いじめ自殺・殺人の追加

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大津のいじめ自殺の関して「いじめ自殺? いじめ殺人かも」を書いたところ、いくつかのツイートが届きました。事件の詳しい事情はわかりませんが、ツイートでは校長と担任教師が名指しされ「懲戒免職にしよう」とか「警察自体が被害届を受理しなかった」事情を教えられました。
必要と思うことは事件の全容を明らかにすることですし、願うところはいじめがなくなることです。懲戒免職云々は事情をよく知らないなかではにわかに賛同できません。

このいじめ事件が多くの国民に訴えていることは、高みの見物を促していることとは思いません。誰かを事件の責任者としてスケープゴートにすることでもないでしょう。そうしたからといって亡くなった生徒は戻ってこないし、いじめが減るとは思えません。
自分の子ども、自分の孫のいる学校でいじめ事件が生まれたとき、学校の教師がそれに真剣に取り組めるのかを考えてみてください。
クラスの生徒数は何人なのか。一般に生徒数が多くなると担任の目が届きにくくなります。20名以下の生徒数でないと教育活動の全体がうまくいかなくなりやすいといわれます。
教師間の協力も必要な体勢の一つです。孤立している担任教師が一人だけ勇気をもって何かをできる可能性は低くなります。担任教師にスーパーマン的な勇気や力量を求めるのは、非現実的です。学校の同僚職員は支えになってくれるのか、地域の人たちは応援してくれるのか、そういう学校になっているのかを見直す機会ではないかと思います。
教師を管理的に締め付けていくと反対の作用をします。担任教師は子どもの方に目を向けるのではなく、管理職や教育委員会の方に目を向けていくからです。学校は子どもが第一です。このような身近な学校の問題に目を向けないのであれば、高みの見物的論評は無責任で、役に立ちません。

この学校の地域性はどうでしょうか。警察自体が被害届を受理しない地域環境で、学校と担任教師がどこまでできるのか。そういうことにも考えを及ぼしてほしいものです。いえ確かにいじめを目撃していたとか、実際は知っていたとかいろいろあるようですが、身近にいる人しかわからないことです。
むしろ勇気ある教師が、何かのことで立ち上がったとき、どれだけの人がそれを応援してくれるのか。
そういう支えが期待できないなかでは、勇気ある教師も動けないかもしれません。警察が受理しないものを学級担任がどれだけ動けるのですか? 
いや事件の起きる前のいじめに対してどうするのかを問題にしているのでしょう。そこでもある程度は同じです。明確なことは学級担任に全てを負わせるのは、いじめ対策としても貧弱ということです。ここは大事なところです。いじめ対策を教師個人の誠実さや勇気に求めているのは無策と同じです。
普通の良識がある教師が、ことを感じたときにスーパーマン的勇気ではなく、常識的に対処できる支援体制をつくるべきではないのか。私の関心はこのような方面に向かいます。

校長や教師や教育委員会や警察署は非難対象ではないと断じているわけではありませんが、ほとんど何も知らないなかでは言うべきことはないのです。
不登校情報センターの一員としては、生徒がこのような状況でいれは「学校を休みなさい」といってあげたいことは確かです。教育委員会がそういうならば、それを補充する体制が求められます。十分ではないかもしれませんが、家庭訪問の体制(子どもが受け入れることが条件です)、学習塾の費用負担などを考えて相当だと思います。学校の立場としてそれがいえないのであれば、安全対策をはかって当然になります。私にはそういうことはできませんが、「学校を休みなさい」とはいえます。心身の重大な危険を負うために学校へ行くことは考えられないことです。これは最低限のことです。

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