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Center:(9)文通誌『ひきコミ』の創刊

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(9)文通誌『ひきコミ』の創刊

人生模索の会は、そのために毎回呼びかけをしなくても、勝手に集まってくる場になってきた。
このころから、当事者の会を開催する私に求められる役割の重点が少しずつ変わっていきつつあると思う。
主催者から場の設置者へ、一歩退く形である。
しかしまだ、自立的な当事者の会にはなっていない。
そのなかでも、いくつかの新しい動きや試みがあった。
香月さんが、進路模索の会というグループを提案した。
十代後半から20代前半までの学生的な人を対象にしたものである。
それがまだ軌道に乗らないうちに、1か月後には様相を変えた別の提案にきりかえた。
甲賀くんは、レクリエーション部をつくり、新宿を中心にボーリング、カラオケ、食事会などを事務所以外での取り組みを呼びかけた。
最初は10月9日(日)のことで、初回のこのときは雨天で12人が参加した。
以降、月1回の屋外活動をめざし、12月には忘年会に当て25人が参加した。
これらの取り組みは、結局長くつづかなかった。
香月さんは方向付けがつかめず立ち止った感じだった。
甲賀君は参加メンバーとのいざこざに起因している。
『ひきコミ』は2000年12月15日に創刊になった。
もしかしたら20世紀に市販され始めた最後の雑誌かもしれない。
その編集作業は11月の途中には終えていた。
その仕事を中心に、2000年秋以降には、いくつかの動きが錯綜していた。
私一人で全体を把握することに困難を感じた。
それで、「サポートスタッフ会議」というのを開くことにした。
『ひきコミ』編集作業の大詰めの11月4日(土)のことだ。
『ひきコミ』編集に関わること、人生模索の会とそのサブグループに関わること、訪問サポート「トカネット」に関わること、レクリエーションに関わることをそれぞれのグループ毎で意見交換し、それを全体に発表して確かめ合う方式をとった。
私の評価は各グループで問題を深める点は、グループ毎にバラつきが大きかった。
全体的に交流する点でも期待した結果は得られなかった。
それぞれが経験を重ね、自分が指導性の一部を担う形で取りかからないと、意見交換にはならないのだ。
ほとんどが指示を待って動いている人たちの集まりでは、創造的な討議は難しい。
当面の取り組みの様子からわかったことが得られた内容になる。
あとは一風変わった形でコミュニケーションの機会ができ、やや変則的な人生模索の会的な場になったといえるだろう。
この総会の後、参加者の多くは、ファーストフードやカラオケに行った。
人生模索の会を終了した後の行動パターンだった。
悪くはないのだが、私にはものたりなかった。
たぶんこのころの人生模索の会(当事者の会)というのは、リーダー不在の組織であり、それは居場所という性質を持たざるを得ないことと関係している。
私はさらに忙しく追われる日々が続いた。
この年末から年初めのこの時期は、毎年高校への進路相談の時期に重なる。
それに加えて電話が入り、昼間は私自身の時間がまったくとれずにいた。
引きこもり経験者に囲まれる日常が少しずつ形成されている。
結局、朝の9時ごろから夜の10時、11時ごろまで事務所に詰めることになる。
土曜、日曜日には、企画した進路相談会に出かけることはさけられない……こういう状態になった。

〔2〕人生模索の会と『ひきコミ』
Center:(1)人生模索の会のスタート
Center:(2)第2回人生模索の会
Center:(3)第3回人生模索の会
Center:(4)引きこもりの体験発表と交流・相談会
Center:(5)文通サークルの発足
Center:(6)CHIEKOさんの参画
Center:(7)『ひきコミ』準備号の発行
Center:(8)取材はつづく
Center:(9)文通誌『ひきコミ』の創刊
Center:(10)居場所づくりを考えてみる

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