発達障害、アスペルガースペクトラムというのは性格の問題ではなく、先天的な脳の機能障害である。このような端的な表現に出会うことがあります。ツイッターという短い文の中では特にそうならざるを得ないでしょうが、よく出会う表現です。
たぶん「性格の問題ではない」ところに重みを置いて書いているので、発達障害、アスペルガースペクトラムへの理解をすすめるつもりで書いているのでしょう。
しかし、待ってください。いま少し事態を考えていただきたいです。
人間はすべて未発達な脳の状態を持って生まれてきます。言い方を変えるならば、人間は先天的な脳の機能障害の状態で生まれてきます。その面を見失ってはいけません。
それがかなり早い時期からある子どもは発達障害と診断され、別の未発達の状態の子どもは発達障害とは診断されないのです。
人間の脳の一応の完成を20歳前後としてみたとき、小さな子どものときから発達障害だ、アスペルガースペクトラムだと診断した結果、何か欠けるものはありませんか。
発達障害であるなしに関わらず、子どもを育てる、脳を育てるという取り組み、環境づくりが必要なのです。発達障害やアスペルガースペクトラムと診断されたら、あとは医療や療育の分野の専門的なところにお任せする姿勢になっていませんか。それは子ども誰にも必要な脳を育てるという取り組みを狭めてしまいます。「人は人の中で育てる」ことの重要性です。
とりわけ家族のなかで、自然な子ども同士のかかわりを心がけるなかで出来ていくものです。保育や教育を専門的なものに閉じ込めないでオープンにしていきたいと思うのです。
4、50年以前にも発達障害やアスペルガースペクトラムの子どもはいたのです。それが今日ほどの問題にならなかった一面は、社会状況、子育ての環境が子育てにとって今日よりは優れていたとも言えるわけです。その頃は子育ての知識が遅れていたということだけではありません。
発達障害、アスペルガースペクトラムの診断とその後の対処の有効性を認めるものですが、狭く偏らないことを願うものです。
日別アーカイブ: 2011年12月27日
支援団体と学校のリスト
12月20日の「相談者リストがなぜそんなにあるのか?」に続くリスト集めの後半部分を書いておきます。
「どうして多くの団体リストがあるのか」。誰かに問われているのではありませんが、紹介する意味もあるでしょう。
最初は出版社の編集者時代、20年以上前のことです。
教育誌で「不登校(登校拒否)」を扱うと、教師とは違う問い合わせがよく入りました。不登校の子どもの母親からです。
原稿を書いた執筆者への問い合わせとともに、雑誌を編集する私たちにも問い合わせがきたのです。
その経験から相談できる先を記録していきました。
一般に当時の教育相談は対応が不十分でした。相談にいって傷つけられたという例が続出していたのです。
相談先探しの初めに不登校親の会を紹介する情報提供用紙をつくりました。
新聞や雑誌などで名前を見てはその用紙を郵送します。返信は1割以下ですが、いろいろな機会に送ります。
同じ用紙をフリースクールや相談活動をしているところに送りました。
集まったデータは雑誌に載せて蓄積していきます。
2、3年後の1992年だと思いますが『登校拒否関係団体全国リスト』というやたら漢字の多い本にまとめ、発行しました。
その頃にはフリースクールは別の用紙を使いました。通信制サポート校が増えていたので情報を得やすくしたのです。
『登校拒否関係団体全国リスト』に似た本もいくつか出るようになっており、まだ知らなかったところの情報を追加していきます。
相談してきた人から親の会を知ることもありました。
1995年に不登校情報センターを設立しました。個人として取り組むよりは、ペンネーム・不登校情報センターとしたようなものです。
相談活動と情報出版物を企画・編集する目的でした。数点の本が実現しました。
不登校情報センターの名前で編集し、発行した本は10冊ぐらいがあります。「不登校情報センター・略歴」
不登校情報センターを設立したあと不登校や中退などの当事者が集まり始めました。
それは定期的な当事者の会になりました。この経過は別のところに書いたので省略します。
当事者の会につづき、訪問活動を始め、親の会ができ、2000年12月に月刊誌『ひきコミ』が市販され(2002年まで)、2004年にウェブサイトで学校や支援団体情報を掲載し始めました。
対象者は不登校・中退者から引きこもり、ニ-ト、発達障害へと広がります。
それにより収集する支援団体の対象も広がります。
学校・スクール系、相談室系、親の会系としていますが、家庭教師、海外留学なども加わります。
さらに適応指導教室、保健所などの公共機関も加わります。
ウェブサイトには原則として情報提供を受けた学校や支援団体を掲載してきましたが、公立夜間高校や適応指導教室などにはその原則が通用せず、所在情報だけでもいいことにしました。
他方では、データが古くなったままの学校や支援団体からその後の情報が途絶え、所在情報だけになっているものもあります。
長い時間の経過とはそういう変化を含むものです。
親の会には活動をしているけれども、外部には知らせる意図はない状態も生まれています。
実際にウェブサイトに掲載されているところは、このような背景の中で、個別の詳細データのあるところ、各自のホームページにリンクしているところ、所在情報だけのところ、などと複雑化しています。
時代背景としてインターネットが普及し、多くの学校・団体がホームページを持つようになっていました。
手元の紙にある団体数は、ウェブサイトに掲載している団体数の10倍以上はあります。
1団体1枚が基準ですが関連資料を含むところもあり、積み上げると3メートル以上になります。
1万以上の団体・学校・機関となるでしょう。
相談者等の個人リストとともに貴重なものです。
その中には既に活動をしていないところ、休会状態のところなども含まれます。
あるときまた活動を再開することもあるようです。親の会であったものが相談室になって現われることもあります。
この紙情報は支援者や支援団体の動きを含んだものになっているのです。
不登校情報センターとして何かを企画してはこのある部分に呼びかけていきます。
回答はだいたいが2-5%程度です。
その集約がウェブサイト上の学校と支援団体の情報ページです。