(126) 「お馬鹿さんは楽しい」

7月 6th, 2012

 生きる事が下手な僕だけど、不器用なままの自分でありたくはない。
 生きる事が下手な僕だけど、まだ人生全てに諦めたりはしない。
 幼い子供のように、板チョコアイスをかじりながら、ぺらぺらしている僕だけど。
 前を向かず後ろばかりを振り返っている僕だけど、何とか生きていられている。
 ある意味では、暮らしが豊かであるからなのかもしれない。
 少しずつにも子供に返っていくような自分、大人になれよと言われても、全く御免だねと逆らうかのように。
 季候の変わり目と共に、心境も多少の変化をしていく。又も、六月という梅雨時期に入り、昨年とは違ったような心意気となる。
 何かがあるから、僕は生きていられる、誰かがいるから僕は僕らしく生きていられている。
 そして、今のような現状のままで許されている。生きる事が下手な僕だけど、それで許され生きていられる。
 それで悩んでいられている、その上、ふざけていられている。虚しさや切なさと共に、何となく楽しくもなる。  

(125) 「ドリンキング・シェイク」

5月 25th, 2012

 やれやれだと思いながらに、今でもなお幻想へと浸り続けている。
 まだ少年のような自分でありたいと思う気持ちもあれば、又、どこかでは変化を求めている。
 現在にいる幼いような自分から、ビジュアル系の自分へと変身をしてみたいと思っている。
 ずっと同じような姿ではありたくない、歳を重ねて老けて行く事での意味とは違って、格好でのイメージチェンジである。
 もう今のような現状にいる自分には、そろそろ飽きている。約十年振り程になって、子供の頃によく飲んでいた飲み物を思い浮かべては、中高年期と年寄りになる手前に子供向けであるようなものへと感心を抱きたくなる。
 幼かった頃に好きだったクリームソーダやミルクセーキなど。
 他にもシャーベットドリンクやアイスフラッペと言ったデザートドリンクも、主には子供向けな飲み物である。
 大人向けなコーヒーや紅茶なども良いが、時に幼き頃に若返ってみたくなるも良し。
 ミックスジュースのような、オリジナルドリンクを作ってみよう。
 お子様向けなドリンクやデザートを、大人のようには気取らずに。
 子供である時に感じる喜びなどが、最も大事なものに思える。

(124) 「アイスクリーム パラダイス」

4月 1st, 2012

 ペパーミントアイスクリームとバニラアイス、そして最上段にはストロベリーアイスの三段重ねをしたアイスコーン。
 一時期での間、若者達の中でダブル重ね形式のアイスクリームが流行した時代があり、街中で若い少女達などが片手にダブル重ねのアイスコーンを舐めながら歩く格好がはやった時があった。
 懐かしき頃、自分も子供の頃にはアイスクリームを二個重ねて食べた事も度々にあった。
 自ら記憶に残っている、1970年代後期から1980年代に渡って過ごしてきた子供時代が甦る。
 ペロッペロッとアイスを舐めながら、チャラチャラと微笑む。又、他にも牛乳と混ぜるだけで簡単に出来上がるようなデザートなども新発売された時代もあった。
 今となっては、もう遠い昔の年代の話になる。
 夢のようであるかもしれないけど、今自分が思いを抱いているものは、先の将来ではなく、子供の頃に自らが見てきたものへの輝きなど。
 子供の時の自分でなければ、素直な気持ちで受け止められない頃での自分を見つめ直している。

(123) 「時の濁流に押し流されるな。」

4月 1st, 2012

 勉強や学力を身に付ける事は、主に義務教育である子供の間や、中高生時期と成人を過ぎてからでも、勉強をする事が面倒くさくなる高齢期になるまでは。
 頭も精神も若く生きているうちに、色々な学問や社会知識など多くに学んでおくに越した事はないように思う。
 勉強ばかりが脳ではないと言う一説もあるが、それは全く勉学に取り組まなくても良いと言った訳ではない。
 勉強の遣れる間が幸せであり、又、勉強をしていられる程に楽なものはないのだ。
 自分が中学、高校に渡っての未成年期であった頃には、父親からはそのように叱りを受けてきた。
 出来る事なら、また子供に返って再び生涯をやり直したい。
 なぜに大人にだけは歳をとって行かねばならないのだろうか。
 一刻一秒たりとも、無駄に過ごしてはならないかのような心境でいる現在の自分。
 なくしてしまった思い出の欠片を拾いながらのように。
 今であったら、あの時に父親から口うるさく言われた事が、今なら素直に受け入れられたかもしれない。
 あの時、今では絶縁となってしまった過去の友人においても、今なら彼に対して素直な気持ちを現せるかもしれない。
 何もかもが、過ぎた後の祭りとなった。もう、これから先へと自ら生涯を進んで行きたくはない気がしてならない。
 先の将来だけに急ぐな! 行くな! 慌てるな!。
 暫くは思いとどまり、振り返るのだ!。

