来年3月予定の全国若者・ひきこもり協同実践交流会の準備に関わってきました。途中からの参入ですからあまり強いことを言うつもりはありません。
関わるなかで「当事者や現場の実践者の視点」を取り入れようと考えました。行政的視点、研究者的視点からの協同実践交流会になるかもしれないと違和感をもったからです。
ここにきてこの違和感の中心は浮かび上がってきました。全国若者・ひきこもり協同実践交流会はひきこもりを起点に考えられてきたと思ったのが、違うかもしれません。準備の中心は生活困窮者支援の活用に傾いてはいないか。
生活困窮者支援にはひきこもりへの対応が含まれます。それは前進であり、引きこもりと周辺の社会問題を統一的に取り組むのは理想的だとも考えました。ところが運動は生活困窮者支援に重点が動き、ひきこもり当事者の感覚とは別物になっているのではないかという疑念がわいています。
「発達障害やニートや貧困や震災被害などが発生するたびにひきこもりの問題は後回しにされている」。これは以前にあるひきこもり経験者がふともらしたことばです。そんな中で生活困窮者支援法になってようやくひきこもりが対象に入りました。直接かかわるうちのひきこもりの理解とか対応も向上すると予測しました。
しかし、そう簡単ではありません。ひきこもりが生活困窮者支援のなかに取り込まれ、そこに解消され、霧散してしまう雰囲気を感じています。ひきこもり経験者がふともらしたことばはいま私の感覚です。
連帯を拒むつもりはありませんが、ひきこもり当事者の根を置いた取り組みを心がけるしかありません。本音というよりは実感です。
「引きこもり」カテゴリーアーカイブ
出自の後の子ども時代の周囲との記憶が少ないと不安になる
ある記者Nさんから「中学時代から不登校になり、その後もひきこもり生活が長くなっている人」の話を聞いてみたいと言われました。問題意識を確かめてもわかりにくいのですが、私なりに解釈すると記者Nさんの言葉の中にある「帰属」になるかもしれないと考えました。
<学校という帰属がなくなることがどのような意味を持つのか、社会のありようまで考えるきっかけにしたい。まだ漠然としており、不登校の歴史とか現状とか、着眼点なども聞きたい…>と。
中学時代の不登校から始まり長期のひきこもり体験のあるTuくんに聞いてみました。訥々した話を思い切り要約するとこうなります。<余りにもわからないことだらけで何がわからないのかわからない。自分が世の中のどこにいるのかがわからない。何ができるのか、何をしたいのか、何をしなくてはならないのか、それらをどう表現すればいいのか、それらがわからない。>
これは何でしょうか。その日の夜、布団に入ってTuくんの話をぼんやりと思い返していました。最初に浮かんできたのは「ルーツ」というアメリカに奴隷として送られた黒人の子孫クンタ・キンテが自分の先祖を探す物語でした。次に戦時中に中国に残された“残留孤児”が連想されました。そして記憶喪失になって自分の名前もわからなくなった人の場合です。
人は今の自分(の帰属・所属)がわかるには周囲の人を見ても十分とは言えないようです。自分の出発点はどこなのか、来歴の記憶も必要としているのではないか。生まれた時点はわからないけれども、物心のついたときには、母がいて家族がいた。そこから自分の来歴が始まります。その来歴がさっぱりわからないと今いる自分の存在の根が見つからない、それが自分の帰属・所属の不安になり、確かめたくなるのではないか。「ルーツ」も残留孤児も記憶喪失もそうでしょう。
Tuくんの話は、その後に積み重なる子ども時代のことです。生まれた後の子ども時代の家族や子ども世界での経験です。ここに帰属感覚の次の源泉があると思います。生まれてからの帰属感覚の源泉につながる順序や内容はそれぞれでしょうが、積み重なって人間の現在をつくるのではないか。これが人になること、人格の形成ではないかと思いました。
Tuくんの場合は中学時代の不登校以来の経験不足が、対人関係、社会関係、社会生活に必要な知識や技術の少なさになっています。子ども時代に学校やそれに代わる子ども世界の経験が少ないことは、この蓄積の乏しさであり帰属意識をつくりづらくしているのではないか。その不安感やつかみどころのなさが、Tuくんの話の「わからない」に示されていると思いました。
映画監督の山田洋二さんがどこかで話していたことです。
子ども時代の風景は強い記憶として残るもので、この記憶が残っていることは人として大事ではないか。正確ではないけれどもこんな趣旨です。
私も子ども時代に住んだ町や海辺の風景が鮮明に残っています。その意味で山田監督のいうとおりですが、それがだれにも通用することなのかは確信できないできました。
子ども時代の風景さえも人が自分の存在と帰属意識(感覚)を形づくる、それに影響していると考えてもいいのでしょう。
訪問活動の実績を件数から評価されていると感じたTnくん
ひきこもり最中のTnくんからSOSの電話がありました。この中で飛び出した逸話を紹介します。
Tnくんは行政から委託を受けたある福祉団体からときどき訪問を受けています。この日もその訪問予定の日だったのですが、昼過ぎに担当者が顔をのぞかせて「急用ができたので今日は取り消し、次回は2週間後になります」と言って帰ったそうです。
Tnくんは「これを話そう」と待ち構えていたのですが立ち消えになり、イライラして私の方に電話を回してきたのです。…
この様子をやり取りするうちにTnくんから2つの疑問が出てきました。
①担当者は取り消しをなぜ携帯電話で連絡をして来なかったのか――番号を伝えているに携帯を使わなかった理由は信じられないものでした。
②もう1つの疑問は、この日はとりわけ短い“訪問”だったのですが、いつもの訪問も15分から20分ぐらいで、どういう目的で訪問しているのかよくわからない――。
この疑問から合理的に出てくる1つの“解”は「訪問件数が実績になる」というものです。短時間の取り消し連絡も訪問件数にカウントされていると感じたのです。感性の鋭さと経験から推測できる答えです。
行政はこの福祉団体の取り組みを件数により把握しているレベル、と理解できます。
この状況を評価するには多くの面に触れなくてはなりません。
訪問活動は(件数ではなくて)内容から評価しなくてはなりませんが、これを本格的にできるような訪問活動は、特にひきこもりへの訪問活動はかなりのレベルの高い活動との交流がないと意味がつかめないと思います。私は件数による実績評価を認めないのではありません。形骸化させてはならないのです。しかし、現在の全般的な訪問活動のレベルはまだ低調であり、経験交流などを通してレベルアップを図らなくてはなりません。私なりの予測では信頼関係と傾聴力が大事になると思います。
また訪問時間が短くなるのがすべて否定的に考えられるわけではありません。少なくとも訪問先の相手の状況により時間の長さの良しあしは判断するのであって(ストレスの程度が強い、体調からみて離れた方がいい)、訪問者側の事情によらないことです。
多くの面を書いていく必要は感じますが、以前に書いてきたものもあります。下に代表的なものを紹介します。この日のテーマ「件数」に関することはこれからも考え発表します。
〔ひきこもり生活者への訪問活動〕(①~④)
http://www.futoko.info/…/Center:2008%E5%B9%B48%E6%9C%88%E3%…
現場の実践者と当事者の取り組みを反映させたい
全国若者・ひきこもり協同実践交流会の準備のために忙しくしています。
私は居場所がテーマ、藤原さんは訪問活動がテーマですが、他にも声をかけていくなかでロビー部などいろいろな方面に広がります。
すでに10名ぐらいの方の声をかけています。まだ確定している話ではないですが、ネットを使う取り組みを発表できないか、悠々ホルンさんはロビーで何かできないか、引きこもりの相談窓口の人の対応のしかた(窓口相談における引きこもりへの対応?)…など。
中心は、現場の実践者と当事者で動き出している人の取り組みを反映させることです。
数人による「掃除等の就労への道」の発表を考えました〔追加④〕
エンジくんが情報センターに来ました(18日)。先日彼を通して仕事に就いたAくんのその後の様子を聞きました。いろいろな好条件が重なり、思っていた以上の状態でAくんは働き続けています。エンジくんは引きこもりの経験者ですが、ひきこもりAくんが仕事に就くのを助けたのです。
エンジくん・Aくんの仕事は「商業施設における廃品回収作業」と言えばよいでしょう。
周りにはNくんやMくんなどが「特定事業所の短時間清掃作業」をしています。似ていますがはっきりと違う職だと思います。…
他にTくんは「建築現場の掃除を含む補助作業」を経験しています。
