新聞告知:引きこもり講演会

引きこもり高齢化対策を考える講演会―あす葛飾区で
社会問題化している「引きこもりの高齢化」を考える講演会が8日午後1時半から4時半まで、東京都葛飾区の同区新小岩地区センター3階第1会議室で開かれる。
主催者のNPO法人「不登校情報センター」の松田武己代表が「30代以上の引きこもりへの支援活動」のテーマで講演。
「かつしか夢プラス」「NPO法人FDA」など、引きこもりの対応してきた支援団体の活動状況をパネルディスカッション形式で紹介、今後の課題を話し合う。相談会も開催する予定となっている。
参加費500円(当事者は無料)。問い合わせは同センター=電話03-3654-0181。

「東都よみうり」5日号に続いて、今日7日付の「東京新聞」に「ひきこもり高齢化への対応」―講演会&支援機関の活動紹介&個別の相談会の告知記事が掲載されました。紹介したのは東京新聞の告知記事です。両紙ともいわゆるベタ記事になります。
参加者がどれくらいになるのか危うんでいましたが、新聞告知に助けていただいたようです。出席者が参加して何かひとつ手がかりをえたと感じるものにしたいと準備しています。

しごとセンター企画参加は変更

21日の東京しごとセンターのセミナー「在宅ワークの仕事の見つけ方」を案内いたしました。その日に申込書をしたのですが、休み明けの今日、しごとセンターから連絡がありました。申込みは2名までしか認められませんでした。定員オーバーのようです。
いろいろ話しをするなかで、しごとセンターは主に支援者を対象にしていることも聞きました。定員オーバーですから2名参加で了解せざるを得ません。
21日の多くの人への参加呼びかけは停止します。それに代わりセミナーの報告や東京しごとセンターの相談について説明の場を持とうと考えています。

少し勉強をさせていただきました。
在宅ワークは、業務委託、請負型の仕事を在宅で行うものをいいます。そのうち手作業になるものが内職です。
在宅勤務は、就職型で仕事につくことで、仕事を自宅で行うものを指します。在宅ワークというのは在宅勤務と同じものを指します。
自宅で仕事起こし、仕事づくりをするものは起業であり、SOHO型がこれに当たります。
不登校情報センターの向かうものは、集団的なSOHOをめざしながら、そのうえで個人の仕事づくりや在宅ワークを支えるものになると思います。

活動紹介・ひきこもり高齢化対応

「ひきこもり高齢化への対応」という、講演と支援機関の活動紹介と相談会を開くことにします。
主旨は、ひきこもりの高齢化が社会問題化しているなかで、ひきこもりに対応してきた団体・個人が集まって、講演、活動紹介、相談会を行おうとするものです。不登校情報センターの理事・訪問サポート・トカネット代表の藤原宏美さんの原案です。

内容は、
(1)講演「30代以上の引きこもりへの支援活動」
*講師・松田武己(NPO法人不登校情報センター代表)。
(2)支援機関の活動紹介…参加団体を募集(決定しだい表示します)。
*パネルディスカッション形式で司会者の質問に答えます。
 ①どんな対応支援をしていますか。
 ②困ること・課題は何でしょうか。
 ③当事者はどんな形で変化をしていきますか。
*この他に会場の参加者からの質問を受けます。
(3)支援団体との個別の相談会。

日時・会場
① 2012年10月8日(月・祝日)13:30~16:30.
② 葛飾区新小岩地区センター3階第一会議室(東京都葛飾区新小岩2-17-1)。
*なお、引きこもり当事者たちが話し合う場を設けます。
*会場は広いので、美術的な創作品を展示できるようにします⇒別項参照。

参加費:500円(当事者は無料です)。
主催・連絡先:不登校情報センター(TEL03-3654-0181、FAX03-3654-0979,メール:open@futoko.info)。

なの花会の講演要項を書き直す

今日は午後、千葉なの花会で成人引きこもりへの対応を話します。「引きこもりからの社会参加の途中」のテーマです。そのための話の内容をすでに書いて主催のなの花会に送ったのですが、思うところがあり昨日、新しく書き直しました。先日送った資料は有効なのですが、参加者に必要なことはこのテーマのなかでも別の部分があると感じたからです。連絡はTEL090-8491-0971です。

