カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


第二章 まんがについて

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(第二章 まんがについて)
 
(1人の利用者による、間の5版が非表示)
1行: 1行:
====第二章 まんがについて====
+
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:体験者・当事者に関するページ|体験者・当事者に関するページ]] > [[少女まんがに描かれた母親像]] > {{PAGENAME}} }}
少女まんがを取り上げた理由としては、まず、まんがが身近なメディアであることが上げられる。<br>映画、小説よりも年齢が低くても読め、また読者、作者が共に女性であること、大人の視点、男性の視点より読者のメンタリティにそって表現されたメディアであることから、母と娘の関係を扱う上で適している。<br>また、まんが独特の、規制の観念からより自由な発想、新しい発想を表現できやすいメディアでもあり、その設定の自由さ自体、解釈に値する表現である。<br>
+
まんがという表現の分野は、呉智英著の『現代マンガの全体像』(113ページ)によれば、明治後期から大正にかけて、印刷、出版、流通のシステムが確立されるとともに定着してゆき、新聞や雑誌を通して北沢楽天、岡本一平などの作品が発表されるようになる。<br>しかしまだこの頃の作品にはリアリズムはない。<br>まんがの表現は戦後、手塚治虫によって大きく飛躍した(夏目1997、87ページ)。<br>それ以前のまんがはその大衆性、教育性、啓蒙性を生かした、大人が子供に与える安全な読み物としてのまんがでしかなかったが、手塚治虫の作品によって表現手法と内容の両方に大きな変化がもたらされる。<br>手塚治虫は、まんがに映像的な表現を取り入れた他、人物の表情をいくつもの記号的表現を使って表すことで、表情にバリエーションを与えた。<br>またそれまでのまんがでは描かれることのかった登場人物の死をまんがで描く事、サイエンスフィクションや大河ドラマ的内容など、スケールの大きいものを描いた。<br>このように表現の内容が変化する事で読者層も変化し、まんがは子供だけが読むものではなく、青年も読むものとなった。<br>
+
少女まんがは戦後にジャンルが確立され、ストーリーまんがができる。<br>50年代、60年代に、わたなべまさこ、牧美也子、水野英子などによって作品が描かれた。<br>母と娘を扱ったものとしては、わたなべまさこ『すあまちゃん』(1953)、『マキの口笛』(1960)がある。<br>『すあまちゃん』は母と娘の愛情を描いた、「母物」といわれる作品で、その他、シンデレラストーリーも描かれる。<br>『マキの口笛』は、女優とその娘の物語である(二上、2005、36ページ)。<br>母と娘をテーマにしたものはこの頃から描かれていた。<br>60年代のバレエまんが、ラブコメ、スポ根まんがの流れの後、70年代になると少女まんがに新しい流れが生まれる。<br>それまでのタイプの少女まんがは手塚治虫、石ノ森章太郎らの男性漫画家やその流れを受けた作風のものであったが、この時期から漫画を読んで育った世代が漫画を描くほうに回って表現し始める。<br>70年あたりにデビューした24年組といわれる作家たちは、女性独自の感性や、新鮮な形式で、問題意識を押し出した作品を生み出し、その多くが今も意欲的な作家活動を続けている。<br>このころまんが誌の創刊も増え始め、新しい感覚を発表する場も大きくなった。<br>この頃、少女まんが家の少年誌へ進出もみられる。<br>
+
少女まんがは、70年代にその表現の上で少女まんが独自の発展がなされる。<br>それはまず、言語表現の分野から見られる。<br>まんがの言語表現は、フキダシ内の台詞と、フキダシ外の言葉によって成り立っているが、70年代に少女まんがのなかで台詞と別に内面の言葉をフキダシの外に表現する方法がとられるようになった。<br>これによりまんがで人物の内と外、台詞と内面の両方の表現によってより複雑な心境を描けるようになった。<br>フキダシの外の言語表現はさらに、語り手の言葉、時間を越えた言葉、など言葉を多層的に使用することで、表現はさらにより複雑なリアリティを持ったものとして人物の心理状態を描くことが可能になる。<br>
+
また、内面の言葉を軸にして表現する方法がこの時代発展する。<br>記号的な表情の発展と、死というリアリティのある表現を手塚治虫から引きついだ少女まんがは70年代に内面を表現しえるものとなり、80年代の少女まんがの多様化と共に、より複雑な内面や感覚の表現が試みられる様になる。<br>また、少女まんがの表現は言葉だけでなく、コマわりやオノマトペ(註2)の表現も著しい発展を遂げる。<br>コマ割りによって、現在と過去、回想などの時間の重なりを表現する事が考え出され、表現したい内容にそくした新しいニュアンスを持たせたオノマトペを漫画家が独創的に表現することで、さまざまな表現が実験的に試みられ、まんがという表現手段の中で、よりいっそう内面や感覚に表現が自在になる。<br>
+
まんがの表現は、多層的言語表現とより自由で感覚的な視覚表現とで成り立っている。<br>少女まんがの表現は、そのフィクション性を生かしながらも、言語表現と視覚表現の両方が作り手たちによって開拓され、表現したい内容に沿って独自発展することで、感情、内面の表現において細かな表現ができるよう発達した分野であるといえる。<br>
+
  
