“人は障害者に生まれるのではない、障害者になるのです”

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ツイッターの画面で「発達障害」や「アスペルガー症候群」を検索すると、全体としてその状態を否定的にみているようです。障害を直す対象にし、最近、それを治療する薬が開発され、一種の福音のように報じられています。私はそこに違和感というか、大きな落とし穴を感じてしまいます。

診断名があればその後は専門外の人はあまり介入しない方がいい雰囲気になっています。人間の精神作用は周囲の人間による作用が大きいのでこの理解のしかたは、少なくとも不登校、引きこもりレベルには通用しません。そこで不登校や引きこもりの背景に、あるいはその結果として病理学的な異変があるかどうかを突き止めようとします。それが突き止められれば、専門家のところに任せることで1件落着とします。違和感をもつのはこの部分です。

人は人の中で傷つきますが、人の中で癒されもするものです。この癒されるというのはとりわけ大事です。外科的な手術は精神活動においてはほとんどないでしょう(かつてはロボトミー手術がありましたが)、内科的な服薬方法は有効なときもありますし、人によっては最大の効果をもつことを否定しているのではありません。ある面では神経系の成長を促す薬が発見・発明されることも期待さえしています。
しかし、これらの状態を含めて人の作用、いいかえれば家族関係、友人関係、さらに継続的な人間関係が生まれる保育園、学校、職場あるいは医療機関、養護施設等における人の関係は、そこに職業的に働く人にとって専門外としてほしくはないのです。特に教師にそれを求めたいのです。教育活動は人を育てることです。そこに対人関係をどう組み込むかは教育内容そのものです。
人との関係を育て、成長を図ることが、障害者にならずに進む道にもなるのです。
すべての人は未熟な未完成な赤ちゃんとして生まれ、周囲の人、とりわけ母親の援助なくしては生きることができません。それでも人は障害者に生まれるのではなく、生後の条件の中で障害者になるのです。

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