「主治医の意見書」も気がかり

ハローワーク障害者窓口の続きです。精神障害者のばあい、就職にあたり「主治医の意見書」というのが参考に提示されます。これはハローワークが参考にするもので、就職先に渡すものではないようです。
この仕組みは悪くはないのですが、いくつかの不十分さを感じます。
(1)なぜ、医師なのか。医師が悪いわけではありません。しかし、薬にかかわる視点から症状を見ている医師に就業まで判断することができない人もいます。医師もいろいろですが、「主治医の意見書」はハローワーク内では参考という名の基準になっていきます。
(2)就業支援施設や精神福祉と職業訓練に関係する専門職にも(全員でなくてもいいです)「就業に当たっての意見書」の提出を求めてもいいのではないかと思います。そういう専門職種の人に「精神的困難をもつ人の就業にかかわる判定」ができるように開いてはどうかと思います。
(3)ハローワークから戻り、就職にあたり「主治医の意見書」がどういう性格のものかを調べようとしたのですがまだわかりません。法律ではなく施行規則的なものではないかと思えるからです。ここはまだわかりませんが、医師以外にも広げられる可能性があり、それは必要であると思っているところです。

ハローワーク障害者窓口にて

ハローワークの障害者受付に行ってきました。障害者枠の求人・雇用の様子を聞いてみようと考えたわけです。このハローワークの場合なので、他では微妙に違うことがあるかもしれません。
聞くなかで確かめたいことはいろいろあります。一度に全部をわかろうとするのは難しいので少しだけ。
(1)障害者受付といっても障害者でなければ受付にならないことはなさそうです。
障害者には身体障害、知的障害、精神障害、発達障害の4分類あります。関わることがありそうなのは精神障害と発達障害です。障害者枠雇用で遅れているのはこの分野のはずです。相談担当者の名刺を見ると精神保健福祉士とありました。
発達障害は数年前から障害者枠になったものですが、相談例は珍しくはないようです。
相談を受けて障害者枠で雇用にならないばあいもあり、一般枠となります。
雇用する方は56人に1人、1.8%の障害者雇用を義務で受けられているので雇用側が障害者枠を優先して採用しようとする場合は、この方法は不利になることもあります。
(2)「軽作業」というのがありますが、推測ですが法律用語ではなく現場の実務用語ではないか。そう思い戻ってから総務省の日本標準職業分類表で検索をしたら「軽作業」は次の職業が出ました。
「項目名=その他の運搬・清掃・包装等従事者。
項目の説明=機械の掃除、資材の整理、官庁・学校・商店・工場・倉庫・建設現場・駅・公園・病院などの雑務、及び他に分類されない労務的作業に従事するものをいう。
事例=機械掃除工;工場軽作業員;容器洗じょう工;瓶ふき工;公園草取作業員;グラウンドキーパー;潜水ポンプ押補助員;倉庫雑役人;用務員(学校);貨物自動車助手;皿洗い人(調理見習いでないもの);パントリー(食器洗い人);選瓶工;洗瓶工;検瓶工(再生資源回収);公園芝刈作業員;洗濯物仕分作業員;商品選別工;建設現場軽作業員;公園整備員;可燃ごみ選別作業員;再生資源選別作業員;危険物仕分作業員」。
(3)短時間労働というのは週当たり30時間以下をさします。雇用としては0.5にカウントされます。健康保険は義務づけられないけれども、失業保険と労災保険に加入できます。
戻ってから調べたのですが短時間労働の上の点はうまく確認が取れません。
(4)担当者に話したことは(担当者に話してもどうしようもないことですが)、週20時間程度働き、時間給1000円としても、月収を10万円以下。障害者年金や他の社会保障がないときは、生活保護対象の収入になります。
時間給は実際には1000円以下ですから、月額7、8万円でしょう。そうすると中途半端に働く感じになり制度としてまずいことです。制度の欠陥は政治家も行政担当者もわかっているのでしょうが改善策が打ち出せないのでしょう。生活保護を削減しようとするスタンスのなかでは、出される改善策がゆがんでしまうからではないでしょうか。

Wiki版「仕事ガイド」ページの完成と今後

『中学生・高校生のための仕事ガイド』の内容をWiki「仕事ガイド」ページに移し終えました。

この本(事典)は1988年初版のもので、中学生や高校生を対象として多くの仕事を紹介し、仕事の面から社会を理解し、将来の職業選択の参考になるよう企画したものです。
聞いたことのない職種、聞いてはいるけれどもよく知らないものを初歩的に理解できるようにしました。多くの人が職につく、現業的なもの事務的なもの職人的なものを重視した記憶があります。
大筋のところで作業は終えたのですが、取りこぼしもありますし、分類以外に「Note」としていたものの移し変えが残っています。さらに校正の不十分さも避けられません。
何よりもWikiシステムの「カテゴリ」を生かした工夫を試みたく思います。
またこの本を最初に書いた1980年代末と現在では(特にインターネットの普及により)仕事内容が大きく変わっているものもあります。新しい職業が生まれています。
ここを再スタートとして今からの時代の仕事紹介に育てていく必要があります。
「百里の道も九十里をもって半ばとする」とか。更新作業を続ける意味があります。

引きこもりからの社会参加について(その3)

さて就職型に限定しない引きこもり経験者の社会参加のしかたは、どのようなものでしょうか。
それと「仕事のなかで自己実現する」ことはどのように結びつくのでしょうか。
この部分に答えがなければ空虚な評論家であって、支援者とはいえないでしょう。

インターネットの普及との対比で現在を「産業革命前夜のイギリス」と表現した人がいるようです(梅田望夫『ウェブ時代をゆく』ちくま新書、22ページ、2007年)。
梅田さんは「変化がかなり進行し、日本社会もずいぶん大きく変わったと過半数の人が感じる時期を『2015年から2020年あたり』とイメージしている」と同書に書いています(198ページ)。
2012年は、これでいうと情報社会が確立する以前の過程をかなり進んだ時期です。
確立した情報社会はインターネットの普及だけにはとどまりません。社会関係、人間関係がフラットな関係(上下関係から等質な関係)に移行します。
そこでは自己実現の条件が広がるとともに、その条件を提供できない社会や組織は衰退していくものと思われます。
事態はその方向に向いていると予測します。10年以内に社会の中心がそうなるというのは梅田さんのイメージと重なるのです。

不登校情報センターの取り組みは時代の動きの最先端にいるわけではありませんから、それを大幅に割り引いて読んでもらわねばなりません。
それでも情報社会の新しい姿と結びついている気分はします。
2011年をふりかえると、引きこもり経験者が自分の好きなことを「収入にするための取り組みに動き出した」と認めることができるでしょう。
もちろんこれからも紆余曲折があるにしてもです。
不登校情報センターはここに2段階の3つの分野の支援を続けています。
(1)不登校情報センター自体を収入が得られる作業場、準職場にすることです。
フリースペース(ワークスペース)での作業量が増え、作業費をより多く支払える収入になる取り組みができることです。
その中心は、不登校情報センターを「ウェブサイト運営業」として成長させることです。
*これは東京仕事センターのチラシで「NPO」の仕事としているのに相当するのでしょう。
(2)不登校情報センターに関わる引きこもり経験者が自分にできそうなことを「仕事づくり」として企画できるようにし、実現を応援することです。
メイクセラピー、ヘルプデスク、編み物教師、文通相談、居場所コーディネーター…など。
ここでの不登校情報センターの役割は、当事者それぞれの「好きなこと・得意なこと」を伸ばし、交流と発表の機会をつくり、広報と事務的な面を支えていくことです。
昨年はこの面が浮上し、顕著な成果がありました。いまもこの流れは続いていて、これからの発展にかかっています。
(3)もう一つは当事者の創作活動を生かすことです。
動きとしてはいまは「やや停滞」のときです。
創作活動を商品に結びつけること、ネットショップを実質的な動きのあるものにすることが課題です。

この3つの方法はすべてまだ萌芽状態です。
そして「仕事のなかで自己実現する」レベルもまた萌芽状態です。
社会参加としての性質を見るならば就職を否定しているのではありませんが、就職ではない仕事づくりでもあります。
「訓練をして就業に向かう」方式ではない方法を萌芽状態において現実化してきたものと認識しています。

引きこもりからの社会参加について(その2)

十年前にこの理解にたどり着いた私は、それとは違う方法を試行錯誤してきました。
私の取り組みの重点は、当事者がその解決方向を自力で探し、つくりだすための条件づくりです。
当事者のなかでの人間関係をできるだけ自然な環境で積み重ねることです。
対人関係をつくるなかで、自分にできることを生かせるようにしたいと考えたのです。
これは行政機関からも他の支援団体からも評価もされないし、あまり見向きのされないものでした。
孤立無援の取り組みといっていいでしょう。
それは当事者にとっても楽な道ではありません。
それでもこの過程に参加し続けてくれた当事者が少なからずいたことは私にとっての支えでした。
不登校情報センターというスペースでは、あまり制約せずに好きなことを持ち込みやすくしました。
不登校情報センター内での作業を収入の得られるものにしようとしたのは、その一つの方法です。
まどろっこしい取り組みですが、当事者にとってはそれでも精一杯のこともあったと思います。
事態を理解できない人には何の役にも立たないことを続けていると思われたようです。
支援としては精神的なタフさを求められる方法、苦しい道を選択してきたことは確かです。
いまの時点では他の支援団体でも就職が唯一の道ではない程度には理解は広がったと思います。
たとえば東京仕事センターという公的機関のチラシ「多様な働き方専門相談」には「NPO、ボランティア、農業、在宅ワークなど、企業に雇用される以外の多様な働き方に関する相談に応じます」とあります(太字はチラシにおいてアンダーラインで強調されているところです)。
これに対応する就業支援のNPOや民間機関は私が試行錯誤をしてきたことが参考になるのかもしれません。

