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Center:(2)第2回人生模索の会

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(2)第2回人生模索の会

人生模索の会の第2回の会合は、それから4か月後の2000年2月13日(日)になる。
この4か月の間に、通信生・大検生の会の名称を変更した「こみゆんとクラブ」の会合もあった。
1月30日(日)には「不登校・ひきこもりからの進路と学習」という講演会・相談会も実施していた。
人生模索の会は、まだ定例化されてはいない。
居場所の形ではない。
日曜日によびかけて開いた。
この第2回は通信生・大検生の会以来の、当事者の会の内容と運用の面で、転換点になった。

参加者は合計9名。
男性の5人は、猪江、香畑、甲賀、駒田、滝城。
猪江くんは地方在任で上京の機会があっての参加でした。
彼はその地方の引きこもり当事者の会のメンバーであり、このようなグループの経験をもっている。
女性は、宇里、河原、霞田、忍沢の4人。
霞田さんは学習塾で講師をしていて弟さんが引きこもり経験者です。
初回の参加者で出席したのは駒田くんと香畑くんの2人だけになる。
実はこういう参加メンバーが流動的になりやすいことは珍しくはない。
当事者の会というのは、こういうことになりやすい、いわば常態としてこうなるといっていいのでしょう。
第2回の会合についても駒田くんが紹介している。

「今回10名の方に参加していただきました(前出の9名+五十田)。
ありがとうございました。
前半まず自己紹介から始まり、その後、五十田さんに話を進めてもらいました。
しかし、一口に“引きこもり”と言っても経験や状態は人それぞれなので、一つにまとめて話を進めるのは大変難しいと思います。
話は主に就職問題。
しかしまだその段階にない人や就職を問題としない人もなかにはいたと思います。
後半は、みんなの希望もあり、フリータイムになりました。
この会は問題解決の場ではなく、参加者同士のコミュニケーションがいちばん大切な目的だと思うので、このフリータイムで集まった人同士の話ができたのはよかったかもしれません。
まだまだ課題はありますが、今回は前回より雰囲気はよかったと思います。
今後より多くの方に参加してもらい、打ち解けた会にするために定期的な会合(せめて2か月に一度くらい)ができればよいかな……と思っています。
本会終了後……近くのマックで二次会をやりました(みんな金欠では共通している?)。
ここでは難しい話はなく、趣味など軽い話、筋トレ派vs武道派の論争(!!)などにならない話(!!)で盛り上がりました」
駒田くんの話を私の見た感じで話そう。

会の前半が主に就職問題というのは、引きこもりから社会参加に向かう途上でのことが、体験的に語られました。
河原さんは実は定職についている。
倉庫番みたいな感じで、ほとんど人と話すことがない職場です。
職場や業種・職種によっては、引きこもり状態のまま社会参加できる一つの例のようだ。
しかし、それは河原さんにとっては解決ではない。
本人がそれに不安感を強く感じているかぎり、仕事に就いていること自体は達成ではないでしょう。
初会合のときの参加者“人妻さん”絹田さんの場合も、河原さんの場合も、女性には引きこもりではあっても、しぶとさみたいなものを感じる。
ある種の社会的許容のあることも関係しているのだろう。
宇里さんは30歳の女性。
彼女は女性同士で話し合えるグループを求めていたようだ。
この会合だけの参加で、後は参加していない。
現在の<社会参加を目指すひきこもり女性の会>を考える最初のきっかけになるヒントを与えてくれた人です。

滝城くんがこの席で言ったことは印象的というよりは強烈だった。

彼はこう言ったのだ。
「ぼくにとって必要な場は、トレーニングも兼ねて収入につながる、会社みたいなところです」。
これをなんの淀みもなく、普通のことを話す感じで、自己紹介の一部として話していた。
正直言って、私はいまも彼のこの言葉につき動かされ、一つの目標のようにしている。
滝城くんの言葉は、社会参加への過程を提案している。
十年の引きこもり体験といくつかのアルバイト経験をした人間として、その実感を話したのです。


駒田くんは、会の後半がフリートークになったことを語っている。
それは「みんなの希望」があったからです。
しかし、私は初めからそうするつもりだった。

というのは、初会合から1か月後99年11月23日に、こみゆんとクラブの会合を開いたときの経験がある。
このときの参加者は、糸奈、杉本、田入地、岩美、……など十数人。
1年ほど前に引きこもり経験者の自助グループをつくるといって相談に来た岩田さんと数人の仲間も参加していた。
岩田さんはその時点で、すでに「とびらの会」を運営していた。
会議室いっぱいに、机をロの字型に並べて会議式に話をすすめました。
これほど全員の意思を確認することはこれまでなかったのです。
というのは、その日あるテレビ局のディレクターから申し入れがあり、場の様子を撮らせて欲しいと言われていた。
参加者に事前に了承をとっていなかったので、会が始まる前に協議し、それについて話し合う必要があった。
一巡して意見をきいた後、「これは多数決で決めることではなく、参加者全員の了承がないと撮影は認められない」という結論を出した。
そのまま、こみゆんとクラブの本題(?)に入っていった関係もあり、会議式の会合になった。
しかし、その場の雰囲気はお互いに、話づらい、居づらいもののように思えた。

私はそれを1時間ほどで切り上げ、同じ会館内にある喫茶店にバラバラに入ることにしました。

そこで2人から4人にわかれて、席に着きます。
喫茶店を借り切っているのではないので、ほかのお客さんもいる。
しばらくして様子をみると、隣同士、同じテーブルを囲んでいる人同士で、とても熱心に話し合っている光景が目に入ってきた。
いまでもその場の様子を目に浮かべることができる。
そして思った。
必要なコミュニケーションは会議ではない。
ごく少人数によるおしゃべりのできる機会こそが必要なのだと。
少人数のグループで、自分の体験や感想を話すこと、表現すること、それが求められている。
私はそれ以降の当事者の会では基本的には、このおしゃべりのできやすいコミュニケーション、言いかえると雑談、その雑談形式(フリートーク)こそコミュニケーションの力を伸ばす場になると考えるようになった。
駒田くんは、駒田くんの目で、人生模索の会でのフリートークの役割を確かめることができたのだと思う。


駒田くんはファーストフードでの二次会についても述べている。
私は二次会には参加していない。
私がいなくても必要なこと、求めることを実現できるのであれば、それは自主性・自治性という点でいいと思う。
その先に何かを期待できる気がする。

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