 +
==第二章 まんがについて==
 +
少女まんがを取り上げた理由としては、まず、まんがが身近なメディアであることが上げられる。<br>
 +
映画、小説よりも年齢が低くても読め、また読者、作者が共に女性であること、大人の視点、男性の視点より読者のメンタリティにそって表現されたメディアであることから、母と娘の関係を扱う上で適している。<br>
 +
また、まんが独特の、規制の観念からより自由な発想、新しい発想を表現できやすいメディアでもあり、その設定の自由さ自体、解釈に値する表現である。<br>
 +
まんがという表現の分野は、呉智英著の『'''現代マンガの全体像'''』(113ページ)によれば、明治後期から大正にかけて、印刷、出版、流通のシステムが確立されるとともに定着してゆき、新聞や雑誌を通して北沢楽天、岡本一平などの作品が発表されるようになる。<br>
 +
しかしまだこの頃の作品にはリアリズムはない。<br>
 +
まんがの表現は戦後、手塚治虫によって大きく飛躍した(夏目1997、87ページ)。<br>
 +
それ以前のまんがはその大衆性、教育性、啓蒙性を生かした、大人が子供に与える安全な読み物としてのまんがでしかなかったが、手塚治虫の作品によって表現手法と内容の両方に大きな変化がもたらされる。<br>
 +
手塚治虫は、まんがに映像的な表現を取り入れた他、人物の表情をいくつもの記号的表現を使って表すことで、表情にバリエーションを与えた。<br>
 +
またそれまでのまんがでは描かれることのかった登場人物の死をまんがで描く事、サイエンスフィクションや大河ドラマ的内容など、スケールの大きいものを描いた。<br>
 +
このように表現の内容が変化する事で読者層も変化し、まんがは子供だけが読むものではなく、青年も読むものとなった。<br>
 +
少女まんがは戦後にジャンルが確立され、ストーリーまんがができる。<br>
 +
50年代、60年代に、わたなべまさこ、牧美也子、水野英子などによって作品が描かれた。<br>
 +
母と娘を扱ったものとしては、わたなべまさこ『'''すあまちゃん'''』(1953)、『'''マキの口笛'''』(1960)がある。<br>
 +
『すあまちゃん』は母と娘の愛情を描いた、「母物」といわれる作品で、その他、シンデレラストーリーも描かれる。<br>
 +
『マキの口笛』は、女優とその娘の物語である(二上、2005、36ページ)。<br>
 +
母と娘をテーマにしたものはこの頃から描かれていた。<br>
 +
60年代のバレエまんが、ラブコメ、スポ根まんがの流れの後、70年代になると少女まんがに新しい流れが生まれる。<br>
 +
それまでのタイプの少女まんがは手塚治虫、石ノ森章太郎らの男性漫画家やその流れを受けた作風のものであったが、この時期から漫画を読んで育った世代が漫画を描くほうに回って表現し始める。<br>
 +
70年あたりにデビューした24年組といわれる作家たちは、女性独自の感性や、新鮮な形式で、問題意識を押し出した作品を生み出し、その多くが今も意欲的な作家活動を続けている。<br>このころまんが誌の創刊も増え始め、新しい感覚を発表する場も大きくなった。<br>
 +
この頃、少女まんが家の少年誌へ進出もみられる。<br>
 +
少女まんがは、70年代にその表現の上で少女まんが独自の発展がなされる。<br>それはまず、言語表現の分野から見られる。<br>
 +
まんがの言語表現は、フキダシ内の台詞と、フキダシ外の言葉によって成り立っているが、70年代に少女まんがのなかで台詞と別に内面の言葉をフキダシの外に表現する方法がとられるようになった。<br>
 +
これによりまんがで人物の内と外、台詞と内面の両方の表現によってより複雑な心境を描けるようになった。<br>フキダシの外の言語表現はさらに、語り手の言葉、時間を越えた言葉、など言葉を多層的に使用することで、表現はさらにより複雑なリアリティを持ったものとして人物の心理状態を描くことが可能になる。<br>
 +
また、内面の言葉を軸にして表現する方法がこの時代発展する。<br>
 +
記号的な表情の発展と、死というリアリティのある表現を手塚治虫から引きついだ少女まんがは70年代に内面を表現しえるものとなり、80年代の少女まんがの多様化と共に、より複雑な内面や感覚の表現が試みられる様になる。<br>
 +
また、少女まんがの表現は言葉だけでなく、コマわりやオノマトペ(註2)の表現も著しい発展を遂げる。<br>
 +
コマ割りによって、現在と過去、回想などの時間の重なりを表現する事が考え出され、表現したい内容にそくした新しいニュアンスを持たせたオノマトペを漫画家が独創的に表現することで、さまざまな表現が実験的に試みられ、まんがという表現手段の中で、よりいっそう内面や感覚に表現が自在になる。<br>
 +
まんがの表現は、多層的言語表現とより自由で感覚的な視覚表現とで成り立っている。<br>
 +
少女まんがの表現は、そのフィクション性を生かしながらも、言語表現と視覚表現の両方が作り手たちによって開拓され、表現したい内容に沿って独自発展することで、感情、内面の表現において細かな表現ができるよう発達した分野であるといえる。<br>
 +
 +
[[少女まんがに描かれた母親像]]<br>
 
