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(4)体験者から相談員(?!)へ

霜戸くんの話をしよう。
彼も『じゃマール』をとおして加わった一員だ。
1997年2月のことだ。
高校中退→高校再入学を経て、通信制大学生、19歳だ。
経歴のなかには拒食と引きこもりもあると聞いている。
「こみゆんとクラブ」(98年春になって「通信生・大検生の会」を改称)は、不登校情報センターの活動の一部になる。
不登校情報センターは、不登校生や高校中退者のための進路相談会という催し物も行っている。
最初は97年3月。翌年(98年)は1月から3月にかけて関東地域を中心に9か所で開いた。
98年の最初の相談会は千葉市の教育会館だった(1月17日)。
不登校生、高校中退者で高校などの入学先や進路を探す人の相談会だ。
その会には不登校でまだ進路どころではない人もいるし、引きこもりの人の親もいる。
そういう人が相談できるコーナーを設け、心理や教育の専門相談員を3人頼んでいた。
相談員には1人(または一組)の相談を終えると適当に小休止をしてもらうことになっていた。
会場は3階と4階に分かれている。
私がその相談コーナーのある4階から3階に降りてしばらく戻ってみると、なんと霜戸くんが相談員の席に座っている。
あるお母さんと話をしているではないか。
「おーっ! 大丈夫かな」と私は驚いたけれども、そのまま様子を見ることにした。
そのお母さんはやがてその場を離れる。
霜戸くんは、ひきつづき次の組と話し合っている。「まー、いいか」と思い、そこは事態のなりゆきに任せることにした。
しばらくして、「あー、すごく疲れました!」と霜戸くんが上気した様子で私のところにやってきた。
「どうだった?」と聞くと、「やーお母さんからいろんなことを聞かれました。……次から次へと聞いてくるんですよ。そのときどうしたとか、どう思ったとか……思い出せないこととか考えていなかったことが多くて……」。
どうやら霜戸くん自身の体験を質問攻めにされたみたいなのだ。
「いやー、親っていうのは、すごいエネルギーなんですね」というのが、彼の感想だった。
おもしろいというか参考になったというか。
それで、千葉につづく、東京、浦和、横浜の会場では、専門相談員の相談コーナーとは別に、不登校、中退の体験者と話をするコーナーを設けることにした。
霜戸くんと風凪さんと、ほか2、3人がたむろし、親たちと気楽に話ができる場をつくった。
受付や会場係とは別の役割ができているようで、そこにいるメンバーは少し活気づいているように見えた。
この経験は、体験者が相談者(?)になっていく、対応者(サポート役)が生まれる、その可能性に気づくきっかけになったものだ。
霜戸くんのあのときの上気した姿を思い出すと、うれしくなってくる。

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