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(3)同人誌からの人生デビュー(?!)

水原香苗さんは、個人情報誌『じゃマール』をとおしてメンバーに加わった。

当時は通信制高校生で18歳。
その彼女が同人誌の発行を提案してきた。
会報「通信生・大検生の会」は第14号から発行番号がつくようになっていて、彼女のこの提案を第19号(97年7月5日)に掲載しておいた。
水原さんと1、2度、同人誌について話したあと、彼女からは原稿募集案内兼企画書が送られてきた。
誌名は『ESCAPE』、原稿募集のテーマは<My home もうひとつの我が家>というものだった。
会報を読んだ桜井愛さんが一緒にやりたいと加わった。
2人は会ったり、電話でやりとりをして、準備をすすめていた。
2人ともそれについてはセミプロ的であったので、順調に進んだようだ。
ほかの会員からも手紙や手記、カット絵が水原さんの元に届いた。
私が“助言者”としてかかわったのは、それをいかに宣伝・普及するかだった。
2人の住んでいる茨城県南部と千葉県北部にある、タウン誌、地域新聞などを含むありとあらゆる(?)リストをつくった。
全国紙の支局も含まれる。結局全部で200か所のメディアがあり、10月に入ってできた準備号をそれらに一斉に送った。


大反響と言ってよかった。
2人は、特に水原さんは多くの取材を受けた。
ある雑誌からは連載の申し込みがあったという。
10月の後半には、いくつかの新聞で報道された。
新聞報道のあとには、不登校の子を持つ人から相談したいという人も現れた。
しばらくしてからのことだが、水原さんがある日、町の本屋さんに行ったときだ。
彼女の顔写真が地方の雑誌の表紙になっているのを見つけて驚いて逃げたこともあった。
取材や相談の電話が重なったある時期、水原さんは自宅から“避難”することもあった。
18歳の彼女には、とても受けとめられなかった事態だったと思う。
それでも耐えられた一つの理由は、マスコミは予想以上のしかたで取材を求めてくることを、2人に話しておいたからだと思う。

取材が集中する前の10月の中旬、横浜市社会福祉協議会主催で「不登校・中退者のための進路案内会」が開かれた。

私はここにあるかかわりで参加することになっていた。
水原さんと桜井さんに応援を頼み、同時に『ESCAPE』をその場で宣伝してみるといいと話した。
2人はやってきた。

その場で2人が目にしたのは、親たちの真剣で熱心な姿だった。
2人は、不登校やいじめを受けた体験者として、親たちの質問攻めにあっていた。
「どうしてここまでできるようになったのか?」という主旨の質問が、彼女たちには、意外で新鮮な感じのする質問だったように思う。
集会の主宰者側の人や学習塾で不登校を受け入れている人が二人を応援してくれて、そのこともまた2人には感動だった。
私は、彼女たちとは別の部屋に釘づけにされており、2人の当時の様子は全然見ていない。
帰りの電車のなかで2人から聞いたことだ。
この経験は、彼女たちに、自分に何ができるのか、それがどういう意味を持つのか、それが想像した以上のものであることを実感させた。
それも取材の波を切り抜けた力になったと思う。
ここでの『ESCAPE』準備号の宣伝効果と売上金で、それを継続していける見込みができた。

読者も生まれたし、原稿も集まるようになった。


翌1998年の春ごろには、水原さんの言い方によると、『ESCAPE』は同人誌を超えて、交流誌になっている、とのことだった。
私にはその違いはよくわからないが、雰囲気はわかる気がする。
後に『ひきコミ』を編集発行するようになったとき、『ESCAPE』のこの経験は一つの予行演習であったと感じていた。
水原さんはその後、不登校の子を持つ親から相談を受けるようになった。

彼女のお母さんと一緒に対応するようになった。
自宅へ来てもらうように考えていたが、彼女がその相談先の家に訪ねていくようにもなった。
さらに、あるフリースクールにその子どもたちを連れていくようになった。
『ESCAPE』は98年に入り2か月に一度のペースで発行していたが、5号をもって終わっている。

彼女たちそれぞれが、次のステップに歩を進めたからだ、と言っておこう。


その後2年近くたってある場で久しぶりに水原さんに会った。
つながりのできたフリースクールに週1回、スタッフ側の一員として参加していた。
桜井さんは、その後、文芸系の同人誌のグループに加わり、文芸作品の創作に熱中しているとのことだった。
最近きいたところ水原さんはフリースクールに行っていたときスタッフとして働いていた人と結婚し、地方でフリースクールを開いているらしい。
それをテレビで放送されているのを見ている人がいて、実は水原さんであることが判明した。

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