弱いものへの関心は貴重です

不登校情報センターの関わる青年の一人にDSさんがいます。彼は小学生・中学生の9年間の同級生に障害のある生徒がいて、その生徒の面倒を見てきたといいます。その彼はアスペルガー的な気質があります。
彼のいろいろな体験は、実は私の少年時代を考えるのに参考になりました。食べ物の好き嫌い、色弱などは彼と共通性します。これは感覚の特異性により説明できます。
それと並んで、私が気になっているのは“弱いものへの関心”です。これは感覚の特異性では説明できないと思うのですが、アスペルガー気質に関係するものと見ています。DSさんの経験はそれを暗示していると思えるからです。
少年時代から私には強いものよりも弱いものに、メジャーなものよりもマイナーなものに関心が向いていました。たとえば地理や歴史が好きですが、それはヨーロッパよりもアジアやアフリカの地理や歴史に重点がありました。教育の中でも成績のいい高学力よりも低学力に関心が向きました。不登校への関心が向いたのもそれと関係しているはずです。いま現在の私も、日常の“瑣末なもの”への関心が中心になりやすく、優先課題を後回しに、時には生活に支障をきたすことも少なくはありません。アスペルガー気質の子どもや青年に関わっている人はそういう事態を見聞きしたことはありませんか。
私は、青年時代から壮年時代にかけてこのことに気づいていました。当時は人は誰でも苦労をするものという意識の中における理解でした。それがアスペルガー気質というものに結びついているなどとは想像もしていません。われわれ世代(1945年生まれ)の多くが貧しい子ども時代を体験し、そこで身につけた力で何とか通り過ぎてきたと思っていたのです。
いまはアスペルガー気質である、アスペルガースペクトラムのどこかに属することをむしろ大事にしたいと思っています。“弱いもの”、“マイナーなもの”に関心が向いたことは貧しさ体験とともにアスペルガー気質が自分の人生をつくってきたと思えるからです。
そしてアスペルガー気質の子どもたちに自分のいい面を伸ばして欲しいと願います。そのいい面には強いものよりも弱いものに、メジャーなものよりもマイナーなものに関心が向く面も入ります。それはかけがえのないものです。自分からなくして欲しくない貴重なものだからです。

サポート校の先生は30年前の旧知の人

関西にあるあるサポート校からの連絡がありました。不登校情報センターの取り組みに参加したいという申込みです。電話のやりとりでその話が終わったあと、その人が「話がぜんぜん違うのですが、松田さんは以前に◇△出版社にいたのではありませんか?」と問いかけてきました。
私が「そうです」というと、「いま名前が違っていますが、以前に○▽にいた☆ですが、覚えていますか?」。もう30年近く前のことですが私にはすぐにわかりました。
長い月日の間のことを話せる時間はありませんが、その先生には出版社時代に何度か原稿の執筆を依頼したことがあります。年齢は私よりも少し下のはずです。私の出版社時代の関心は、“落ちこぼれ”とか“非行”とか人間教育の原点になるようなことに関心を持っていました。その延長がいまの不登校・登校拒否の問題につづいたのです。
私のこのような関心や教育課題に共感していた教師は多くいました。いやそういう教育課題に関心を持つ教師がいたからこそ私の関心は生まれたのかもしれません。☆先生もそういう教師のひとりでした。闘いを続けている教師はいる、電話を終えた後も心強く思いました。年末のうれしい便りでした。

3度目は臨時クリスマスパーティ

12月24日はクリスマス・イブです。そのつもりではありませんでしたが、夜は偽クリスチャンによる臨時クリスマスパーティになりました。本式のクリスチャンもいるはずですが、退団しておらず、教会には行っていないので“おさぼり”クリスチァンみたいです。
10人あまりが各種の差し入れと買出しの追加食材による食事会をしました。12月に入って3度目の食事会です。たぶんクリスマスというよりも忘年会といえば事実のより近いでしょう。後で計算したら1人あたり180円とか。