「対個人サービス」の発見!

〔Ⅰ〕
以前に「引きこもりの人に向いている仕事や向いていない仕事がありますか」という質問を受けたことがあります。たぶん似たような質問は数回されました。
そのときは「あるようでいてないかもしれないし、ないようなのにあるかもしれません」的な返事をしました。ほとんど何も答えていないようですが、それなりに的は得ているものと思います。「ない」とキッパリ否定ではなく、少しはありうると肯定面をうかがわせたつもりです。

(1)比較的まとまりのある仕事にパソコンを使うものがあります。しかし、これはある年代以下の人には共通します。パソコンはそれくらい普遍性をもつ道具であり装置です。引きこもり経験者において際立つ仕事なのかというレベルで見ればそうとも言い切れません。21世紀的には誰もが使い、関心をもつ人は多いのです。

(2)創作系の活動への関心はかなり高いと思いますが、それを仕事にする条件やレベルにおいては個人的な支援者を必要としているように思います。その環境条件に恵まれた人は少数です。創作系が仕事に適しているとするには本人以外の条件と一段の工夫が要ります。いま不登校情報センターの役割としてその面をどうするのかを考えています。

(3)苦手なものは臨機応変に判断できることと交渉力を要する営業活動になると思います。(2)の点で不登校情報センターが役割をもつのはここかもしれません。それを営業活動に限定してとらえず、企画・事務またはイベントの機会としています。

〔Ⅱ〕
もちろん人間はさまざまです。引きこもり経験のある人も多様です。上に書いたことがすべての引きこもり経験者に通じるものではありません。

(4)私は前々から何人かの様子をみていて、個人指導的なことが向いているように思っていました。例えばパソコンを教える、数学を教えるなどです。学校の教師のように多数の人を対象とするのではなく、基本的には一人の個人を対象とする仕事です。

「引きこもり後を考える会」が動き始めたあたりから、メイクセラピーとか整体師やマッサージ師、介護サービスという相手が一人を対象とするものをめざす人がはっきり見えてきました。すなわち対個人サービスが案外向いているのではないでしょうか。また女性の場合は居酒屋などでの対人接客サービス業につく人を以前から何人か見ていました。これは男女差と思っていたのですが、その差は思っていたよりも少ないのかもしれません。対人関係が苦手という面から見るとちょっと意外な感じがします。

しかし、またそれなりに納得する面もあります。人間は〔本能として〕他の人間なくして存在できないのです。引きこもり経験者はその相手となる人間とじっくりと付き合える状態が適しているという意味で「対個人サービス」が向いているのに納得できそうなのです。従来から感じていた個人指導的なものがいいというのは、ここにも通用するし、その一翼を構成するのを見る感じがします。

フリースペースはありますか?

ある人から電話連絡をもらいました。1、2か月前にも連絡があった女性です。
「まだ取り組みはしていますか?」というような問合せから始まりました。前に電話をもらったらしいのですが見当がつかず、しかも「取り組み」が何をさしているのかがとらえがたくて要領をえません。
話してるうちに前に連絡をもらったときの内容を思い出したのですがぼやけています。
今回のように「この前」が1、2か月前ならまだ少しは思い出すこともありますが、「この前」というのが1年前だったり、2年前だったりすると、さっぱりわからないこともあります。

彼女がいう「取り組み」とは、フリースペースのことのようです。不登校情報センターの現在の状況ではミーティング型のフリースペースはありません。テーマのある交流会として、ときたま開く創作活動の準備会と、それに「引きこもり後を考える会」が夏から始まりました。そのあたりが近いものでしょう。

日常的に続いているのはむしろワークスペースです。主に不登校情報センターのウェブサイトの制作をしています。その作業のなかでの必要な話はありますが、ミーティング型のものではありません。
いままた「事務しごと」への参加を呼びかけています。それはフリースペースの要素はあるでしょうが、ワークの比重が大きくなるはずです。時間は2、3時間なので、余力があり相手ができれば話せる関係になるかもしれません。ワークスペースもそうなるのですからそれは自然なことです。
パソコンを習う、中学校の勉強をしなおす自習など、自分の出来そうなことをするために不登校情報センターに来るのもいいと思います。
そういえば「絵を描くためにときどき行きます」といっていた人はまだきていません。