親子関係から社会関係に

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高年齢引きこもりへの対応(その1)  長期の引きこもり状態の人への働きかけをどうするのかは私たちの重要なテーマです。それに関していろいろな経験や気づいていることがあります。全体の系統性をまとめる前にいくつかの視点を明らかにしておきます。

いつのころからか不登校情報センターの引きこもり親の会には当事者も参加できることにしました。
数年前は親の会の参加者も多く、また多くの当事者も参加する時期がありました。あるとき自分の親も参加すると知った当事者は「自分の親が来るのなら今日はやめておく」と、その場を抜け出しました。
だれかが講演をするとか、体験発表を聞くというときは、親子が同じ会場にいることはよく見られることです。しかし、自分の親がその席で自分のことを語る、子どもが親を目の前にして親のことを語るのはなかなかできない、やりづらいことです(ただし、例外はあります)。それがこのときの「自分の親が来るのなら今日はやめておく」行動です。
親の会は現在も形を変えて続いていますし、そこに引きこもり経験者も参加しています。
親は自分の子どものことを話しますし、参加している当事者の体験に基づく意見を聞きます。当事者も自分の親のことを話すことができます。その場では両者ともに、他の家族の前で自分の家族について話すことはできます。様子は違っていても特に親には自分の子どもを理解しやすくします。
しかし他の人がいる前で、親子が一緒にいて自分の子どもの引きこもり状態や自分の親のことは話せないし、聞きたくはないのです。

これは何を示しているのでしょうか。
自宅で引きこもっている子どもに何かを話そうとするときと、その子どもが目の前にいないときに他の人の前で話そうとするときの気持ちは違います。これをわずかな違いと思う人もいますし大きな違いと思う人もいます。その個人差はありますが、その違いは「社会の存在」をどこかで意識するからです。
親子の間にはまだ社会は存在しません。それに変わって情動が大きな役割を持ちます。他の家の子ども、他の家の親に対しては情動に代わり社会関係・社会性が心理的に作用します。自覚しないかもしれませんがそれは自然に表われるものです。子どもが思春期以前であれば、このような状態にはなりません。それが逆に裏付けになります。社会性とは思春期とともに芽生え成長するからです。
私たちが引きこもり、特に成人した引きこもり状態の人への支援を考えるときに、親子という家族間で話し合える状態になっていること、それに加えて家族以外の第三者が関わる必要があると考えるのは、この点です。第三者と関わることは社会的な関係をつくるからです。引きこもりは家族内の関係では出口が見つからず、訪問者一人という社会と関わるなかで出口を探すのです。
引きこもり生活が長期になり、家族間でも平穏が続いている。それは親にとっても子どもにとってもそれ以前の不穏な状態に比べれば一つの前進です。しかしその低め安定ともいえる生活状態が長くなっているときの次の課題はこの社会との関係づくりです。特に子ども側にとっての社会との関係づくりです。家族関係から社会関係への飛躍がそこにはあります。親は家族の平穏が崩れることを危惧しますが、当事者が躊躇するのは社会との接点ができることの不安と期待です。不安が前面に表われているところから始まります。

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