(122)「新年、あけまして、めでたくはない。」

4月 1st, 2012

 ああ~、全くやるせない程に時期だけは過ぎてゆく。
 (新年おめでとう)なんて言っている場合ではないかのように。
 年の始まりは、何となく不安な気持ちだけが心に強く高まってしまう。
 何でもないような日常の中で、毎日のように飼い鳥を手のひらに入れ、じっとピアノの演奏音楽をレコーダーから流しては静かに耳をすませて思い出などに浸っている。
 何でもないように日々変わらない事が最も大切なものであるかもしれない。
 特別に何かが楽しい訳でなければ、又、何か嫌な気分な訳でもなく。ごく当たり前のような日常である。
 暫くは、ずっとそのままにして小鳥と共に過ごしていたいと思う。
 現実社会からは目を逸らし、小鳥と一緒に幻想へと浸っている。
 悩む事が好きな自分、ふざける事が好きな自分、決して間違ってはいない。
 どこかは人格的に外れていても、もっと外れていい。真面目になどなるものか。

(121)『さあ、アトラクションゲームの始まりだ』

12月 1st, 2011

 ただ、世間知らずなままでは、幸せな場合もあるかもしれない。
 けれど、決して憧れを抱いたりはしない。
 自分も、現在よりも年若かった時から全くの世間知らずなままで過ごしてきた訳ではない。
 何も、自慢げに胸を張って主張をする事ではなくても。
 心も体も幼い子供でいる間は、まだ世間知らずで良くても、未成年期から成人を過ぎるにつれて、段々と寂しくなってくる。
 何をしても認められず、いかなる社会からも抹殺をされるような事もある。
 それだけに、苦しく辛い思いなどは、あっても当然である。
 笑いが主である喜劇な世界は、裏を返せば悲劇になる。
 傍から見れば愉快そうでも、その世界の中にいる芸人達にとっては愉快ではない。
 過酷な試練の世界でもある。
 あまりにも現実社会は、酷くつまらなくも、又、味気なくさせる。
 これから数十年後には、また日本と他国との戦争が起こるかもしれないと予測されている。
 まだ確定はしていないようだが。
 先の事などは、今から深く考えるのはやめて、最も今現在にいる時が重要な時期だ。
 ずっと、この先も暫くは、あれこれと悩み迷い続けて行く、楽しいと思える程に。
 始めから解答がわかっていては面白くはない。
 日々生きている事が新鮮に思えていた、幼き子供の頃であったように。
 主に子供だった頃に、自分が少しだけでも憧れを抱いた事があるもは、
 それから暫くしてからの年期が経った後での大人になった時に、
 ずっと長い間にして忘れていたものとして再び返ってくる。
 ようやく見えかけてきた自分らしさのように。
 ここから始まるさ、全てはまた。
 生きてゆくのは辛いけど、青春はまだ、終わってはいない。
 そう自ら思える。

(120)『とくにテーマは無し。』

10月 1st, 2011

 夏も潮時に近づいてきている、9月の時期。
 少しずつ日が暮れるのも早くなり、夕方頃には、秋風が周りに吹き始めている。
 今年、3月11日での東北太平洋沖地震(東日本大震災)から約半年程が過ぎた現在。
 今では、もう済んでしまった過去での自然災害であり、二度と振り返りたくはないものである。
 しかし、嫌でも現実と向き合わなければならないような事態の時もある。
 これから先の生涯を思えば、生きる事が怖くなってしまう。
 何とかなるだろうなどと、容易く考えてはいけない。
 実は、真剣に自分は悩んでいるかのような表情をしても、心の底では世間を甘くみている誠心もある。
 多少は、ふざけていなければやってはいられない。
 ゲームのようなバーチャル世界で、何にも悩まないでいる事など格好悪すぎる。
 なんて、つい格好付けて言ってみたくなる。
 格好付けてもいい、ふざけていてもいい。
 生きるのが下手な自分でも良いとは、割り切ってはならない。
 金欲や物欲などは、そんなに無くてもいい、けれど、貧乏にはなりたくはないと思う気持ちもある。
 そして、多少の性欲などは持っている。
 そう、全く性欲無しでは生きられない。
 何のために男女の性別での違いがある意味が分からなくなってしまう。
 まだ未成年期程の年若い少女達は、時に無防備な姿で一時の間でも楽しませてくれる事もある。
 その辺りで抑えておき、今に生きている時を、悩むように楽しむしかない。
 お前は、ふざけた奴だなと言われながらに。

