1990年代での半ば期頃、当時、自分は成人(20歳)を迎えて間もなかった、あの頃。
夏の時期になる少し前での春先、何となく多摩川の川辺りを歩いていた平日の夕暮れ時、川に降りる手前にある土手の斜面にて、当時、中学生か高校生位の学生服を着てうつ伏せで倒れている若い少年を目撃した。
その姿は、ある程度に目を覆いたいかのような姿勢でもあった。
彼は、地面にもがくかのようにも両手首からは血を流し、彼が倒れている手元には農薬らしき小瓶が1本転がっていた。
おそらく彼は、その場で自殺を計ろうとしたかに予想されていた。第一発見者である自分は、ゆっくりと彼の背中をさすりながら耳元で声をかけた。
「大丈夫ですか、声は聞こえますか。」そう言っては背中をさすり、何度も耳元で問い正した。
日頃、あまり良心が湧かないわりには、この時ばかりは見過ごしてはならないと思う気持になっていた。
しかし、全く何も反応はなく、彼はただ倒れているだけであった。
生きる事は苦しい。
生きるのが上手ではない自分自身、つい格好付けては、駄目な自分を隠そうとする。
時に、自分を追いつめる事も必要であると、そう言われたものでもある。
けれど、まあ、何とも言い難い。
人の生涯は、いかなる時に急変するかのような転機に追い上げられる場合だってある。
突然に起こる大地震などで尊い命を去った人達など。
主題に戻れば、安住に居座っていられる程に苦しいもの。
現代社会という危ない時代には、幾らかの失望を思う。