家庭内のケア労働をしっかりと認識する時代

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 家庭内のケア労働をしっかりと認識する時代
Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
[`friendfeed` not found]

2月にケア労働、ことに家庭内のケア労働(の社会化)について考えてきました。

それ以降、約2か月の中断をしました。私はその経済的背景を、経済学の基礎・基本から勉強することになりました。2月2日に「家事労働、換金計算されない労働の空白(Lie)」は、昨年9月に載せたものの再録です。長く家族の世話をしてきた〈すず〉さんという人の「私のこれまでやってきたことは、何もなかったのか」という社会的評価のウソに共鳴して考えたことです。(『NABAニュース・レター』に載せられた告発文)。*NABA:摂食障害に取り組むグループです。

人間はあるときに、とんでもない「発見」をすることがあります。それが現実的に考えられるには社会にある程度の条件がないと、その場かぎりで消失してしまうものです。そういうわけで、「そうじゃないだろう。既に何か考えられる状態ができているのではないか」と挑んでみたのです。しかし、それについて書き続けられませんでした。

2か月の空白は、これを補うための勉強期間でした。ある程度のおぼろげな見通しを得たので今回は再開です。まず大筋を話しましょう。あまり先に進んで説明せずに現在のサービス産業の様子をいくつかの面から考えてみました。まずは日本経済史におけるサービス産業(第三次産業)の発展を概略します。

明治になって、近代日本が成立し、産業革命の時代を迎えました。それまでは小規模な家内工業的なものがありましたが、大部分は農業と林業・漁業を含む第一次産業が中心でした。第三次産業の中心は商業でした。明治に始まる工業化により、経済的に発展しましたが、第二次大戦前の1940年でGDPをみると、第一次産業20.9%、第二次産業45.6%、第三次産業33.5%です。

第三次産業の中心は商業です。さすがにこの頃には、金融・保険、新聞・出版、教育、医療などが広がったわけですが、就業人口の第一位は農業で43.7%をしめています。

この産業構造の基本状態は、1950年代初めまでつづきました。そして高度経済成長の時代を迎えました。公式には1955年から1973年の期間が日本の高度経済成長期といわれます。

1955年のGDP構成比をみると、

第一次産業21.0%、第二次産業36.9%、第三次産業42.2%です。

同じGDPの構成を高度経済成長期が終えた1973年でみると、

第一次産業6.1%、第二次産業46.2%、第三次産業47.7%です。
農業中心の第一次産業は衰退し(日本は食料輸入国になりました)、日本が高度な経済社会になったという内容は、サービス産業の中心の産業構造に移行したということです。
1955年の時点で第三次産業が最大になっています。高度経済成長期はむしろ第二次産業の割合が目立つわけで、高度経済成長期はとくに製造業の割合が多くなったといえます。

高度経済成長に次ぐ、安定成長期というのが1974年から1991年のバブル崩壊までつづきます。1990年の産業別GDPは、

第一次産業2.6%、第二次産業41.8%、第三次産業55.6%です。

バブル経済の崩壊は日本の長期停滞社会の始まりでもありますが、他方では「少子化、高齢化社会」の始まりでもありました。もう1つ、経済停滞とかかわって女性の就業率が高まりました。家計の補助で主婦が働き始めるという面だけでなく、男女とも高校進学率が上がり、特に女性は高校進学率でも男女の差がなくなったことも関係します。働く女性が増えたのに、「仕事と家庭」を両立させる社会条件がない事態になりました。それが結婚しない人の増大、少子化の促進を生みました。他方では人口の高齢化のなかで親の介護が以前よりも大きな位置を占め始めました。1990年以降(バブル崩壊)以降の日本社会の人口構成面では、少子化、女性の社会進出、高齢化という状態が広がったのです。

長期停滞社会としては、国内企業の海外進出と国内産業の衰退、失業者の増大、賃金が上がらない…などと並んで上のような別の社会状況が広がったのです。

この時期に、家事労働におけるサービス業の社会化すすみました。子育て環境(保育所の増加)、介護保険制度の創設と介護施設の増加したです。

家事労働の社会化といっても、一度に全部というわけにはいかず、いろいろな事態を生み出しながら広がりました。

1990年代に入ってからふり返ると、第三次産業(サービス産業)という物品の生産(農林漁業や鉱工業)に関わらない産業が広がったのです。1990年のバブル崩壊のころにはサービス産業が全体のGDPの半分以上を占めています。

サービス産業のなかでも変化がありました。家事労働が家庭内から外に、社会に広がりました。子育て(保育)はそれ以前から始まっていましたが、介護が本格的に個別の家庭内から外部に広がっていったのです。

ところが家庭内に残っている家事労働のうち対人的部分(子育て、介護、そして病人や障害者の看護など)は、重要性が高まっているのに、社会的な評価を受けないままになっています。〈すず〉さんの「これって何!」という思いはここに発生したのです。

しかし、これで終わりではありません。2020年に始まるコロナ禍においてはエッセンシャルワーク(人間の生存に不可欠な仕事)として、対人的ケアワークの重要性が一層きわ立ってきたわけです。ケアワークとはサービス産業の一部になります。〈すず〉さんの思いは、空中に霧散するものではなく、社会的に地についた状態を考えられる時代に入ったと思えるのです。以降、2月に書いたつづきを少しずつ続けていきます。

今回の参考文献を挙げておきます。

『日本経済史1600-2000』慶應義塾大学出版会、2009

横浜国大経済学部『ゼロからはじめる経済入門』有斐閣、2019

広井良典『ポスト資本主義』岩波新書、2015

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください