父親がアスペルガー症候群である場合どう対応すればいいのか(続き)

盆休み期間中の「大人の引きこもりを考える教室」にしては参加者が多くちょっと意外でした。二次会もありまして、20代の3人に相談役の田中登志道先生と私の5人で1時間ほど話しました。
この二次会の途中で、私の宿題になっている先日のカサンドラ症候群の問題を持ち出しました。8月8日のブログ「父親がアスペルガー症候群である場合どう対応すればいいのか」です。
直接の回答ではありませんが、参考になる意見を聞くことができました。
それまでは強気一方と思っていた父親が、「実は仕事が大変でつらい」と言ってきたというのです。母親はここで仕事を辞められたら大変という反応だったのですが、そのとき「つらいということをよく話してくれて嬉しい」という趣旨を返したのです。
父親はこれまで自分の仕事のつらさを家族はわかっていると考えていたらしいのですが、この言葉を聞いて仕事のつらさを話したことがないと気付いたのです。
これによって事態は何も変わってはいないのですが、家族が話せる関係が徐々にできたといいます。
ここで田中先生が傾聴というのを簡単に説明してくれました。ある人の発言の基になっている気持ちに思いを寄せて聞く、ということです。ロジャース法の来談者中心カウンセリングというようです。言葉で誰かを責めている、それに反応して責められる誰かを公平に擁護すればいいのではなく、その発言をする人のつらさや苦しさをまずは受けとめよう、それが傾聴に当たるというわけです。
これらの話は「父親がアスペルガー症候群である場合どう対応すればいいのか」という問いに答えているのではありません。もう一歩、もう二歩進んだところでの対応になるでしょうが、参考にはなると思います。

父親がアスペルガー症候群である場合どう対応すればいいのか

カサンドラ症候群というのを聞きました。
ウィキペデイアでは「アスペルガー症候群の夫または妻と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説である」と紹介されます。
私が聞いたのは、父親がアスペルガー症候群で、その子どもがさまざまな被害を蒙っているというものです。カサンドラ症候群と同じかどうかはわかりませんが、似た面はあるでしょう。
子ども側からは父親をどうすればいいのか、ある年齢になったら家から離れるしか方法はないのかと言われました。
<父親があまりにも自分勝手で、顔を洗えば周りを水浸しにし、後始末は家族の誰かがしなくてはならない。父親はその問題点をまるでわかっていないし、わかろうともしない。この例はまだいい方でひどいことはいろいろある。家族はどうすればいいのか>。これが質問の主旨です。
どうすれば父親が家族に迷惑をかけなくなるのかの答えはわかりません。父親に注意しても逆に怒られるか対立関係になるだけでしょう。
私に話せるのはそのヒントになることです。アスペルガー症候群を家族なりに理解することです。アスペルガー症候群といっても個人差があります。この父親の場合はどうなのかは家族がいちばんわかるでしょう。
(1)アスペルガー症候群というのは、ある状態であって良し悪しの判断を先行しないで理解することです。アスペルガー症候群の人は、人の好き嫌いで事柄の正邪を判断することが嫌い・苦手で、公平な判断を心がける人が多いと思います。父親のそういう面はどうでしょうか。
(2)人の感情や場の雰囲気を把握するのが苦手というのもアスペルガー症候群の人の特徴といわれます。私の見解では、感情や場の雰囲気がわかるときとわからないときの両極端になりやすいというのがより正しい理解だと思います。そういう面から父親を見てはどうでしょうか。
(3)自分が関心を寄せること以外には無頓着で不干渉なところもアスペルガー症候群の人の特徴ではないでしょうか。もし父親にそういう面があれば悪いことだけではなく、助かる面もあるのではないですか?
質問者は私のこの話に何か感じることがあるようで「参考になります」という感想をもらいました。人は、特に家族などの近しい関係にある人は、非難されることによって改善するのではなく、評価されてそれを起点に他の面もよくしていくものです。そういう視点を取り入れて日常的な関係をつくるのが家族としての対処法ではないでしょうか。その延長に、家から離れる方法もあると思います。
上の3点は、アスペルガー気質を自覚する私が苦手とすることで、自分なりの対処法を話しました。他にも対処法はいくつかありますが個人差がどこまで通用するのかはわかりません。比較的多数のアスペルガー気質の方に共通しそうな代表的なことを話したのです。

救急車の粋な引きこもり対応策を聞きました

引きこもり生活のなかで、苦しくなると救急車に連絡をしているAくんがいます。何度も繰り返して救急隊員とは顔見知りになっています。
救急隊の仕事の範囲はどういうものかは知りませんが、Aくんから予想外のことを聞きました。救急隊の本来の仕事は、病気の人を医療機関に送る役割だと思います。引きこもり対応をしているわけではありません。
Aくんのところに来る救急隊は、医療機関に行くのではなく、様子を見て、話しかけ、落ち着いたら引き上げるようになりました。ただこのやり方を繰り返すのも策がないと感じたのでしょうか。隊長という人が「他にできることはないかな」的なことをつぶやいていたといいます。
それからどれくらいの期間が過ぎたのでしょうか。あるときAくんの様子を見てきょうは外出できると見えたらしく、Aくんに確かめたうえで外出し、救急車に乗せて周辺の“ドライブ”になりました。
救急隊が訓練する運動場のある訓練施設に連れて行ってもらったこともあります。「人眼がないところなら動けるかもしれない」と考えたようです。事実、そのときAくんはその訓練場でからだを動かすことができました。
救急隊の“この策”は、「他にできることはないかな」と考えた結果の策だと思います。もしかしたら各地の救急隊においてもその地域の状況に応じたそれぞれの策が生まれているのかもしれません。これらは表立って知られることはないのですが、外出困難な引きこもりへの対応策としては貴重な対応策だと思います。
救急隊の別の実例があれば教えてください。保健所の関係とか、生活保護担当者とか、不動産会社(賃貸住宅の管理人)の珍しい実例も紹介したいです。情報を待っています。

家族にとって重大事案の意見をどうまとめるのか

ある家族の話し合いがありました。父と母は60代、その子どもが30代の兄弟2人。
兄は父との折り合いが悪く10年前に家族が住む借家を出て一人暮らしをしています。その後、徐々に兄と家族3人の関係は途切れがちになりました。
6年前に、母親の希望で新しく家を買いました。元の借家もそのままにして、新しい持ち家からときどき母親が戻り生活できる状態にしています。新しい持ち家には父と母と弟の3人が住んでいます。3つの家は都内の同じ区内にありますが、さほど近隣とは言えない距離です。元の借家は駅に近く生活上は便利なようです。
新しい持ち家ができた時点では、父はそのうち兄が戻ってくるかもしれないと、元の借家もそのままにしました。母はそこまで深く考えられずにいたのですが手放してもいいと考えていたようです。弟は元の借家は手放してもいいと考えていました。
最近、ときどき兄が元の借家に戻ってきます。母と一人住まいをする兄の間にある程度の会話ができる関係が回復しました。家族はいつもは元の借家に戻らないので、誰もいない間に戻れるのです。では兄は一人暮らしをやめようとしているのか。そうは考えていないようです。

こういう状況において、改めて元の借家をどうするのか考える事態が生まれました。
同居する3人がそれぞれの意思を確認しました。父は引き払ってもいいといいます(以前より気持ちは変わりつつあります)。母の気持ちも変わり持ち続けてもいいといいます。父母が年老いて駅に近い方がいいと思い始めたのです。父と母で気持ちが交差しています。弟は引き払う意見で変わりません。

ですが弟はこうも言いました。「(3人だけで話し合って決めるのではなく)兄の意見を聞いて話し、それで決めるのがいい」と付け加えたのです。私はこの弟の意見に感心しました。4人が同席して話し合うのは難しいけれども、兄の意向を聞かないのはよくないというのです。
意見が違うとき当事者がそれぞれ本音で意見を言うことは大事です。この例のような問題は、どういうスタンスでその問題を見るかによって意見や思いが違いうるからです。これが正しいという意見は立場や何を優先するかによって違いうるからです。太陽は地球よりも大きい、と論じるのとは違います。どれが正しくどれが間違いとは言えないからです。
家計の支出という面からの考えか、家族の協力面からの意見か、親の介護を考えてのことか、子どもの生活か、家族で何かの仕事を始めるつもりか、…これらの重要性や優先順位によって、しかも各メンバーの重視する点の相違や負担を含めて考えることが大事になります。
弟のこの意見は最も適した意見集約の方法になります。4人メンバーすべてが十分に満足できる保証はありません。しかし折り合う点を見極める方法はここにあると思います。
この家族の場合は全員が成人です。
子どもがいる場合は少し複雑になりますが「子どもの最善の利益を図る」方向で話し合うのがベストであろうと考えます。今回の紹介例は細かく内容を話せませんのでかなり抽象的です。意見の違いを、大事にすることの違い、気持ちの違いを認めつつ進む方向を決めるのに必要なことと思うのですが、どうでしょうか。
母からこの3人の意見を聞いた兄の意見は「またオレをお前らのペースに載せようとするのか」というものだったようです。しかし、長く関係が途切れていた家族の間で考える余地はできそうに思えました。

私の相談活動の基本スタイル

不登校・引きこもりのカウンセラーになりたい人から助言を求められました。私は助言者として不適任ですが、それを伝えたうえで回答しました。相談者としての私のスタンスの説明です。
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質問のポイントは「不登校・引きこもり対象カウンセラーの現状について、小中高校生や保護者からの要望、把握している評価カウンセラーの高評価と低評価について情報」を得たいところでしょう。この部分に答えたつもりですが、的外れかもしれません。
この質問の回答者としては、私は適任ではありません。私はカウンセラーではなく相談員として相談を受け、理論ではなく対面経験により語るからです。
質問を見て感じるのは、質問者はカウンセラーになる勉強はしたけれども、生身の人間の様子をあまり見聞きしていないのではないかという印象を受けます。カウンセリングや心理学が成り立つには、カウンセラーとクライエントの両者がお互いに(意識するしないにかかわらず)人として認められることが前提です。質問者のスタンスはここまで意識が回らず、相手を操作対象にしやすいのではないかと感じます。これが質問を見たときの第一印象です。
こういう印象になった背景を、理屈ではなく私の体験に基づいて話すのがいいと思います。私の体験がよかったとか悪かったというのとは違います。私の経験したことは、偏りもありますし、一般基準にはなりません。経験から見た第一印象です。
回答者としては「私は適任ではありません」と自覚しています。それでも答えようと考えるのは私にとっても意味があるし、質問者にも参考になると思えるからです。

私は非常に多くの不登校や引きこもりの相談を受けました。親からの相談が多いですが、当事者からも多くの経験談を聞いています。当事者は不登校や引きこもりの途中の人もいますが、10年前の中学・高校時代を振り返って、その時点では話せなかったこと、気づかなかったこと、今になってそうだったのかとわかった話を聞くことができます。
親と当事者の意見や評価はしばしば違います。ズレがあるのは当然かもしれません。親の話を聞きながら不登校や引きこもりの子どもの状態や思いを推測する姿勢でいるというのが当たっているでしょう。親の話は子どもの状態を乱反射する鏡です。乱反射しているけれども親の価値観で整理されているのでわかりやすいです。しかし、わかりやすいことと子どもにとっての真実は同じではありません。
子ども側の話はしばしば混乱し、しかも断片的でとらえどころがないこともあります。ですが子ども・当事者の方に真実がある点を見逃さないことです。言葉だけではなく、当事者の行動も嘘爲的な言行さえも真実の一部です。
カウンセリングとは対人サービスの一種です。対人関係に専門性を働かせたのが対人サービスであると考えます。心理学やカウンセリングの知識により全体的な状態把握と特定個人の相対的な位置がわかります。それが役に立ち必要なこともあります。それにもかかわらずカウンセリング対象の個人をよく見ることが決定的に重要です。
その個人が体系的な分類のどこにいるのか。医療ではこれを診断といいます。相談ではそこから入るのはベストとは言えません。診断や一般的な判断基準を参考にしてもそれにとらわれないことが大事です。一般の友人関係を思い出してください。診断みたいに相手を1つのイメージに当てはめて対人関係づくりを始めてもいい結果にはなりません。
しかし、判断が一般基準と相反する方向のときは要注意です。わかりやすい極端な例をあげますと、人格攻撃的な方法がいいと思ってもそれは採用しないことです。もし自分の結論にそうした方がいいとなったとしても自制を勧めます。普通はそこまで極端に自分の感覚と一般基準が相反する方向はありません。その場合は自分の感覚を信じることです。
自分の経験によるものは、関与するクライエントの特質に左右されます。特に対応方法は自分にできる範囲ですから個性的・独特な方法になります。それでいいと思います。
そういう自分の独特性を意識し、それを一般化しないことです。独特であっても他のことに波及しなければ問題はありません。私のこの回答自体もそういう独特性を持ちます。そういうもの以外の、多数事例に基づく偏りが少ない基本的なものは、カウンセリングの現場では直接の役に立たないと思います。
逆に言いますと、カウンセリングも個性的であっていいのです。個性的でなくてはならないほどです。私は長年そういうスタンスでやってきました。そのときどきで最善を尽くすだけです。そうすると「高評価と低評価」というのは意識にのぼりません。経験の薄さは不手際や未熟なものを生み出す可能性があります。それは避けられません。
一般の対人関係のばあいを考えてください。どのような人でも自分の対人関係には失敗もあり、成功もあるでしょう。ですがそれらはあまり意識せずに過ぎていきます。しかし経験として身体には蓄積されます。大筋での合格状態をベースにして、自分自身の方法で効果をめざすものです。相談でもカウンセリングでも同じではないでしょうか。
成功・失敗よりも肝心なことは信頼関係です。失敗しても信頼関係は強まることもありますし、成功してもダメなこともあります。相手を尊重しながら自分にできることを最大限努力すれば、信頼は重ねることができます。対人関係と対人サービスの違いは、対人関係が普通状態とすれば対人サービスはそれに専門性を働かせていることです。
どこかで学んだ正当な方法を実施しても相手との間にこの信頼関係の積み重ねがなければ、対人サービスとしてのカウンセリングはナンセンスではないでしょうか。
もちろん私の経験には失敗もあります。信頼関係を損ねたこともあります。だから完全ではありません。しかし、失敗しない方法だけを求めるのは間違いだと思います。失敗しない方法の行きつく先は何もしないことだからです。それは無策につながります。
あなたが求める回答とは大きく離れていることを承知していますが、これが私の実感に基づくお返事になります。 〔わかりにくい文章になりました〕

〔受け取った返事をいただきました=6月30日=わかりづらい回答でしたが少しは伝えられたのかもしれません〕
丁寧なご回答を頂戴し,恐縮です。
とても示唆に富んだ内容で,何度も読み返しています。安易に理解したと思いたくないほど,重要な内容であると認識します。反面,自分の読解力の無さを熟知しているからこそ,理解できたと判断するには早いと思っております。また最近では,己の認知に早とちりと誤りがあることを痛感する出来事が多発しており,頂いた回答もさらに読み返す必要があると考えております。
この中で,人とお付き合いするときに真っ直ぐでない,人として認めていない,診断や判断ありきの類型化された見方,受け取り方や捉え方のようなご指摘がありました。感情的には否定したい,違うと思いたい気持ちがあります。しかし,他の方がそう言うのは理由や原因が少なからずあると思うので,改めて自分を見つめ直し,振り返ってみようと思います。
これから,カウンセラーとして出発していきますが,個別の事例でまたご相談することも出てくるかと思いますが,その節は改めて宜しくお願い致します。
今回は本当に感謝しております。ありがとうございました。

報告と交流「廃棄物業界のよさを踏み台にする」

アメーバブログ〔ゴミ置き場管理人エンジの日常「求む!ひきこもり・発達障害の方〕(http://ameblo.jp/jfdsajfdsa/)を開設したエンジさんの発表会をします。
7月18日(日曜・祝日)「廃棄物業界の現場で働くエンジさんの話を聞く会」です。次の予定です。10名ほどの参加を期待しています。