(119)『今でも僕は、あの頃のままに』

9月 1st, 2011

 久し振りに、過去に関わりが長くあった兄貴分の人間との再会があった。
 平成23年(2011年)の6月中旬期。
 彼は昔から、ギターを弾いては自ら作詞作曲をしていた、言わばフォークシンガーのような人であった。
 自分も過去に、十数年程前の頃には、彼と共に演奏会などで歌った事もある。
 その彼と、約3年振り程の再会であった。
 自分達が知り合った当初の頃より、互いに歳は老けてしまったものである。
 もう、あの頃のように若返る事は出来ない。
 残念無念さゆえに、若き熱い時代であった頃には。
 皆が、昔であった時のように成長をしないままではない。
 忘れかけていた事柄が、少しずつも甦りながらに再会へと近づいてくる。
 これから将来だけを考えるよりも、最も重要な物事があるような気がしてならない。
 前向きにならなくていい、ふざけながら、悩みながらに歌を歌おう。
 そうだよね、今や疎遠となってしまった人達。
 猛暑が続く日々の中、気分的に苦しくなってきても構わない。
 年々に、歳をとって行くのは怖く不安にはなる。
 けど、どうにもならない。現在での被災地復興のように、もう一度、全て始めから出直すべきかもしれない。
 今のようなままではいけない、そう思いつつも、先の新たな光も見えはしない。
 全く、どうにも気がおかしいようなままでいる。
 でも、それが自らにおいて、最もな人生でもあるように思えている。
 もう、結局しまいには笑ってしまうしかない。
 ワタシ馬鹿よねえ、お馬鹿さんよねえ、アハハハ!

(118)『若い時は、暗黒な時期でもある』

8月 1st, 2011

 1990年代での半ば期頃、当時、自分は成人(20歳)を迎えて間もなかった、あの頃。
 夏の時期になる少し前での春先、何となく多摩川の川辺りを歩いていた平日の夕暮れ時、川に降りる手前にある土手の斜面にて、当時、中学生か高校生位の学生服を着てうつ伏せで倒れている若い少年を目撃した。
 その姿は、ある程度に目を覆いたいかのような姿勢でもあった。
 彼は、地面にもがくかのようにも両手首からは血を流し、彼が倒れている手元には農薬らしき小瓶が1本転がっていた。
 おそらく彼は、その場で自殺を計ろうとしたかに予想されていた。第一発見者である自分は、ゆっくりと彼の背中をさすりながら耳元で声をかけた。
 「大丈夫ですか、声は聞こえますか。」そう言っては背中をさすり、何度も耳元で問い正した。
 日頃、あまり良心が湧かないわりには、この時ばかりは見過ごしてはならないと思う気持になっていた。
 しかし、全く何も反応はなく、彼はただ倒れているだけであった。
 生きる事は苦しい。
 生きるのが上手ではない自分自身、つい格好付けては、駄目な自分を隠そうとする。
 時に、自分を追いつめる事も必要であると、そう言われたものでもある。
 けれど、まあ、何とも言い難い。
 人の生涯は、いかなる時に急変するかのような転機に追い上げられる場合だってある。
 突然に起こる大地震などで尊い命を去った人達など。
 主題に戻れば、安住に居座っていられる程に苦しいもの。
 現代社会という危ない時代には、幾らかの失望を思う。

(117)『もう、いい加減に目を覚ませ! ではない。』

4月 1st, 2011

 何をすればいいのか、僕は一体、どうしたら良いのか。
 何もしたくはない、ほとほと、現在に置かれている境遇におき、落胆してしまうばかりの現実情。
 又、逆の意味では何らかの転機となる前ぶれのような気もしている。
 ただ、平和に楽しく生きるだけが人生ではないのだから。
 全て、これでいいのだと割りきってはいけない。
 自信など持てなくていい、決して常に心に余裕は抱かない。
 モテようなどとは思わない、多少は格好付けていても。
 もっと自分が、みじめになってみなければ気付かない事もある。
 社会的抹殺、それは、いじめ等よりも場合によれば恐ろしいものであるかもしれない。
 もう、安住にばかり居座ってはいられないかのような気がしている。
 残された時間は、一刻一刻に追いつめられる。
 いつまでも若い自分ではいないのだと、もう過去には戻れなくても、ただ先へ先へと進む事だけは、もう少し考えさせてくれないか。
 もう少し思いとどまらさせてはくれないか。
 心が浮遊をしたようなままで、大人への階段などは登れない。
 そう、進んで登らなくてもいい。
 自ら自身、焦らなくてもいいと精神に言い聞かせてようとはしても、やはり、どこかで焦りを感じてしまう。
 今現在での自分、それはもう青年期での後半期に近い状況に置かれていると思っても良い。
 いつもただ、誰かと互いにふざけ合ったりしているだけでは、その種がある程度に尽きてきたようにも思えている。
 もう一度再び、幼な子からやり直そう。
 例え、現実では無理な事であっても。
 自ら妄想に浸り、あの頃へとタイムスリップするのだ!
 おおよそ40年程は前であった、あの頃に。