社会的・文化的環境における対応・反応の1つがひきこもり状態です。
これも進化を模索する過程の一つです。ひきこもりは極端ですが、これほどではないにしても多くの日本人はいろいろな出来事に繊細に反応しています。その成果がセンスのある高度な生活環境の実現です。
日本社会の状態にこれとは別の反応もあります。発達障害的な反応、特にアスペルガー気質の反応がその1つになります。巷にあふれる感情の交錯やいろいろな出来事を感情処断によりやり過ごしていきます。これもまた置かれた状態に対応する過程です。(個人的な実感ではアスペルガー気質は周囲の状況に鈍感か過敏の両極に振れやすい、というのが真相と理解します)。
ここでは社会状態への反応という面から進化を考えましたが、進化を促す理由や進化を表わす姿はそれだけではないようです。
身体面では、重労働不適の人の増大、身長が伸びる、手先が細かい作業に向いている、美男美女が多くなっている…関係ないと思えるものもあるでしょうが必ずしもそうとも言いきれません。
人は社会的に生きるだけではなく、自然的にも生きます。性科学の山本直英先生は説明できない身体表現には生存のための戦略、子孫維持に関係するものがあるといいます。そういう点から見るとなるほどと思えるものはあります。
12月15日「ひきこもり周辺ニュース」通信員の説明会
「ひきこもり周辺ニュース」に収める新聞記事をどう分類するのか。ようやく記事700件以上を約40に分類しました。1記事が複数にまたがるなど分類に複雑な面もあるし、未分類のままもあります。社会の複雑さを反映するので精密性においては多少の無理やり感はあります。なので改善の余地はあり、検討は続きます。
作業を進めるため、メンバーを募集するため、「ひきこもりニュース通信員」のガイドを作成しました。募集は週1回以上不登校情報センターに来れそうな人3、4名です。条件はひきこもりの経験者(本人の意識にお任せ)、男女・年齢を問いません。
「ひきこもり周辺ニュース」の新聞記事といっても意味がわからないかもしれません。12月15日(木)午後1時から2時間程度、1名以上の参加があれば説明会をします。場所はJR総武線平井駅近くの事務所です。…
関心のある人には「ひきこもりニュース通信員」送ります。FAX03-5875-3731、メールopen@futoko.info でガイド「ひきこもりニュース通信員」送れと連絡ください。
ガイドは会報に同封したり、あちこちで配る予定です。
首都圏以外の人にも在宅で作業参加をお願いするつもりです。
〔ひきこもり周辺ニュースの分類と構造〕
http://www.futoko.info/…/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%…
「若者の性」分科会について
11月23日のひきこもり実践者交流会の説明会(実行委員会というよりもその案内の場)では、「若者の性」分科会について参加者から提案がありました。LGBT(性的マイノリティ)視点の他に、性産業で働くとか援助交際などの問題も取り上げてはというものです。
実行委員会を主導する事務局からの回答は、今回初めて「若者の性」分科会を設定した、次の13回以降に引き継いではどうか、というものでした。
それは無理でしょう。東京で開くから可能なテーマであってほかの県では難しいと思います。…
こう提案する人に参加してもらってこの分科会のテーマを広げるか別の分科会を設定するのがいいのではないか。それが「実行委員会に入って企画を提案して分科会を含む内容づくりに参加する」ことではないかと思います。そうでなければ実行委員ではなく、一般参加者の案内者かお手伝いになると思います。
このテーマを中心に取り組んでいるグループがあります。全国どこでもというわけにいかないのはこの取り組むグループの存在に左右されるからです。
一般参加者の案内者やお手伝いのメンバーも必要ですが、それはそれとして募集するのはいいと思います。
〔コラボ=「買われた」苦しみ 伝えたい 売買春経験の少女ら写す写真展〕
http://www.futoko.info/zzmediaw…/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%9C
「相談機関の実践分科会」はロビー企画について
丸山康彦さんが提案した「相談機関の実践(分科会)」はロビー企画になりそうです。分科会は実践の発表者、ファシリテーター、コメンテイターがセットされる体制ですが(メンバー募集中とか)、ロビー企画はそうはなりません。
ロビー企画の条件は特定の団体を宣伝する場ではありませんから、丸山康彦さんは半ば自力で、この体制を整えなくてはなりません。丸山さんだから可能でしょうが、普通はそこまではできず仲間内で体制をつくらざるを得なくなります。そうすると「特定の団体を宣伝する場」になりやすくなります。
こうなる事情はロビー企画全体に通じることではないかと思います。実行委員会に入って企画を提案して分科会を含む内容づくりに参加するという大方針が、言葉倒れになっています。途中から実行委員会に参加しても実際は分科会の設定などできません。運営上やむを得ないところもありそうですが、ならば公式分科会以外(ロビー企画)はもっとやりやすい形でもいいのではないでしょうか。
社会的弱者の問題を交流するベースづくりに前進
ある分野の県単位の取り組をするとき、東京都の場合はとても難しいという話を聞いたことがあります。生協にしても、平和運動にしても、不登校にしてもそうであったと思います。