ところが世の中の動きはまた別のことを教えてくれました。
引きこもりから社会参加の方向に近づこうとしていたはずなのに、社会の方が引きこもり状態に近づいてきていると感じるのです。
このような形で引きこもりと一般社会が接近するとは予想してこなかったことです。
これは引きこもりの社会的な意味には別のものがあると示唆しているのです。
引きこもりの原因・背景は、直接的には対人関係のゆがみや脆弱性、人間が成長する環境の衰弱・変化によるものです。
それとともに、その土台に歴史的な社会の大きな変化がある、それを感じさせるのです。
その歴史的な変化を、無意識的に受けとめる感性ゆたかな人たちが事態を先取りして表現しているのが引きこもりともいえます。少なくともそのような人が引きこもりのなかには少なからずいます。
一般社会の人たちもようやく社会の歴史的な変化が、自分の生活にも及ぶと感じ取りつつあります。ところが社会システムはなかなか時代の変化に対応しません。それを感じて、人々は適応するのに内側からブレーキをかけ始めつつあるのです。
それが一般社会の引きこもりへの接近であり、壁が低くなっている背景事情といえるのです。
引きこもり経験者には「仕事とは自分を殺してやるもので、自分を生かすことと仕事は対立するもの」という感覚の人が少なからずいます。
「仕事のなかで自己実現する」時代が近づいたからこそ、このような感覚が際立ってきているのです。
歴史の変わり目というのは、このようなパラダイムシフトの生じる時代です。
言いかえれば「自己実現なき社会参加」は、どういう形であれ、魅力を失っています。ことに若い世代においては拒否されているのです。
(つづく)

引きこもりからの社会参加について(その1)

あるシンポジウムの案内チラシを見せながらH・ Iさんが言いました。
「引きこもっていた人が就職してもしばらくすると辞めてしまうことが多いみたいですね」。
シンポジウムにはそういう内容もあるようです。
「そういうことは十年前からわかっていたことですけどね」と私は答えてしまいました。

先見の明があったわけではありません。
いろいろなことをそれまでに見聞きしていたからです。
とはいえ全員が就職しても継続できないと考えたわけではないのです。
90年代末に「人材養成バンク」という取り組みをして、就職以前の問題が中心になると思いました。
大塚時代にI ・Oさんが突然、事務所に飛び込んできて、「もうダメだ。あんなところでは働けない!」といったのが、就職ではないかもしれないと感じた最初です。
I ・Oさんの場合は「人材養成バンク」ではなく、自分で探した就職先のことです。

2001年から2003年にかけて「将来生活の姿」というアンケートをとりました。
引きこもりの経験者はどう意識しているのかを調べたのです。
回答した当事者には“楽観気分”(?)はありました。
それでも自由業型やSOHO型の割合が多く見られ、就職型が中心とはいえないものです。
その間にも不登校情報センターに関わっていた人が、それぞれの仕方で仕事に就いていきました。
正社員は少なくて(これは雇用政策が影響しています)、アルバイト、登録・派遣社員、パート労働、請負型などです。
数か月後には多くの人が辞めました。数年働いている人もいますが(今も継続している人もいますが)、むしろ例外的です。
多くが短時間労働、私がハーフタイム就労といっているもののどれかに該当します。
事態をこのようにとらえなおしたのは昨年のことですから、10年間は最終的な評価を私は保留していたともいえます。
最終評価をしなくても、そのときどきにやるべきことは明確になっていました。

行政機関の就業支援方法は、訓練をして就業に向かうことになっています。
また他の支援団体が、「職親」などの名称で取り組んでいるのも聞きました。
私が「人材養成バンク」といったことと内容は似ています。
やがてそれに関する動向も聞こえなくなり、事実上消滅したのです。
それは新しい形での「人材養成バンク」の可能性をなくすもので、私にも残念なことです。
引きこもり経験者の事実にあった対応方法でないとうまくいかないことを教えているのです。
たとえば地域若者サポートステーションの一部では「訓練をして就業に向かう」方式だけではないと聞きます。
なかばフリースペース状態のところもあるようです。現実が反映しているのです。
こういうことをわかった上で「十年前からわかっていたことです」というのは不遜に聞こえるかもしれません。
そんな気持ちはありません。
支援者と支援団体が引きこもり経験者をより深く理解しないことには、事態は好転しないです。
それが少しは理解されてきたという思いがこのことばになったのです。
(つづく)