会報『ひきこもり周辺だより』6月号を発行

会報『ひきこもり周辺だより』6月1日号(第74号)を発行しました。
今月の主な内容は、次の3つ。
① 清水大樹(ひきこもりへの訪問者)「孤立結構、分断おおいに結構」⇒かなり挑戦的内容です。
② 松村淳子(助走の場・雲)「『きょうだい児』について」⇒ヤングケアラーと似たところもありますが、また別の面もあります。
③ 松田武己(不登校情報センター)「ひきこもりの認定について」⇒経過を書きますと…。

6月7日の朝日新聞「私の視点」欄に投書が載る予定です。ひきこもり支援の方法を書きました。掲載に当たりコーナー担当者から電話取材があり、また何度かのやり取りをしました。その過程で誰がひきこもりを認定するのか不在である点を意識しました。以前から気づいていたことですが、ひきこもり支援の方法と「ひきこもりの認定」を結び付けて考えられると確信しました。
いずれ短縮して投書レベルにまとめたいと思いますが、今回はおよそ3000字です。数日したらサイト内のどこかに載せます。

(4-2)イクメン父親は増えています

乳幼児への虐待について追加します。先日の親の会で話しながら気づいたことです。
最近の若い父親の中には従来は見られなかった姿があります。若い父親が赤ちゃんを胸側にかかえて歩く姿は、私の20代・30代の頃には見ることができなかった光景です。イクメンを象徴する姿です。
親の会の場にいた母親からは幼児を保育園に父親が送ってくるとか、迎えに来るというのも以前は珍しかったといいます。それが珍しくはなくなったといいます。私が住む近所に保育園があり、確かに朝夕に父親が子どもを自転車に乗せている姿はよく見ます。
たぶん男性全体の傾向が優しくなっている、女性がより対等に近づいている、それが関係するのでしょう。優しくなったから自分の子どもへの関心が向くというよりは、人を尊重する気風が1時代前よりも向上していると考えます。
そんなことはないという意見もあると思います。いつの時代でも個人差あります。それでも時代の感覚としては着実に進んでいると思えるのです。
これをもって幼児虐待の事情に心配はないとは言うつもりはありません。乳幼児虐待が増えている片方にはこういう事態も見られる点は認めていいと思うのです。

(4)乳幼児への虐待への対応

乳幼児への虐待の広がりも、この20~30年間の社会的様子を表わしています。昔から虐待はありましたが、これほど広がるのは社会が大きな変動期を迎えている1つの証拠と考えます。
私がその重大性とか特色を初めて知ったのは『母乳』(山本高治郎、岩波新書、1983)でした。私が読んだのは2000年を過ぎていました。産後すぐに乳児と離された母との切り離された状態で生まれる「被虐待児症候群」というアメリカの産科医の研究によるものでした。特にこれは母親の知的レベルには関係なく見られる点が印象に残っています。
というのは、不登校情報センターに通所する人の中には乳幼児期に虐待を受けていた人が複数人おり、この指摘を感じずにはおれないからです。
社会的には日本は核家族化が進みました。子育ては単一家族の仕事、とくに母親1人で担当する状態になりました。この時代には“子育て本”が広がり、母親のつながりによる知恵の伝承ではなく、成功例に基づく一般化できる知識が子育ての見本にされ、独り母親がそれを吸収してきたのです。
2022年にカウントされた乳幼児虐待の件数は20万件を超えます。行政の担当は児童相談所がこれに追われ、目が届きにくい状態になっています。家庭児童相談室や保健所の職員がこれを各部分で補充するしくみですが、手が回らないのはむしろ当然です。
虐待を受けた子どものある割合がその後遺症状としてひきこもる。ひきこもりへの対応の一定部分をそう考えています。「被虐待児症候群」は後に愛着障害とされてきたと考えます。虐待を受けた乳幼児への対応が心身に即したものになるのは当然です。しかし、社会的な対応はさらに遅れを取っていませんか。虐待死が起これば児童相談所が責められる事態が続いています。今の体制では手が回らないと指摘されているのに、社会的な対応としては児童相談所が一手に責任を負っています。
母親一人の子育てで苦戦する対応はどうなっているのか。自治体は保健所などで子育て相談に対応しているが事の重大さに対して差し出される手は少なすぎる。子どもが動く1日24時間にどれだけの空白が生まれているのか。その質量はあまり注意が向けられない。それに対しては社会的な対応によるしかない。そこに目を向け、ゆったりとしていながら好意と関心を広く多様に結びつける状態を整えなくてはならない。ひきこもりに関わってたどりついた結論の1つはここです。

(3)いじめに対する社会的対応の変化

不登校情報センターに通所していたひきこもり等の経験者の多くがいじめを受けていました。全員から聞きとったわけではありませんが、おおよそ3人に2人以上と推測します。内容や程度はさまざまで仲間はずしや言葉によるもの、見下げた扱いをされた…ことが多く、暴力的なものは少ないと感じます。
いじめを受ける・受けやすい子どもには虐待を受けた体験がある程度は関係します。またいじめを受けた後遺症状としてひきこもりにつながりやすいこと、この2点は認めてもいいと思います。
いじめのうち深刻なものは自殺につながります。30年前に東京郊外の中学生女子の自殺をきいて、遺族の自宅を訪ねたことがあります。学校では箝口令が敷かれ、なかったこと、早く忘れ去られる対応がされていました。他の生徒の進学に悪影響が及ばないようにすると聞いて驚いたものです。
私は、ここではいじめに対する社会的対応を考えています。この当時に比べると対応は変わりました。2013年にいじめ防止対策推進法ができ、文科省はいじめを広く認めるように勧めています。2021年の小中高校・特別支援学校でのいじめの認知件数は60万件を超えました。「ないこと・なかったこと」にしてきた隠ぺい体制からの変化です。しかし、隠ぺいがなくなったとはいえません。気になるのは、いじめが大きくとり上げられてから子どもの間での「けんか」が消えました。「けんか」はいじめの中に吸収されたのでしょう。
いじめを受けた生徒の自殺につながる怖れがあれば「重大事態」とされ、学識者や弁護士を含む第三者調査委員会が設置されるようになりました。
社会的対応としてみれば、学校側の積極的認知、調査委員会の設置という、いわばハード面に近い制度が整ったわけです。それでも重大ないじめ事件やいじめ自殺は続いており、より生徒側に近いところでのソフト面の対応が求められます。いじめを受けた後遺症状への対応も必要です。
私は編集者の時期に『「いじめ」の発見・防止・克服のてびき』(あゆみ出版『子どもと教育』1985年12月臨時増刊号)という本の編集担当をしました。学校現場の教師陣が具体的に示したものですが、改めて読み返してみると、それがソフト面での社会的対応の内容だと理解できます。もちろん最近版は求められますが……その中心には機械や制度ではなく人間になるのは間違いないでしょう。この対応内容はひきこもりの対応にもつながるのです。
いじめへの基本的な対応とは、教育全体の内容を問い、社会全体の改革につながることです。子ども世界のいじめは、教育や社会の全容が分かりやすく極端に現れるのです。

(2)不同意を社会的病理と表わす

 ゆたかな時代とは何でしょうか。1960年代を通して日本は高度経済成長の時代を経て、1970年代に入って日本は高度な経済社会になりました。若林先生が言ったゆたかな時代の到来です。
その1970年代以降に生まれた子どもたちの多くが思春期を迎えたのが1980年代のはじめです。その子どもたちが学校や教師や、もっといえば学校教育の姿に意義申し立てをする方法が登校拒否、不登校であったといえるのです。
こういう事態に対して、校内暴力や非行を鎮静化した学校・教師ひいては文部省(当時はまだ文科省=文部科学省ではなかった)は、登校拒否・不登校に対しても鎮静化を図る対応をしたと思います。
「登校拒否・不登校のゼロ」を目標にしたところが多いのが、それを象徴しています。驚くべきことですが、今でもこれを目標にしている教師や学校や、ときに地域の教育委員会があります。
文部省は比較的早い時期(1990年代のはじめに「登校拒否はだれにでも起こりうる」というスタンスを示しましたが、その意図は十分に理解されたとはいい難い。あるいはその意味するところを文部省の人たちもまだ十分には理解していなかったのかもしれません。
1つ変化したと思うのは、非行・校内暴力は生徒の「問題行動」と考えられたのに対して、登校拒否・不登校は「社会的病理」と考えられたことです。この違いも学校現場においてはあまり深く意識されていなかったと思います。あえて言えば、問題行動の新しい形と考えられたのではないでしょうか。
この違いは社会的な背景の大きな違いが、思春期以降の子どもたちの不同意のときに表現方法の違いに表われたと考えるのです。