テーマ「ひきこもりが廃棄物業界を踏み台にすることで得られる物」
◎エンジさんの報告(内容予定):
1「廃棄物業界のよさ(なぜそこに入ったか)」
2「中高年ひきこもりが人的資本としていかにすぐれているか」
3「ひきこもりが廃棄物業界を踏み台にすることで得られる物」
4「質問コーナーおよびフリートーク」
◎どんな人に参加してほしいか:
中高年齢のひきこもりを持つ親御さん、お金や社会経験が欲しいが何をしていいか迷ってるひきこもり、および発達障害の方。
◎日時:2016年7月18日午後1時から午後3時(話が長引いたら延長4時まで)」
◎場所:不登校情報センター (東京都江戸川区平井3-23-5-101)。
◎参加費:500円(当事者は無料)。
◎連絡先:
①主催者エンジ jfdsajfdsa@yahoo.co.jp(連絡時には件名に会の名前と参加希望と入れてください)。Line ID「jfdsajfdsa」
②不登校情報センター open@futoko.info(連絡時には件名に会の名前と参加希望と入れてください).Fax03-5875-3731.

幼児の子育て相談になりました

先日、こんな便りがありました。
「2016.6.2、2895gの男の子が産まれ3人家族になりました。これからもよろしくお願いします(*^^*)」
さっそく返事をしました。「おめでとうございます! 子どもがいちばん! 今日は朝早くからいいニュースが飛び込んできた感じです。」
そして「松田さん、ありがとうございます(*^^*)この年齢でなんとか授かることができて、毎日育児に奮闘していますが嬉しさでいっぱいです。だいぶ先になると思いますがセンターに顔を出して松田さんにも会ってもらいたいです^^」
以前に通所していた女性から、子どもが産まれた便りです。「嬉しさでいっぱい」がいいですね。知っているだけで子どもの産まれた人は数名います。別の女性ですが3歳になる女の子がいて、こちらは子育ての相談電話でした。一生懸命さが伝わってきて(悩んでいることも確かですが)、こちらも嬉しくなってしまいます。子どもの心配になることをいくつか聞いた後で、「いいところは?」と聞き返しました。「私(お母さん)が大好きなところかな」と言います。「それでいいじゃないの」。
私の不登校相談から始まったことは、ひきこもり相談に広がりました。そのあとで相談している親の夫婦関係の相談になり(数人ですが)、いまは幼児の子育て相談にも及んできたようです。必要なことは全部つながっています。相手を尊重することです。

福祉事務所の前で「気持ちがついていかない」に対処

先日、都内の福祉事務所にいきました。30代で一人暮らしをするBさんと一緒です。生活保護を受けるための条件や手続きを相談するためです。
福祉事務所前で待ち合わせをし、事前の打ち合わせをしてから相談窓口に行くつもりでした。約束時間より少し早くBさんはやってきて、所外に出るように合図をしながら先を歩いていきます。
人目がないあたりまで来て「待って! 今日は待って」といいます。
確かに前に約束してこの日に福祉事務所に来た。けれども「待ってほしい」ということです。ありうることです。
ですが私はBさんに理由を聞いてみました。
「気持ちが…、気持ちが…」
いまはそういう気持ちになれない、気持ちがついていかない、ということでしょう。しかし、「気持ちが」の次の言葉が出てきません。
はたして自分はそんな状態なのか、もっと別の方法があるのではないか、自分の状態を受け入れられない…言葉にはできないけれどもそういう気持ちを推測できます。そういえば「生活保護を受けることは自分の人生がゲームオーバーになる」と表現した人もいました。とにかくまだ自分の状態を表現できない困惑した状態でいるのです。「待って!」、「気持ちが…」は、そういう気持ちが外側に漏れているサインなのです。
私はBさんの気持ちを待つことにしました。この日はBさんと一緒に相談窓口に行くのを断念しました。そして「あなたの代理になって私が一人で相談窓口に行くことは認めてほしい」と言いました。
先日は一緒の相談窓口に行こうと約束した。その日になって一緒に窓口には行けないけれども事務所にはきました。
ここで、私がBさんの代理で相談に行くのを認めれば、それはそれで一歩には満たないが小さな前進になると判断できるでしょう。
Bさんは、しばらく考えてから同意をしてくれました。こういうことが数回繰り返されるかもしれません。待ちながら少しずつ着実に進む方法はその場での対処・機転です。この日もわずかですが進んだと思います。

