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第五章 1980年代後半からの母性肯定とその後

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第五章 1980年代後半からの母性肯定とその後

 

1980年代の後半に入り、少女まんがの世界では出産まんがや母性に肯定的な作品が増え始める(コミック学の見方、1997)。
それらの作品の中で、主人公たちが、自分が母になること、母であることを受け入れていく過程が示されている。
では、主人公たちはどうやって自分が母になる事、母であることを受け入れていったのか。
『ホットロード』紡木たく(1987)、『イグアナの娘』萩尾望都(1993)の二つの作品を見てゆく。
『ホットロード』は、母親の誕生日に主人公和希が万引きするシーンで始まり、母親の無関心によって逆に傷つけられる。
母親とのすれ違いと和希の恋愛がメインで展開され、重要と思えるのは彼氏である暴走族のヘッドハルヤマに「あれさー親さー、しょうがねーじゃん あいつらもいきてんだからさー、そお思っとけば良いじゃん」といわれるところで、この言葉により和希は、母親を自分の母である前に一人の人間としてみることとなり母親に対しての言動が変化する。
そして母を一歩引いた視線でとらえなおした後、最後の場面で「ずっと先でいい、いつかハルヤマの赤ちゃんのお母さんになりたい」でくくられる。
この作品は、母性の全肯定と解釈される(コミック学の見方、1997)が、そういってしまうには道のりが長い。
この作品は、無条件に母になることを受け入れたのではなく、彼氏の台詞によって一度、母に対する見方をとらえなおしたことが重要であると思える。
ここでは、母親となんらかの問題のある女の子が、自分が母になることを望み、自分のなかの母性を認めるには、母性を無条件に肯定する前に自分の母親との関係を見直し、母を一人の人間として見つめる視点を必要としているとしたほうが納得いく。
そのことは、萩尾望都の『イグアナの娘』(1993)からも伺える。
『イグアナの娘』は、自分の娘がイグアナに見える母親と、その娘が描かれる。
やがて成長した娘も出産するが、自分の子を愛せなくて困る。
そんな時母親の死の知らせが入り、それを機会に母親を理解しようとし、思いやった後に自分の子を愛せるようになるまでが描かれる。
この作品においても、母の死がきっかけで、母への視点が一歩引いてみる視点となり母とのわだかまりが解ける。
子を愛せるようになるラストシーンで終えながら、安易に自分が母になることを受け入れているわけではない。
それは到達であり母からの解放である。
娘が自ら母になりことを受け入れるには母と娘の関係をこえて一人に人間として母をみつめる過程が必要である。
それは娘にとっては母との問題の一つである。
1990年代以降少女まんがには70年代、80年代で母との問題を取り上げたように、ネガティヴな母と娘の関係を取り上げた作品は少なくなり、新しい家族のタイプが描かれるようになる。
『明るい家庭の作り方』(くぼた尚子、1992)は、女優の母親と小学生の娘をコミカルに描く。
母と娘が一つのケーキを取りあうなど、姉妹のような関係で登場する。
どの母親も家事育児共に苦手で、中には継母という設定がある。
しかし、描かれ方は今までのように子供スタンスで見た母親像だけでなく母親サイドのスタンスや内面を少なからず入る事で、読者は母と娘、両方の視点で感情移入できるようになっている。
家族は一度危機を迎えるが、新しく信頼関係を築き上げるまでが幾つかの短編で描かれる。
この作品では家族は自明のものとして暖かで居心地のよい人間関係を理想としながら、それぞれの歩み寄りによって作ってゆくものというメッセージがこめられる。
『こどものおもちゃ』(小花美穂、1995)では作家の継母と子役タレントの娘という設定を用いて描かれる。
少女マンガにおいて継母設定は昔からあるが、それは孤児院で育つ設定(デザイナー)や浮浪児の設定(はみだしっ子)などと同じく一度家族と自分との間に心理的距離を置いて自立のステップとする意味があると思われる。
数ある少女まんがでは、「前世」という設定を用いたものもあり、これも同じだと考えられる。
ただ、『はみだっしっこ』で家族が否定され、『デザイナー』で恨みを描いたように母親や家族を否定するような形には『子供のおもちゃ』はなっていない。
むしろ、ここでは継母との関係は実母と面会する前後も強いつながりを持ったものとして描かれ、継母設定ながら信頼はむしろ強化される形をとる。
ここではこの作品が低年齢対象という理由もあると思われるが、『残酷な神が支配する』は別として、90年以降ネガティヴな母親象を書くより、母親と良い関係を築くものが多くなる傾向にある。
この作品においては、継母は娘が母親と適度な距離を保ちつつ、母と密接な信頼関係のままで母から自立する構造があるが、継母という設定は母と子という関係から抜け出てやがて個人対個人の関係へと移行する課程を表すのに適していると思える。
現代社会では、思春期を迎えた後も母親の存在が生活においてかなりのウエイトを占める時期が長いが、そのような親子関係にうまく対応した描き方に思える。
2000年発表の『ハハウエと私』(大野順子)は、作家の母親と家事手伝いの娘に加えて娘の恋愛が描かれる。
また、未だ母親とその別れた夫との精神的つながりがまだ暖かいものとして描かれ、先の山岸涼子や、萩尾望都の作品と比べても、90年代以降では、母親の周辺の恋愛も含めてポジティブな要素として入ってくるものも多い。
翌年発表され、母親サイドの視点により重点を置き、なおかつ血の繋がっていない家族を描いたものに、『ニコニコ日記』(小沢真理)がある。
10歳の仁子を引き取った女性が仕事と子育てとにはさまれながら、良い母親を務める。他人から始まって家族より強い関係になる所は、家族を否定しながら血縁に頼られない関係への可能性を導く。
作品は比較的年齢層が高めの雑誌に発表され、読者は引き取った女性と引き取られた仁子の両方に感情移入するうち、母親の大変さも理解してゆく。
藤本由加里、『私の居場所はどこに在るの』によれば、離婚家庭設定は80年代末から少女まんがの世界で目だって増加した。
それは現実の家族環境がそういった設定に感情移入しやすくなったからであると解釈できる。
1999年から発表されている『フルーツバスケット』は主人公、透の母親は良い母親として描かれ、なおかつ死亡している設定で描かれる。
「良い母親の死」は、『トーマの心臓』で見たように自立を促すものであるが、透を除いて多数の子供たちは親によって傷つけられた子供たちとして描かれる。
ここでは、家族によって傷ついた子供たちをリアルにえがきながらも、透によって家から自由になること、一人一人が変わってゆくことが一貫してメッセージされ、そのメッセージは読者に伝わる。
自分が変わってゆくこと、それも、母との問題をこえてゆく一つの回答といえる。
90年代以降の作品では、家族や母性、自分が母になることを保留しない.
しかし家族は何の問題もないものではなく、不和や継母を描き華族が安定したものでないことをふまえた上で、新しく家族間の人間関係を築くことで家族や母でありことを肯定するタイプが描かれるようになる。
また、父親の存在も,影が薄いながら描かれる。

少女まんがに描かれた母親像
第一章 子育てに関する家族史
第二章 まんがについて
第三章 母と、娘の個の確立ー山岸涼子の作品を中心に
第四章 母の生き方と娘ー萩尾望都の作品から
第五章 1980年代後半からの母性肯定とその後
結論&註・参考文献・まんが資料

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