この「掃除とそれに類似」の仕事についた経験や仕事の内容を全国若者・ひきこもり協同実践交流会でも発表できるのではないかと思いました。アルバイトやパート労働ですが、ひきこもり経験者が仕事についた実例になります。特にそれに至る過程がユニークです。自治体などが推奨するカッコいい職業プログラムからの就業よりもリアルであり説得力もあります。この就労経験をグループで実践交流会に発表してみるのもいいのではないか。そういうことをエンジくんと話しました。3人だけの私的グループによる実行委員会の続きの会です。来年3月の実践交流会までには時間があります。関係する人たちで話してみようと思います。
〔ゴミ置き場管理人エンジの日常〕
http://ameblo.jp/jfdsajfdsa/
テーマ「居場所」ブロックで話して思うこと②
全国若者・ひきこもり協同実践交流会の傾向もわかってきたという意味についても少々。
私が参加したブロックのテーマは「居場所」です。このブロックには2つの分散会テーマがありました。「青少年施設」と「支援の場としての「居場所」」です。
このミーティングの場でいくぶん変わり「困難な若者とは何か」「「ひきこもる居場所」を超えて」となりましたが、オーバーにいうと行政者や研究者からの発想の雰囲気を感じました。この傾向は全国若者・ひきこもり協同実践交流会のいろいろなところに残っていると思います。…
それを少しばかり当事者や現場の実践者の視点に動かせたのが今回でした。しかしまだ不十分だと思います。
今回の東京集会の実行委員会を仕切るメンバーは、私が個人的にもつながる人たちでした。それでも当事者や現場の実践者の状態を十分には反映していないでしょう。「ブルータスよ、お前もか」という気はします。
しかし、問題の困難さを知る者として、当事者や現場の実践者の力だけではこの大規模な取り組みを企画するのはそれだけ大変だという実感があります。早々に「不登校情報センターの活動は特殊な面があり、他の支援団体の参考にはならない」と判断し、独自のわが道を選んだ者としては、僭越な物言いはこの程度でやめておきます。
ただ、特に引きこもり経験のある当事者には、大勢が参加してほしいと思います。実行委員会にも参加してください。それによってこの雰囲気を変えていただきたいと思います。行政者や研究者がつくる引きこもり経験者の未来を変えてください、そこにつながる取り組みの色合いを変えてください。
東京集会でこそ、それが一番やりやすいと思います。開催地は毎年変わりますが、地方では当事者にはこれだけの力の発揮は期待できなし、行政側の助けを受けなくては開催自体が苦しいと思えるからです。
11月23日には、プレ企画シンポジウムとその後の実行委員会が予定されています。さしあたりはここを重視します。
(2)就労以前に生活リズムづくりが必要(素案テキスト2)
内閣府調査は長期の引きこもりの深刻な状態への対応が重要だといいます。「大人の引きこもりを考える教室」でこれまで話してきたことの多くはこの問題です。
親の会の運営に関して先日、母親Oさんが書いてきました。「30代後半のひきこもりの娘と息子の母親です。希望テーマは①生活リズムの作り方、②ネット依存をどうしたら、③親亡きあとの生活…など。とりわけ③について日々悩んでいます」。
これは「長期の引きこもりの深刻な状態」の典型だと思います。そこには就労が前面の目標ではありません。まず目標になるのは「生活リズム」の確立です。…
親がこのような目標を持つに至るのはそれまでの家族内でのいろいろな出来事の結果でしょう。子どもの状態と必要なこと、当面の目標をどこに置くのか、現実をよく見てきたことがうかがえます。
引きこもり経験者のSくんは当事者の側からこれを見ました。「『ひきこもり理解と支援の促進』学習会における当事者の報告」(2015年1月)での発表です。報告は仕事、社会復帰、支援者、高年齢当事者が困っていることが含まれます。
初めに「仕事、社会復帰」をあげています。「一人で黙々と作業ができ、人間関係の薄い、あまり監視や干渉のない現場が向いている」。これはSくん自身の体験と情報センターなどで実際に接触した元引きこもりの経験を織り込んだ要約です。親なきあとの問題では住宅問題が重要テーマになります。
これとOさんの提示とを合わせてみると、長期化し深刻化している引きこもりの対応のポイントが見えてきます。いきなり就労を迫るのは引きこもりをよく知らない人です。彼ら彼女らは社会の異様さ感知し、無意識のうちに社会のゆがみに巻き込まれるのを回避してきたのです。社会的な引きこもりとはその結果です。
現在の労働状態を見ると、一方ではブラックと呼ばれる長時間労働が蔓延し、他方ではそれを回避した結果の「働くに働けない」人が広がり、両極に社会の難問が置かれています。いずれの側にも個人的な性格や機会の巡りあわせや運不運が関係しますが、大きな社会的な背景があることを考えないわけにはいません。
長期化し深刻化している人はどうするのか、対応策とか支援策はどんなものか、それはきわめて個別的になります。そのなかで母親Oさんが提示している生活リズムづくりは多数の人に有効な提案です。家族以外の人と関わるために定期的に会う機会、定期的に外出する機会が生活リズムづくりのテコになります。訪問活動や居場所が設けられるのはその具体策です。
そしてある状態に到達すれば当事者はその人なりのスタイルでこの生活リズムの主体に移行します。支援を受ける側から同伴者や企画者になるのはその方法です。興味・関心(ネットや介護などの福祉、創作系が多い)を生かす人も少なからずいます。
引きこもりに関しても社会全体から見ると、いろいろな社会問題が同時に深刻さを増しているなかの事態です。周辺の社会問題、社会運動と並行しながら協力して取り組む時期に入りました。新しく法律や制度ができても自動的に有効になるのではありません。まずは法律や制度として確立する、社会的に合意していたことを当事者・弱者の視点から変更を求める、それらを当事者側が望む方向で運用するように働きかけるのです。社会の異様さやゆがみはそれに気づいた人が取り上げていくしかないのです。
生活保護に加えて生活困窮者自立支援法が成立しました(2015年)。ほかにもいろいろな制度ができ動きがでています。それらの法律も運用や条件の適用などをこちらから働きかけない限り、それを扱う行政者からは活用できる道は示されません。ある人の動きを考えたとき、実際にそうでもしなければ前進しない壁を経験しています。
不登校情報センターの親の会の運営を改善・向上させたいと思うのはこの点に関係します。引きこもり個別の問題を探りながら、周辺の社会問題と関連づけながら前進を図ることです。
不登校情報センターの親の会は、グループ相談的な面を継続しながらこれらの視点が必要になります。それは高齢化している親では難しい面もあります。家族の参加、当事者の参加が必要とされます。KHJが親の会から家族会に変わったのは賢明な選択だと思います。
なお子ども期の不登校に関しては、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案」が浮上しています。子どもの貧困問題として子ども食堂や学習支援が社会的な運動として広がっています。この時代の流れですが詳しいことは省略します。
〔『ひきこもり理解と支援の促進』学習会における当事者の報告〕
http://www.futoko.info/…/%E3%80%8C%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%…
江戸川区の生活困窮者支援窓口の相談員と情報交換
くらしごと相談室葛西の自立支援相談員、Naさんが来られました。2年ほど通所していたTsくんが相談に行っていて、久しぶりに来るTsくんはNaさんと一緒に来ることにしたのです。
くらしごと相談室とは江戸川区の生活者困窮者自立支援制度の相談窓口で区内に3か所あります。今春からくらしごと相談室の名称になりました。
Naさんからは、くらしごと相談室の取り組み内容を聞きました。不登校情報センターは藤原宏美さんが主に引きこもり対応を話し、情報交換になりました。
くらしごと相談室は、生活者困窮者自立支援として引きこもり等を受け入れる事業所を江戸川区内に広げようとしています。不登校情報センターの方法は就労支援というよりは、居場所ワークであり、対人関係の経験を事務・パソコン作業をする、親の会に参加して自分の経験を話す、ゲームなど楽しむなど居場所の内容を紹介しました。
江戸川区における生活者困窮者自立支援制度の進捗状況の一端を聞き、これからも意見交換する機会を期待して、今回の話を終えました。
引きこもりへの対応策(素案テキスト1)
9月11日の大人の引きこもりを考える教室に即席のテキストを用意しました。内閣府は引きこもりが大幅に減少していると発表しそれを考えたものです。
テキストは全体で3構成ですが、荒筋だけなので、1項目ずつ書き直しました。
引きこもりへの対応策(素案)
内閣府の「若者の生活に関する調査」(9月7日発表)では、引きこもりは2010年の69.6万人から、54.1万人になったそうです。5年間で約15万人の減少です。また現在引きこもりである人の34.7%が「7年以上続いている」状態で、長期化し深刻になっています。数字の精密さはわかりませんが、減少傾向は明らかだと思います。
(1)引きこもりの現状をこのように理解する
引きこもりの減少の示すことは、引きこもりが1960年代の後半から表面化し、2020年、30年代までの、歴史的な一時的な現象であると推測できます。
引きこもりとは若者世代の現行社会への消極的で引っ込み思案な異議申し立ての形であったと理解します。社会は子ども・若者に適応を求めます。しかし、その適応を求める社会はゆがんでいます。それを感覚的に精緻にとらえた人たちが適応を避けてきたのです。
不登校や引きこもりの形で異議申し立てた内容が、社会においてわずかずつ受けとめられつつあるようです。減少の背景はこれです。しかし、それはいずれスパークする時代を迎えるでしょう。引きこもり経験者のある部分がこれに関与する様相を示しています。
この引きこもりが表われた歴史時代は、経済社会の面から見れば、工業社会から情報社会への移行期に当たります。しかしそれはだけではないようです。人の不平等な扱い、個人の特性を尊重しない社会への不信や異議申し立てが、フラットな社会に変えていく時代に移行しつつあると考えられます。
この“引きこもり時代”の最近10年は、引きこもりと他の社会問題が接近してきた時期でもあります。私は「引きこもりを社会に近づけようと取り組んできたのに、社会の方が引きこもりに近づいてきた」と感じています。Uくんは「社会のいろんな人が引きこもりのような社会的弱者の予備軍になってきた」といいました。
放送大学の宮本みち子さんは「引きこもりや失業者、障害者、などの問題が地続きになっている」と表現しました。Sくんは「大震災や貧困問題が生まれるたびに引きこもりの問題はそれらの後に回されてきた」と言いましたが、これも同じ事態の別の表現でしょう。これらの被災者や困難者の抱える社会的な状況は引きこもり当事者の問題と似てくるからです。
言い換えると引きこもり固有の問題は、社会的な周辺の課題と重なるのです。たとえば住宅問題は生活困窮者の住宅問題と重なり、都市の空き家問題の解決策につながると予想できます。当事者が集まる「フューチャーセッション庵」の表題は「ひきこもりが問題にならない社会」ですが、それはこのように裏側から半分は実現しつつあるのです。問題の解決ではなく、引きこもりが問題なのではなく、住宅問題を解決するという社会問題のなかに含まれるのです。
もちろん引きこもり固有の問題もあります。それが「長期化し深刻になっている」引きこもりへの対応に典型的に見られます。それは次の素案テキスト2「引きこもりの特質に関わること」で取り上げます。なお素案テキスト3は「不登校情報センターのサイト制作の新方針」です。
ゲーム交流会としゃべり場など
先週末はいろいろなイベントがありました。土曜日のパステルアート教室(あべちえみさん)とゲーム交流会(三田佳幸くん)、日曜日の大人の引きこもりを考える教室と生き方くらぶです。
ゲーム交流会には20代前半のKくんが始めて情報センターに来ました。後になって「とても楽しかったです」とのメールが藤原さんのところに届きました。パステル教室とゲーム交流会の次回は10月8日(土)です。
生き方くらぶ(しゃべり場)は以前にも似たようなことはありましたが、初めての試みです。大人の引きこもり教室から参加していた人が引き続き参加しました。こちらはNaさんの誕生会を兼ねて二次会もありました。また続きをやるようですが、日程は未定です。
これらの場を通して、自分の体験したことを本音で、少なくとも本音に近いことを話せるといいと思います。なかなかそういう場はないし、うっかり「失敗するのが怖くて人と話せない、働けない」などと言って、後はさえぎられて話せないまま中途半端なままになった、そういう人もいると思います。
怖くなるのはどういう状況なのか、それはその状況においては異常なことではない、どうしていけばいいのか、聞く耳をもって話を聞く人がいれば自然と話ができるようになります。生活の転換点になることはあります。
コミュニケーション障害のような診断を受けるよりもはるかに楽しくてこれからどうしたらいいのかも、自分で徐々にわかってくるし、行動できるようになります。
そういう場があちこちにできてきました(居場所やカフェということが多いようです)。怖いけれども少しの勇気と少しのエネルギーを出して参加してください。そこに出かけることが行く先のある外出になりますし、生活のリズムをつくるポイントにもなります。
情報センターもわずかな機会ですが、これからも続けますので参加を待っています。