校庭で地域の小学生野球チームが練習をしています。休日の校庭開放の取り組みで私はこの“遊び場”の世話人になっています。練習を見ているうちに、久しぶりにこれに参加させてもらいました。グローブを借り、外野選手向けノックを受ける一員に加わりました。実は中学時代は野球部員でした。
小学生がノックで飛んで来るボールに向かいます。上手く捕れるときと捕り損なう場合があります。中学時代には難なく捕れるボールですが、今の私にはどうでしょうか?
実はうまく捕れません。飛んで来るボールとの“間合い”がうまくつかめない、と書いておきましょう。
さて本題はAI(人工知能)という現在の問題です。友寄英隆さん(経済研究者)が「AIロボットと人間」というテーマで『しんぶん赤旗』に連載をしています。2025年6月19日(第4回連載)のテーマは「未解決『フレーム』問題」です。
AIロボットが人間に近づこうとしても解決できない難問があり、その難問の1つがフレーム問題といいます。友寄さんは「野球で外野フライをキャッチする外野手の動き」でこれをわかりやすく説明しました。具体的な説明は省きますが、4つ挙げています。
①自分の位置と相手の位置の認識(身体と空間のフレーム)、②ボールの動きの予測(時間的フレーム)、③自分の手や関節がどう動くかの制御(身体的フレーム)、④周囲の環境が変化していないかの判断(状況的フレーム)——これらを人間は、子どものころから無意識のうちに解決しながら行動しています。この能力は進化や学習により獲得されたもので…人間の脳は、身体的な経験や状況に応じて柔軟に「フレーム」を変更することが可能——というのです。
AIの開発が進み、それが進化したAGI(Artificial General Intelligence=汎用人工知能レベル)に達したとされますが、またこのフレーム問題を解決するのは未来の話ということです。
さて私の外野フライノックの話に戻ります。残念ながら中学時代のようにはいきません。とくに③身体的フレームの低下が大きいと思いますが、①空間フレームも低下しています。小学生たちはこれが上昇の時期にあり、練習とともに向上しています。野球が上手くなっていくのです。私はその逆パターンです。
AI技術の向上により、文章作成も以前より容易になった——と言われますし、それは本当でしょう。けれど私は自分の経験とそのときの感覚や気持ちを折りまぜて表記するようにしています。個人的なことや主観的なことは事実表現の邪魔になると考える向きもありますが、それが逆です。標準偏差グラフの平均値だけを書くことになるのです。真実性は主観という個人的な経験があるからこそ確実にあった証拠になるのです。主観的ともいえる感覚をもっと重視したいわけです。
月別アーカイブ: 2025年6月
家父長的家族の崩れと新しい家族関係の要件
学校の体育館に多くの親が集まっています。主催者のあいさつが始まりました。「本日は多くの御フケイの皆さんに集まっていただき…云々」。御フケイとは御父兄です。これは前時代の子どもに関する (ときには婚姻に関する)決定権を父または兄が持つという封建的家族の男女差別の名残り(?)です。
御父兄という言葉は私の子ども時代の記憶ですが、特定の日のことでなく何度もありました。成人後にもこうした言葉を聞いています。私だけではないでしょう。
父兄会は戦後PTAに変わりました。アメリカで普及しているPTA(Parent-Teacher Association/親と教員の協議会)を用いたものです。母親(だけのこともある)中心のPTAを「フケイの集まり」と呼び慣らす人はまだいるようです。
第2次大戦後の民主化の動きのなかで家長的家族制度は崩れました。財閥解体、農地解放(地主制度の解体)と婦人参政権の確立などがこの民主化の内容ですが、詳しい説明はおきましょう。脳科学者で世相や社会問題に発言を続ける養老孟司さんが、ざっくばらんに家族の変化をこう語っています。
《大家族の家単位だった私的空間が、憲法上つまりタテマエ上は、個人という実質的最小単位まで小さくなってしまったのが、戦後という時代である。そうなると、実質とタテマエをなんとか工夫してすり合わせるのが日本人だから、どうなったかというなら、「大きい」家族を、「小さい」個人のほうにできるだけ寄せるしか手がない。その折り合い点が「核家族」になったんでしょうが。
「ひとりでに核家族になったんだろ」。たいていの人はそう思っているはずである。冗談じゃない。そんな変化が「ひとりでに」起こるものか。「ひとりでに」というのは、
「俺のせいじゃない」と皆が思っているというだけのことである。だって憲法のせいなんだから。
幼児虐待が起こるたびに、「どうしてまわりが注意しなかったんだ」という意見が出る。それは、「他人の家のなかは、私的空間だ」という伝統的な世間の規則を意識していないからである。だから日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である。》(『無思想の発見』2005年.ちくま新書 P.29―30)
1950年代後半から70年代まで続いた高度経済成長の時代に、家族が分散し三世代家族から核家族化しました。核家族化は家父長制家族崩壊の第二波ともいえる追打ちでした。しかし家父長制家族の気分が絶滅してはいないのは「フケイ会」が一部で通用している現実が示しています。これは分かりやすい家父長制の名残です。しかし名残は生活の奥深くに残っています。
実生活における家庭内の男女差は自然な性差だけではなく、社会的な差にもよるからです。その根底には家事労働と家族内ケアが社会的な生産活動と並ぶ位置に置かれていないためであると私は考えます。核家族の広がりにより家庭内の男女差は是正されてきましたが、そこで止まることはできません。
すでに養老孟司さんが「日本の場合、ある程度大家族でないと、じつは子育ては危険である」といっている通りです。家族の小規模化では得たものと失ったものがあるのです。ひきこもりに関わってわかることは、その深い原因には乳幼児期の虐待またはマルトリートメント(不適切な養育)があります。子どもの虐待とか少子化問題は「家事労働と家族内ケア」の再評価なくしては改善されないでしょう。言い換えますと核家族化に続く家族関係の根底からの変化が求められています。現在はその変化が始まった時期と考えられます。
私は山陰の過疎地である農漁村地域の出身です。そこに住み続けている長尾英明さん(大田市五十猛まちづくりセンターに勤務)が『なつかしの国、石見のいにしえ物語』(2022年11月)を発行しました。その一説にこうあります。
《空家増加の要因はいろいろあると思います。最も大きな要因は少子化に加えて、世帯の核家族化にあります。その結果、若い世代が親と同居しない、生まれ育った家に住まないことがあります。その背景には、親の住居の構造が若い世代の新しい生活スタイルに合いにくいというほかに、嫁が同居を好まないことが背景にあるようです。いわば嫁が姑の目を気にせずに気ままに暮らせることを優先するという若い世代の心情の反映ですが、やがてその若い世代も将来には同じ境遇になることに気付いていないだけです。》(P160-161)
これは養老孟司さんの意見と一部重なります。同時に、大家族(三世代家族など)が消滅に向かう原動力(家父長的親族関係から個人中心の家族関係に移行)が描かれてもいます。新しい世代は新しい家族・家庭を求めました。しかしそれは子育て(及び高齢者介護)の力が弱い状態につながり、少子化の主原因にもなりました。この地域ではそこに人口流出が重なり過疎化しています。
持続可能な新しい家族・家庭、家族形態はどういうものか。それは別項で扱います。
手作り本を国立国会図書館に提供
手作り本納本の問い合わせに対し国立国会図書館より返事がありました。100部以上発行した本は、小売価格の5割と送料を支払う、との回答趣旨です。
制作した手作り本13点のうち4点が該当します。他に部数確認を要する本が数点あります。また手作り本は13点以外にも作っており、100部以上発行したものもあります。納本は基本1部ですが関西館(京都)もあり、2部納本の時は関西館にも保管されます(料金は1部のみ)。全点2部納本します。
該当する手作り本の発行数を調べ、8月中に納本します。それで納本に必要な申請用紙(出版物納入書)を請求します。
100部以下発行の手作り本は、(1)無償提供する、(2)販売見込みを確認し100部以上発行し、有償提供にする。これも8月中に行います。
自費出版されている方の参考になるはずです。
消防車が集まり火災を心配するも大丈夫
6月15日、日曜日、夜8時半ごろ自転車で自宅近くに戻ると、消防車が点滅して止まっています。
入り組んだ路地に入ると、消防車が5台以上並んでいるとわかりました。わが家ではありません。
消防士に聞くと場所は近くの保育園です。10人前後の子どもたちが保育士さんに連れられて街中を歩いているのによく出会う保育園です。消防士間の無線でのやり取りが聞こえてきます。「火の燃えている事実はない。ハッポウの原因を確認している」といいます。
消防士に聞いてみました。「ハッポウって何ですか?」。警報のベルが鳴ったことを指すようです。
自宅に戻って検索してみました。
「消防の発報とは、火災報知設備が火災やその他の異常を検知し、警報を発することです。自動火災報知設備の場合、感知器が熱や煙を感知し、受信機に信号を送ります。受信機は警報を鳴らし、火災の発生を建物内に知らせます」とありました。
9時過ぎには集まった消防車は一斉にいなくなりました。火災はなく無事でよかったです。
郵便振替口座の解約
郵便振替口座(名義は進路就職研究会)の解約を申請しました。
半年ほど前に郵便振替口座の維持(郵送通知月額料金という)に月額500円が掛かる連絡を受けました。
そこでこれからは会費等の入金は普通の銀行口座の利用をお願いしてきました。
郵便振替口座を長らく利用してきた学習塾があり、そこから銀行口座ではなく振替口座に3000円の入金がありました。
払出し料金165円、郵送通知月額料金550円、さらに郵送通知料金110円が差し引かれます。
進路就職研究会は3000円から合計825円を引かれて、受取額は2175円です。
入金が2000円でも、1500円(年間会報の購読料)でも差引額は同様でしょう。
それで郵便振替口座自体を解約しました。
この解約にも連絡料165円が必要でした。
郵便局も大きな変化の時代のなかで存続が大変な時期になっていると考えます。
珍しい事例なのでしょう、郵便局担当職員も何かを調べて手続きに小一時間かかりました。
郵便振替口座は私には1989年7月1日、就職研究会の設立とともに36年の付き合いでした。
私にとっては広義の“終活”の1つと考えられます。
セシオネット親の会は漂流中⁉
5月のセシオネット親の会には「助走の場・雲」スタッフの学生Aくんが参加してくれました。彼は不登校の経験者であり、中学校時代には校内フリースクールがあり、それを見聞きし体験しています。保育士を希望しているそうです。
松村さんは立教大学などの社会人セミナー(?)で継続して勉強を続けています。その同級生(?)も参加してくれました。参加者は6名でした。
私は5月11日の「文学フリマ・東京40」に出展した手作り本13点の作品集を持参しました。
Aくんへの質問や作品集を手にしての話も出ていろんな方面に及びました。この状況は不登校・ひきこもりの親の会の“王道”を行くものとは違います。よく言えば模索状態、普通に言えば漂流中⁉ でしょう。
先月の会報に「みか」さんの投稿があり、それに触発を受けた方の手紙も受け取っています。その全てが関係するわけではありませんが、作品集の作者からの問い合わせの手紙なども増えました。これらを巡りいろんな方向に話が広がりました。
これらが低迷しつつも、何かをつかもうとするセシオネット親の会の可能性が感じられるものになっていると思いました。
〈不登校やひきこもりの経験者に出席を願う〉
6月の親の会はどうなるのか? できれば不登校やひきこもりの経験者に出席していただければ、5月の会以上に活発な意見交流ができるのではないかと思います。会報に紹介した「作品集づくり」の話もできそうです(手作り本13点を持参します)。不登校・ひきこもりの経験者(彼ら・彼女らには40代・50代になっている人が多くいます)も参加する親の会がセシオネット親の会の次の向かう先にできるのではないでしょうか。参加を待っています。
◎ 次のセシオネット親の会は6月21日(土)14:00~16:00 (毎月第3土曜日)、午後2時~4時です(延長になることもありますが、途中退席もできます)。
場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室
JR高田馬場駅から徒歩5分程度