[[第一章 子育てに関する家族史]]<br>
 
[[第一章 子育てに関する家族史]]<br>
 
[[第二章 まんがについて]]<br>  
 
[[第二章 まんがについて]]<br>  
13行: 39行:
 
[[第五章  1980年代後半からの母性肯定とその後]]<br>  
 
[[第五章  1980年代後半からの母性肯定とその後]]<br>  
 
[[結論&註・参考文献・まんが資料]]<br>
 
[[結論&註・参考文献・まんが資料]]<br>
[[Category:少女まんがに描かれた母親像|02]]
+
 
 +
<HTMLet>meisan_takayanatsuki_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_obanamiho_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_ozawamari_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_mizumaaoi_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_nimiyakazuko_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_yamadamasahiro_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_fujimotoyukari_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_futagamihirokazu_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_hirabayashimitoko_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_natsumefusanosuke_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_saitousatoru_02</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_saitousatoru_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_ochiaiemiko_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_ootsukaeiji_02</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_ootsukaeiji_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_uenochizuko_01</HTMLet>
 +
<HTMLet>meisan_aeramook_01</HTMLet>
 +
 
 +
[[Category:体験者・体験記|しょうじょまんがにえがかれた3]]

2018年10月17日 (水) 08:44時点における最新版

第二章 まんがについて

少女まんがを取り上げた理由としては、まず、まんがが身近なメディアであることが上げられる。
映画、小説よりも年齢が低くても読め、また読者、作者が共に女性であること、大人の視点、男性の視点より読者のメンタリティにそって表現されたメディアであることから、母と娘の関係を扱う上で適している。
また、まんが独特の、規制の観念からより自由な発想、新しい発想を表現できやすいメディアでもあり、その設定の自由さ自体、解釈に値する表現である。
まんがという表現の分野は、呉智英著の『現代マンガの全体像』(113ページ)によれば、明治後期から大正にかけて、印刷、出版、流通のシステムが確立されるとともに定着してゆき、新聞や雑誌を通して北沢楽天、岡本一平などの作品が発表されるようになる。
しかしまだこの頃の作品にはリアリズムはない。
