(2)不同意を社会的病理と表わす

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - (2)不同意を社会的病理と表わす
Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
[`friendfeed` not found]

 ゆたかな時代とは何でしょうか。1960年代を通して日本は高度経済成長の時代を経て、1970年代に入って日本は高度な経済社会になりました。若林先生が言ったゆたかな時代の到来です。
その1970年代以降に生まれた子どもたちの多くが思春期を迎えたのが1980年代のはじめです。その子どもたちが学校や教師や、もっといえば学校教育の姿に意義申し立てをする方法が登校拒否、不登校であったといえるのです。
こういう事態に対して、校内暴力や非行を鎮静化した学校・教師ひいては文部省(当時はまだ文科省=文部科学省ではなかった)は、登校拒否・不登校に対しても鎮静化を図る対応をしたと思います。
「登校拒否・不登校のゼロ」を目標にしたところが多いのが、それを象徴しています。驚くべきことですが、今でもこれを目標にしている教師や学校や、ときに地域の教育委員会があります。
文部省は比較的早い時期(1990年代のはじめに「登校拒否はだれにでも起こりうる」というスタンスを示しましたが、その意図は十分に理解されたとはいい難い。あるいはその意味するところを文部省の人たちもまだ十分には理解していなかったのかもしれません。
1つ変化したと思うのは、非行・校内暴力は生徒の「問題行動」と考えられたのに対して、登校拒否・不登校は「社会的病理」と考えられたことです。この違いも学校現場においてはあまり深く意識されていなかったと思います。あえて言えば、問題行動の新しい形と考えられたのではないでしょうか。
この違いは社会的な背景の大きな違いが、思春期以降の子どもたちの不同意のときに表現方法の違いに表われたと考えるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください