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Center:(8)取材はつづく

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(8)取材はつづく

そのころ、『ひきコミ』の編集をしている香月さんと津島さんが、ある新聞の取材を受けて紹介された。それをみておこう。
情報誌の名は『ひきコミ』。
「ひきこもり」と「コミュニケーション」をかけた名前です。
誌上では、ひきこもりの人や人付き合いの苦手な人が書いた自己紹介の手紙を掲載し、文通相手を募ります。
すでに創刊準備号を発行。
今秋の本格的な創刊に向けて準備中です。
〈「わかるなぁ」〉
「寄せられた手紙を読んでいると、その気持ち、わかるなぁと思うことが多いんです。すごくまじめに考え込んじゃってて、自分に自信が持てなくて、でもたれかにわかってほしい、という。そんな思いをつなぐ情報誌にしたいんです」
こう話すのは、漫画誌編集の経験がある津島さん(25)。
報道で『ひきコミ』を知り、参加しました。
「編集の仕事って、人の一番言いたいことを引き出して、その気持ちをつなぎ合わせるのが、原点だと思うんです。『ひきコミ』はお金にならないけど、それがある。『動き出したい』と思っている人が、社会とつながるきっかけになったら、うれしいですね」
編集スタッフは、不登校情報センターのサークル「心の手紙交流館」のメンバー。
準備号は、十代~30代の12人が編集しました。
ひきこもりの経験者や「いまもひきこもりがち」という人もいます。
「編集作業なんて生まれて初めてなんです。Eメール派だから、手紙を書く習慣もなかったし。でもこの活動を通じて、初めて、〝あの一年〟を生かせるようになったんです」
スタッフの香月さん(21)=大学1年、ペンネーム=が話します。
「あの一年」。
香月さんは、医療系大学二年生のとき、約一年間、アパートから出られなくなったのです。
原因は、一年生のときから受け続けた女子学生の執ような嫌がらせと、二年生のとき男子学生が加わったことでした。
「大学をやめたい」と両親に電話しても、「念願かなって入学したのに、何いってんだ」と取り合ってくれませんでした。
泣きながら、故郷の友人に明け方まで電話。
始発電車の音を聞いて、やっと安心して眠れる毎日でした。
「街を歩く無関係な人まで恐ろしくて、玄関のドアに触れるのも怖かった。しんどくて、もう死ぬしかない、大学の屋上から飛び降りよう、なんてバカなことばかり考えていた」
香月さんには、夢がありました。
それは「患者さんの健康と心を支えられる人になること」。
高校時代にがんで友人を亡くしたことがきっかけでした。
「ベッドで苦しんでいる友人に、私は何もしてあげられなかった。もしも私が力になれたら……。そんな気持ちで大学にきたのに、なぜこんなひどい目にあわなきゃいけないの? と何度も考えました。恐怖の後に、怒りがわいてきました」
それでも嫌がらせはどうしようもなく、別の大学に入りなおしました。
〈5~6年間も〉
香月さんが、報道で『ひきコミ』を知ったのは、ことし6月でした。
恐る恐る最初の集まりに出かけてみたら、そこには、約十人の同じような経験を持つ青年がいました。
「『私、一年間ひきこもっていたんです』と話したら、『なんだ、あまいなぁ』『5~6年間は引きこもらないと、ホンモノとはいえないんじゃない?』なんて冗談をいわれて。なんだかホッとしました」
いままでに寄せられた手紙は、約百通にのぼります。
まだ会員が少ないので、スタッフで手分けして、手紙を寄せてくれた人と文通をはじめました。
そんななかで、「この人、私とおんなじだ」と思えた人がいました。
過敏性大腸炎で悩んでいる18歳の女子高生です。
人が多く、シーンとしたところに行くと、急におなかがゴロゴロと音をたてはじめます。
手紙の最後に、小さな文字で「私と似た病を持つ方……信頼しあえる友人が欲しい」とつづっているのが心に残りました。
〈アパート訪問〉
7月に文通をはじめて、お互いに書いた手紙は十通近くになりました。
8月中旬には、女子高生が初めて香月さんのアパートへ遊びに来ました。
「初めはずいぶん緊張していたみたい。相当、がんばったんだと思います。でも打ち解けてきたら、あれもこれも、とめどなく話が飛び出てきました。女の子は『私にとっては、手紙のやりとりができるだけでものすごいこと。人と会って話すことができるなんて』とうれしそうな顔をして」
女子高生との交流を通して、引きこもっていた一年間の受けとめ方が変わってきたようです。
「動き出せないときって、だれにもある。〝あの一年〟は、私にとって必要な一年でした。あの子の痛みがわかるようになれたのも、〝あの一年〟のおかげだし。いつか、あの子もスタッフになってくれたら、なんて思っているんですよ」
この後も、この秋は新聞などの取材が重なり、それらを見た人からの相談が続いた。
人生模索の会出席はわずかづつ増えていく。
人数が増えてきたのを機会に、10月には週2回開催しようと試みたがうまくいかず、結局11月からは毎週水曜日に定例化することに落ち着いた。
これ以来、人生模索の会は、毎週水曜日となっている。
参加者はこのころで毎回20人前後になった。

〔2〕人生模索の会と『ひきコミ』
Center:(1)人生模索の会のスタート
Center:(2)第2回人生模索の会
Center:(3)第3回人生模索の会
Center:(4)引きこもりの体験発表と交流・相談会
Center:(5)文通サークルの発足
Center:(6)CHIEKOさんの参画
Center:(7)『ひきコミ』準備号の発行
Center:(8)取材はつづく
Center:(9)文通誌『ひきコミ』の創刊
Center:(10)居場所づくりを考えてみる

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