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Center:(1)人材養成バンクの不燃焼体験

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(1)人材養成バンクという不燃焼体験

1998年春に、不登校情報センターは取り組みの一つとして、人材養成バンクというのに取り組みました。
人間関係には不安であるが、「できれば働きたい」という人を対象に、彼らを受け入れようという事業所(企業など)をさがし、引き合わせようという試みです。
  約80人の若者が人材養成バンクに加入しました。
事業所の方も数十カ所になりました。
土木建設会社、飲食店、農場・農家、清掃会社、パソコン利用支援会社などです。
これらの事業所には、就職ということに先立つ、研修・自習の機会をつくってもらい、そこに若者に参加してもらうように勧めました。
期間は数日(3~5日程度)、農家の場合は1~3か月です。
パソコンの研修は1日5時間で5日間が一研修プログラムでした。
それを5回ほど開き、十数人が参加しました。
これはとりあえず目標は達成されたのですが、終了後、それを仕事にする人はその時点では出ませんでした。
その程度では、仕事に就くだけの技量を養成することができず、安い費用でパソコンの初歩を習える場になっただけです。
数人が農場・農家を希望しました。

しかし、行って3日目に「帰りたい」とすぐに帰ってきた人がいます。
2週間の準備の後、でかける前日に「やっぱり行けません」と断ってきた人がいます。
受け入れ農家が“住み込み”を前提としているのに、自宅から片道2時間半ほどを通勤すると言って、結局、条件のあわない人もいました。
ほかの職種も数名希望者はいたのですが、設定された研修・自習を終了した人は出ませんでした。
そういう中途半端な不燃焼以上に大きく感じたのは、応募しない人が大多数(50人以上)を占めていたことです。
加入した若者は「自分に向いている仕事がない」というレベルで判断したかもしれません。
しかし、私には、若者の心身状態は、実は仕事さがしどころではなかった、と思えるのです。
一方、協力を申し出た事業所からは、この事態を見て、「少し無理だったみたいですね」というおだやかな中止通告、応募者が1人もいないなかでの自然消滅が相次ぎました。
1999年春(人材養成バンク設立の1年後)に、一つの結論を出さざるを得なくなりました。
知人と話すときに、私の口を衝いた言葉は、「二階は作ったが、階段がなかった」と言うものです。
これらの若者にまず必要なのは、二階(仕事)ではなくて、階段(社会に出る力)だった、という意味です。
仕事場を用意するとともに、人と関わっていく力を育てなければならないという事態を、あらためて強く知らされたのです。

Center:〔3〕「人材養成バンク」の経験
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Center:(2)訓練と収入につながる場が必要
Center:(3)編集実務のある文通サークルの誕生

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