難しくなる理由は関係する多数のグループ・団体があり、全国的なネットの中心が集まっている…ようなことを聞いたこともあります。地方の県であれば中心的なグループ・団体が動けばおおかたの方向が決まるからなのかもしれません。しかし、本当のところはもっと深い背景があるのでしょう。
そんななかで全国若者・ひきこもり協同実践交流会が都内で全国集会を開くことになりました。第12回という歴史がありますからこの積み重ねの有利な点と、もしかした制約される点もあるかもしれません。
こういうわけで来年3月の本大会に向け準備会を重ねる中心メンバーの苦労をまず評価しないわけにはいきません。日常活動と並行しながらですから…。
「ひきこもり」を中心テーマに、実践者、支援者、研究者、福祉・生活困窮にかかわる行政担当者など教育、福祉、就労などの各分野が同じテーブルに着くベースをつくりつつあります。
KHJというひきこもり家族会があり、不登校関係のフリースクールや親の会の系統があります。サポートステーションに関わるワーカーズコープがあり、当事者中心のフューチャーセッション庵の流れもあります。発達障害のグループなどもかかわり、それぞれ強弱浅深のレベルの違いはありますが、どうやらそれらに共通する土台はできつつあるかもしれません。いわば社会的弱者の問題を交流するプラットフォームです。
ここを前提に、いくつかの不備への批判的な意見や注文を述べようというわけです。また今後の展開についても少し述べようと思います。数回にわけます。
アドバイスよりも話をよく聞くことです
Tnくんから電話です。声が詰まって話しづらいようです。過呼吸かな、と思いました。「いま医者に電話をしたところです。結果はわかっているのですが今回は苦しくて…」といいます。
ひきこもって苦しくなると追い込まれ感が高まり、呼吸が苦しくなる人がいます。Tnくんはこれまでもそういう経験があり、そのつど医師に電話をしてきたのです。しかし、薬を取りに来れるか? 少し薬を増やしてみよう、という対応をされてきました。
薬でしか対応しない医師、薬を増やすことしかしない医師を代えてようやく今は「薬を増やさない医師」に巡り合いました。
Tnくんは「薬の問題ではない」といいます。確かにこうしてゆっくり話を聞いていると呼吸は落ち着きます。薬以外の対応で治まることもあるのです。
Nyくんは、追い込まれた気持ちになると数人に電話をします。私もその数人の1人になっているようです。短時間に相手を代えて話していくうちに徐々に落ち着いていくといいます。
ほかにメールを送ってくる人もいます。話しをするとなると私の時間をとるのでメールに書いて送ってくるのです。メールを受け取ってすぐに読めるタイミングではありませんが、私は必ず読みます。
聞く側にとってはさざ波のような動きでも、当人には土用波のような暴圧かもしれません。話すことで落ち着けば安心です。よく聞いていればこちらも学ぶことは多くあります。求められていないときにアドバイスするのはいい結果にはならないようです。
株式会社ニチネンのカセットコンロ修理依頼の顛末
23日午前10時過ぎ、宅配業者から修理されたカセットコンロが届きました。さっそく使って修理状況を確かめます。大丈夫のようです。
先日・13日の食事会のとき、カセットコンロを使いました。ボンベを取り付けてしばらくすると火が弱くなり、やがて消えます。誰がやっての同じなので、これはカセットコンロが不良と判断しました。買ってまだ日も浅く、そう多くは使ってこなかったので、初めから不具合があったのでしょう。
翌14日メーカーに連絡しました。「お客様相談室」があり、不具合と伝えると料金受取人払いで送るように言われました。21日、メーカーから連絡があり、直したので明日送ると連絡がありました。そして23日に届いたわけです。
ネット時代ではこういう不具合が出るとメーカーも大変だと思います。製造物責任以上に影響は大きいと思います。悪い評判が立てばたちまち売れ行きも落ちるでしょう。そこでいい対応をした場合はいい評判を書いてあげるのがいいと思いました。
クレームを受け付けないのが0点として基準を考えました。すぐにも修理・交換してくれるのを10点とします。不良品を売り出しているという時点でマイナスもあると思いますが、今回はクレームへの対応の評価です。8点はいくでしょう。ともかく修理・交換してくれれば6点。それに送り代を負担してくれたのが評価できます。日数が9日かかったのは遅いと思います。毎日使う人には耐え難い日数と思うからです。
このメーカー、株式会社ニチネンといい、製品はカセットコンロDQ002型です。修理対応は8点としましたがどうでしょうか。
「やることがなく、自主的にゴミ拾いを始めた」
先日の「働きづらさを話す会」に参加した入江くんが、手記を書いてきました。「ボランティアと私」というタイトルがついています。
このなかで、「とにかくやることがなかった。人に気を遣わずに役に立てることを探した。そして、自主的にゴミ拾いを始めた」というところに何か感じることがあります。それで本人の付けたタイトルとは別に、私は「やることがなく、自主的にゴミ拾いを始めた」というサブタイトルを付けました。どうか読んでみてください。
〔ボランティアと私〕
http://www.futoko.info/…/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%…