高卒認定試験にかんする誤解事件に思う

高卒認定試験の受験申し込みの期限が間近かに迫りました。
先日のことです。高校3年になった生徒がこの受験を考えて教師に相談したところ、「これまで在籍中の単位は使えない。高卒認定の全科目受験が必要」と言われました。
それを聞いた親もそういうものかと考え、その気になって親子で用意をしました。
私にこの話が伝わってきてちょっと驚きです。これは事件でしょう。悪意によるとは考えたくないのですが、教師の無知によります。そこで学校長に連絡をするように伝えました。
調べたところ、高卒認定では残りの6単位分をとればいいことがわかりました。
高校の教師といってもこういう事情を知らない人もいます。「昔の大検は難しかったから、高卒認定も同じだよ」と言われた人もいます。これからの人生に長く影響することもあります。そこを考えてほしいですね。

私立中学から公立中学への転校希望の相談

東京都内の中学生の転校希望相談です。現在、私立中学校に在籍し、不登校が続いている生徒の親からです。4月に2年生になり少し元気になったのですが、転校をしてやり直したいといいます。理解のある中学校の教師もいるはずだから、そのような先生のいる中学校を教えていただきたい、という趣旨です。
これに答えることはかなり難しいことです。答えた実質に近いことを書きます。
公立中学校はその市区内に住んでいれば、転校できます。転居してきた、私学をやめるなどでも転入できます。普通は市区内に学区がありますからその学区の中学校に入ります。市区によっては転入できる学校を選ぶことができます。いじめや不登校の生徒への対応策によるものです。ただし、親の希望される「理解のある教師」のクラスに籍を置けるかどうかは別問題です。
次に「理解のある教師」はどこにいるのか、ということです。私は多数いると思いますが、問題は2つ以上あります。
その一つはその生徒にとっての理解ある教師でなければ、それは親と生徒からは「理解ある教師」とはみなされません。これはなかなか難しいことです。不登校の生徒をよく知り対応していても、その生徒との対応が上手くいかなければ「理解のある教師」にはなりません。逆に不登校をよくわかっていない教師でも生徒との相性がいいと「理解ある教師」になります。
多数の教師は特別に不登校をわかっているとは思いませんが、不登校をわかっていない教師と烙印を押される程度の教師は少数です。かかわるうちに生徒全体を理解していくのです。そのうちの不登校だけの理解ではありません。
もう一つは、そのような教師を指名する形での転校は難しいです。公立学校は多数の教師が協力し合う大組織です。それを円滑に運営するには教師がそれぞれ勝手に決めることはできません。権限が強い教師がいてそういう決め方をしている学校は大きく見れば不登校やいじめに教師が個人で対処する風潮も強いとも考えられます。それは不登校対応に弱点がある学校と考えられます。
相談された方に私が答えたことは、転校を考える中学校の校長に事前に相談に行くことです。転校希望の相談のとき、生徒(子ども)の様子を詳しく説明してみます。校長先生の相談を受ける様子から、その学校の雰囲気、担任できる先生の可能性(複数のクラスがあれば、校長先生はどのクラスにしたらいいかを考えるし、それをうかがい知ることができるかもしれません)などを観察するのです。
この相談をうけながら私が考えたもう一つのことは、生徒(子ども)のことです。「2年生になり少し元気になったのですが、転校をしてやり直したい」ところから転校という方向が出ています。新学期が始まって10日ぐらいです。ちょっと判断が早すぎないか、転校しても不登校を繰り返すのではないか、そういうこともあります。この部分はここでは省略します。