まんがの表現は戦後、手塚治虫によって大きく飛躍した(夏目1997、87ページ)。
それ以前のまんがはその大衆性、教育性、啓蒙性を生かした、大人が子供に与える安全な読み物としてのまんがでしかなかったが、手塚治虫の作品によって表現手法と内容の両方に大きな変化がもたらされる。
手塚治虫は、まんがに映像的な表現を取り入れた他、人物の表情をいくつもの記号的表現を使って表すことで、表情にバリエーションを与えた。
またそれまでのまんがでは描かれることのかった登場人物の死をまんがで描く事、サイエンスフィクションや大河ドラマ的内容など、スケールの大きいものを描いた。
このように表現の内容が変化する事で読者層も変化し、まんがは子供だけが読むものではなく、青年も読むものとなった。
少女まんがは戦後にジャンルが確立され、ストーリーまんがができる。
50年代、60年代に、わたなべまさこ、牧美也子、水野英子などによって作品が描かれた。
母と娘を扱ったものとしては、わたなべまさこ『すあまちゃん』(1953)、『マキの口笛』(1960)がある。
『すあまちゃん』は母と娘の愛情を描いた、「母物」といわれる作品で、その他、シンデレラストーリーも描かれる。
『マキの口笛』は、女優とその娘の物語である(二上、2005、36ページ)。
母と娘をテーマにしたものはこの頃から描かれていた。
60年代のバレエまんが、ラブコメ、スポ根まんがの流れの後、70年代になると少女まんがに新しい流れが生まれる。
それまでのタイプの少女まんがは手塚治虫、石ノ森章太郎らの男性漫画家やその流れを受けた作風のものであったが、この時期から漫画を読んで育った世代が漫画を描くほうに回って表現し始める。
70年あたりにデビューした24年組といわれる作家たちは、女性独自の感性や、新鮮な形式で、問題意識を押し出した作品を生み出し、その多くが今も意欲的な作家活動を続けている。
このころまんが誌の創刊も増え始め、新しい感覚を発表する場も大きくなった。
この頃、少女まんが家の少年誌へ進出もみられる。
少女まんがは、70年代にその表現の上で少女まんが独自の発展がなされる。
それはまず、言語表現の分野から見られる。
まんがの言語表現は、フキダシ内の台詞と、フキダシ外の言葉によって成り立っているが、70年代に少女まんがのなかで台詞と別に内面の言葉をフキダシの外に表現する方法がとられるようになった。
これによりまんがで人物の内と外、台詞と内面の両方の表現によってより複雑な心境を描けるようになった。
フキダシの外の言語表現はさらに、語り手の言葉、時間を越えた言葉、など言葉を多層的に使用することで、表現はさらにより複雑なリアリティを持ったものとして人物の心理状態を描くことが可能になる。
また、内面の言葉を軸にして表現する方法がこの時代発展する。
記号的な表情の発展と、死というリアリティのある表現を手塚治虫から引きついだ少女まんがは70年代に内面を表現しえるものとなり、80年代の少女まんがの多様化と共に、より複雑な内面や感覚の表現が試みられる様になる。
また、少女まんがの表現は言葉だけでなく、コマわりやオノマトペ(註2)の表現も著しい発展を遂げる。
コマ割りによって、現在と過去、回想などの時間の重なりを表現する事が考え出され、表現したい内容にそくした新しいニュアンスを持たせたオノマトペを漫画家が独創的に表現することで、さまざまな表現が実験的に試みられ、まんがという表現手段の中で、よりいっそう内面や感覚に表現が自在になる。
まんがの表現は、多層的言語表現とより自由で感覚的な視覚表現とで成り立っている。
少女まんがの表現は、そのフィクション性を生かしながらも、言語表現と視覚表現の両方が作り手たちによって開拓され、表現したい内容に沿って独自発展することで、感情、内面の表現において細かな表現ができるよう発達した分野であるといえる。

少女まんがに描かれた母親像
第一章 子育てに関する家族史
第二章 まんがについて
第三章 母と、娘の個の確立ー山岸涼子の作品を中心に
第四章 母の生き方と娘ー萩尾望都の作品から
第五章 1980年代後半からの母性肯定とその後
結論&註・参考文献・まんが資料

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス