70年代生まれの子育て中のママさん(仮名いろは)からメールをもらいました。
ご自分の子育て環境状態を書いてもらっていますが、あわせて4世代(曾祖母→祖母→母→私)・約100年の子育て環境の変化も書いてくれました。現在の子育てママの環境条件をこれらの対比からも鮮明にしてくれます。(松田武己)
〔曾祖母〕 明治産まれ。戦前、戦中、戦後の子育てです。都市域から離れた地域で農業の生活。一族のつながりのある暮らし。10人程の子どもを産み、上の子どもほど労働力だったようです。
祖母の子ども時代は蕎麦作りや馬のお世話など家の手伝いをしながら年の近いきょうだいや村の仲間と豊かな自然で遊んでいたようです。
〔祖母〕 昭和元年産まれ。戦後の子育てです。仕事のある都市近郊に移ります。子どもは二人です。祖母のきょうだいのうち何人かは比較的近い地域に散在していました。デリケートな祖母はきょうだいと会い話す事が心の拠り所だったようです。祖母の夫である祖父は幼少時代、母元から離れ養子として暮らした不遇な時期がありました。
〔母〕 昭和20年代産まれ。比較的近い地域の農業一族の村で育ちました。きょうだいは二人です。母の父親は母が産まれてすぐ亡くなったため女手一つで育ちました。亡くなった父の一族の繋がりのある土地柄で育ち、親戚には恵まれていたようです。私を含め、二人の子どもを産みました。
私の子ども時代、二人の祖母宅でいとこ達とよく遊びました。まだ、ゲーム機はなく、自然に外遊びすることが多かったです。外は子ども達の声が響く遊び場でした。私は道路で自由に遊び、友達とブロックの壁を登り降りしながら追いかけっこをしたり、農地で蓮花摘みをしました。流れが早く広い川へ行き、水際で石を投げてたり薄暗い森にも入りました。今、思うと危険な場所、誰かの私有地、公共の場ですが、外遊びは当たり前で、注意を受けた事がないです。
〔私〕1970年代生まれの団塊ジュニアで、今も子育て中です。
子どもがまだ小さい頃、住まいの地区には子どもがいて毎日暗くなるまで遊んでいました。地区の子ども達は順に中学に上がったことで子どもがいなくなり、この数年はコロナや夏の猛暑をきっかけにしてさらに外遊びする子どもが激減しました。
子どもは外遊びしない・出来ないです。自由に遊んでよかった外の世界は、誰かの私有地に変わっていました。「危ないよ」「そこは入らない」、他のお母さん達が注意する事をさせられず、外の世界で自由を満喫した子ども時代を過ごした私にとって注意して回る事の多さに心が痛みました。
女性は自己実現のためだけに働くのではないと思いました。核家族で地域との繋がりが希薄であれば、働きに出るしかないようです。得られるのは様々な安心です。自分の安定、子どもは保育の先生に預けられ、習い事も用意でき単独育児ではならない安心。住宅費、レジャー費、老後の資金の安心。働いてレジャーを買い家族で楽しむ、こういうレールしかないです。逆にこうでないと親子ともに孤独に陥ってしまうように感じます。
子育ては自分自身が安定していること、働けること、経済力、安定した親、親類、親がいなければ誰かが助けてくれるような人柄がないとできない難行になっていると思います。母子にこれらがないと敵地に立っているような感覚になります。昭和の寛容な外の世界も、子どもにお節介する人もいない。親が人間関係が苦手でも、昔は子ども一人で出掛ける世界がありました。今はなく、親の持つもので子どもの人生が決まってしまうこわさがあります。
今は一人で生活を回していく自活力を求められるので、どうしても母子ともに評価に出会ってしまいます。母、子ともに性質や行いに対して、いい悪いを無視したところで大事にされる準備期間がなくなってしまいました。大事にされるとは、未熟な部分こそ大事にされ、想いを感じ取られ、共有し、評価されずに、認められる、守られる体験だと思います。こういったものが得られにくくなりました。
私は話を聞いてくれるある場で、毎回涙しか出ず泣き続けました。どれほどに孤独で、それでも踏ん張っているか、踏ん張った分の涙で溢れました。そんな事は誰も知りません。自活しきれていない私の行いは直すところだらけのようでした。
生きていく中の悩み、育児の悩みは自分一人だけで作ったものではないです。ここには上の代から引き継いだ思い残しを貰った自分がいます。正直、落ち込むことだらけです。けれど私は人生、命そのものを悲観していません。先祖達からの命のバトン、熱く優しく温かな血もまた受け継いでいます。私の人生は豊かだった、そう微笑んで次の世代に命を渡したいと願っています。
松田武己より
感想は3つの重要点と、体験を募集
「いろは」さんの家族史には個別の事情もありますが、多くの人に共通することも多いです。
①、寄せられたのは家族の歴史であり、各時期の子育て条件が表れています。以前は農家であり、家族がそろって住み、しかも親族も近くに住んでいます。10人の子どもがいても、何とかなったのは多くの子どもの子育てを手伝う「多くの手」があったのです。
②、大人の世界とは別に子どもだけの世界がありました。異年齢の子ども同士で関わり、また子どもたちは外遊びの機会に恵まれていました。
③、現代の子育ては核家族のなかで基本的には母親1人の子育て(ワンオペ)です。子どもの状態や動きはそのまま同時に母親の「子育て」評価になります。多くの母親にはこれが大きな負担になり、ストレスになります。
▼ 読者の皆さんから、これを1つの参考に簡単な自分の子育て経験を募集します。四世代は書けなくとも親と自分の関係、自分と子どもの関係という二世代・一世代の子育て(育てられ)経験をお寄せください。公表・非公表の別、ペンネーム、ご自分の年代もお忘れなく。