いじめ自殺? いじめ殺人かも

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大津市における、中学生のいじめ自殺事件が大きく報道されています。
その報道の中に次の視点を持つものがほしいものです。
(1)被害を受けて亡くなった少年の仮の代弁者たろうとするもの。
(2)子どもたちのなかで、いじめ行為が広がらないのに役立つこと。
中学校や教育委員会の隠蔽体質、いじめの方法のひどさ、が報道されています。
私が関心を持つようになったのはこれらの報道によるものですから、その意味は少なからずあると認めないわけにはいきません。報道姿勢に同一の視点を求めるものでもありません。いろいろな面から可能な範囲での報道を願います。

私は以前にいじめ自殺をしたという子どもの親から話しを聞く機会がありました。今回の報道と同じく学校の緘口令による事件の隠蔽体質に親が苦しめられ、憤っていました。私の感情移入はその親の気持ちへのものでした。亡くなった子どもへの思いは後回しになった感じが残ったままです。
亡くなった子どものことは確かにわかりようがなく、その細部を報道することは適切ではないのかもしれません。ですがその部分への関心がないことは中心を避けた関心ではないかと思います。いじめのために亡くなった子どもへの関心は、感情的なものであって当然です。それを優先すべきです。そのうえで理性的、制度的な問題にしていかなくてはならないと思います。

報道によると「いじめ自殺」とされており、いじめがあり、それによる自殺となります。そうするとこれは単純な自殺ではありません。もしかしたら殺人になるかもしれません。殺人に至らしめたいじめということかもしれません。法律的な判断は私にはできませんが想定してしまうのです。
これが少年事件でなければ、いきなり殺人事件として捜査対象になるのではないでしょうか。そういう問題と考えてもいいと思います。こういうと誤解を与えそうですが、少年事件であることを否定する気はありません。殺人事件の可能性がある捜査対象として、担当する公的なセクションが当たるべきであろうと思います。未成年の問題はその後のことと考えたいのです。
加害者の少年にはそのことを自覚してもらわなくてはなりません。いじめとはそういう行為であることをこの事件報道を通して広く知らせる機会になります。ここがいじめ防止と亡くなった少年の無念さの原点になると私は考えるからです。
死に至らなくてもいじめの後遺症により、その後の人生に重大な支障をきたしている人は少なくありません。20年、30年たっても人との接触さえできない人がいます。そういう人たちの無念さには、いじめた側には何の記憶も自覚もないことが挙げられます。目的的な報道の良し悪しは別として、上の視点による報道もあってほしいと願います。

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