先日、そろそろ『ひきコミ』の発行を続けるのは潮時で、中止を考えていると書きました。それについていぶかる声もありましたが、今日は明確にその結論は正しくないという主旨の手紙をもらいました。それを紹介しておきます。
《 「文通の掲載がまったくなく、ひきコミの廃刊も考えている」とのことですが、そのような結論は正しくないと思います。
「ひきコミ」に文通希望の掲載がなくても、ひきこもり当事者が寄稿できる場所として、「ひきコミ」は極めて貴重な場所だと思います。デジタルが普及すればするほど、紙の媒体は貴重さが増していき、重要になるのです。
「ひきコミ」は、単に文通希望者たちの交流の場ではありません。情報センターの活動報告を発信する場所であり、主催者の理念を公表する場所であります。そして、「どんなに文章が破綻していても、基本的には全ての文章が掲載される」という、とても貴重な「ひきこもりの発信基地」でもあります。
デジタル化は世の中の流れですが、時流に従うだけが正解ではありません。当事者の親御さんと交流していれば分かりますが、ひきこもりの親世代は、パソコンも携帯も持っていないことがあります。六十代以上になると、やはり紙の媒体を信頼する人がとても多くなるのです。
パソコンの画面に映っているものと、紙に書いてあるものでは、その「信頼性」が違います。正直な話、パソコンや携帯の画面に映っているものは、どんなに正しいことが書いてあっても、嘘くさく感じられるのです。インターネットの情報の中には、正しくない情報も山のように混ざっています。そのような中では、紙の媒体の信頼性がとても貴重になってくるのです。手間がかかるからこそ、信頼性が増すこともあるのです。
私は、紙でできた「ひきコミ」が読みたくて、センターの会員になりました。デジタル版の「ひきコミ」だったら、私は会員にならなかったと思います。
日本には数え切れないほどのNPOがありますが、これだけデジタルが普及しても、ほとんどの団体は、紙の会報を発行し続けています。デジタルではなく、紙だからこそ伝えられる「温かさ」がそこにあるからです。
文通希望の投稿がなくなっても、「ひきコミ」の価値がなくなった訳ではありません。本音を口にすることが滅多にないひきこもり当事者の、率直な胸の内が聞ける、極めて貴重な場所であることは、代わりがありません。
「ひきコミ」の廃刊を考え直して頂きたく、こうしてお手紙しました。》
どうも私はこのような意見に弱いところがあります。私の感覚に近いからです。
そういう思いでこれまでは『ひきコミ』を発行し続けてきました。それも潮時だ、というつもりで書いたものです。ですが考え直すしかなさそうです。応援をお願いいたします。応援の仕方は投稿と購読が直接的です。