参加等の連絡は、松村淳子さん(090-9802-9328)、松田武己(03-5875-3730、FAX03-5875-3731,open@futoko.info)まで。
参加費は親500円、親以外は自主カンパでお願いします。
小学校の校庭、もっと活用
東京新聞の6月3日読者投稿「発言」欄に次の記事が掲載されました。
《小学校の校庭、もっと活用 校庭開放世話人 松田武己(東京都江戸川区)
地元の自治体では日曜・祝日に小学校の校庭を子ども向けに開放しています。私はその世話役をして3年目。地域の野球やサッカークラブの利用が多く、それ以外は十分に利用されていません。
「校庭開放」がよく知られていないようで、広報不足かもしれません。時折、小さな子どもを連れた親がやってきて、ブランコやすべり台、鉄棒などを使っています。知らない親子同士が出会う場にもなっていて、一緒に遊ばせるいい機会です。親から話を聞くと、家にいるとゲームばかりしているので、外で遊ばせたいということでした。
世話役の有志で、土曜日の校庭開放も自治体に訴えているところです。各地の自治体が子どもの居場所づくりを進めています。校庭こそ、もっと活用していいのではないでしょうか。》
1週間前に読者欄担当者から電話がありました。少し話したところ掲載文は少し書き換えがありました。私は江戸川区で校庭開放がされている点を書きました。掲載時には他の自治体でも勧めてはどうかに重点が置かれ、見出しもそうなっています。記事の大半は同じであり、掲載文にも私は納得しています。
「作品集づくり」を改めて提案 その2
会報『ひきこもり居場所だより』6月号
体験手記、自分史、エッセイ集、詩集、イラスト集……の形で、いま自分がしていること、自分がしてきたことを、1冊の作品集にまとめませんか。製作費は安い(と思います)。文書入力は自分でしてください(有料で文書入力の手伝いもします)。文字のコピーは1枚4円ほどですが、絵、イラストはコンビニのコピーを使いますので10円(カラーコピーだと50円)と割高です。そこで企画を提案するために手作り本13冊の原価を(30冊製作と仮定)一欄にしました。ざっと言えば合計で5000円~1万円で20冊~30冊できます。
不登校情報センターは、あゆみ書店名で日本図書コード管理センターから日本図書コード「ISBN」の枠をもらっています。UNESCOでは49ページ以上を本(book)、48ページ以下を冊子(pamphlet)と定義しています。あゆみ書店で本になるもの(最終1ページの奥付を含む)にはISBNコードを付けます。まだ50点以上の枠がありますので、これを活用して、作品集づくり(手作り本の製作)をよびかけます。
手作り本の作品集を考えてください 4月以降、受け取る手紙やメールが増えています。「近況をお知らせください」な度を重ねてきたのが影響しているかもしれません。さて「文学フリマ・東京40」を終え、今月の会報に掲載したように「作品集づくり」を継続します。主に文章ですがイラスト・マンガも対象になるでしょう。現在の手作り本は13点ですが、年内には20点に迫りたいものです。実現すれば猛スピードの達成です。今から少しずつ準備をしませんか。
主な対象は不登校・ひきこもりの経験者への呼びかけですが、親世代には自分史として振り返っていただきたいと願います。私はその実例として自分のこれまであちこちの書いてきたことを『アスペルガー気質の少年時代』としてまとめました。手紙をいただいた方には私よりも年長の方もおられます。数人のお便りにより不登校はすでにその世代の中に生まれていたことが分かります。不登校やひきこもりの捉え方をもっと広い違い視野から見ることができるのかもしれません。
書き方の種類・ジャンルの例を挙げてみます。制作費は会報を参照。 (1)体験手記:小中学・高校時代から20代、30代、40代…中心時期を絞る。 (2)自分史: (3)日記:エッセイにしてもいいと思います。 (4)手紙:特定の個人でなくてもよい、松田宛の手紙も歓迎します。 (5)相談体験、居場所体験、カウンセリング体験、就労体験 など (6)創作小説、散文詩、短歌、俳句などの文芸系 (7)マンガ:1枚マンガ、4コマ漫画 (8)イラスト、カット絵、 (9)相談受付:自分の経験を手短に紹介したうえで、相談を受け、可能な返事(アドバイスではない!)をする⇒別企画として考えています。