Category: 都道府県

●文通番号7-13  人間社会から引きこもり

K・M 〔岐阜県瑞浪市 男 25歳 パート〕

 私は引きこもりとはちょっと違いますが、人間社会から引きこもってます。仕事もしていますが、友達などはいません。対人恐怖などのストレス的なものをかかえてます。

 岐阜県瑞浪市近くの方で、誰か仲よくできればと思っています。年は25歳です。

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●文通番号6-32  誰が誰を「許す」のか

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳 無職〕

 今引きこもっている人が現状に至った過程には、個人によりさまざまな事情があることでしょう。何らかの挫折やトラブルという経験をきっかけに、誰かを「許せない」気持ちをつのらせて引きこもった人よりは、誰かに「許されない」苦しみから逃れるために、引きこもった人の方が多いのではないかと私は想像しています。

 イジメのようなケースはともかく、親や教師など社会の権威を帯びた立場から責められた場合、多くは「許されていない」ことに不当感よりは絶望感を抱いてしまうのではないでしょうか。

 しかし実際は親や教師による「勉強を、仕事を、努力をしないから」という理由による非難、懲罰もフィクションのルールに基づくものである以上、やはりイジメとなんら変わるものではありません。

 もし「自分は不当な理由で傷つけられている」という自覚や抵抗に必要な気力が備わっていれば、たいていの人は引きこもらずにすむのではないでしょうか。

 イジメっ子にせよ親、教師にせよ、あなたを過去に傷つけた「誰か」を許せればそれに越したことはありません。

 しかし別の問題についても同時に考えてみましょう。その「誰か(あるいはそれを操る誰か)」は今ではあなたを許しているのか、そもそも誰が誰を許せばあなたは引きこもらずにすんだのか。

 このようなことを言えば「過去にこだわるな、自分が楽になるために他を責めるな」という声が挙がりそうですが、「引きこもり」の解決を急ぐべき社会問題としてとらえるなら、これはやはり避けて通れぬ問いであると私は思うのです。

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●文通番号6-26  徒然草

AT君 〔東京都世田谷区 男 26歳 学生〕

 『つれずれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく 書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ』

 『いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、めさむる心地すれ。そのわたり、ここかしこ見ありき、田舎びたる所、山里などは、いと目なれぬことのみぞ多かる。都下手より求めて文やる。(そのことかのこと、便宜に忘るな。)など言ひやるこそをかしけれ』

 この文章が、現在における自分の生活でよく考えることなのです。なんて、文学者のように気取って投稿してみました。

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●文通番号6-07  花まっ盛り春どまん中

とべないホタル 〔石川県河北郡 女 27歳〕

 春まっさかりであちこちに春の香りがただよっているそんな今日この頃、いかがお過ごしですか。元気ですか?

 何げなく見上げれば青空が広がり、白いわたがしがポッカリ浮かんでいて、そよ風が吹いている。道端にはかわいいいろんな命が一生懸命に咲いている。寒い季節を乗りこえて、桜の花もつぼみをふくらませ、見る人の心をときめかせ幸せという名のピンク色に染める。

 どうしてこうも自然はみんなのつかれきった心身をを優しく暖かく包み込み、いやしてくれるのでしょうか。時はゆっくり流れ穏やかな気持ちになれる。

 私もそんな人でありたいと犬のカツと母と近所を散歩したりしている。すがすがしい気分になり、心のもやもやがどこかに吹き飛んでしまうから不思議だ。

 忙しくあわただしい日々の中、時にはゆっくりと何も考えずただひたすらに無邪気な子どものように自然と触れ合い、体を動かし、汗をかき、お日様の下でのんびりゆっくり過ごすのも最高。自分の固い殻の中でじっとしてないで、新しい自分を見つけに出かけよう。

 ポカポカと暖かい日ざしの中、心の衣もぬぎすてて、しっかりと大地をふみしめて歩き出そう。ほらあなたも優しい笑顔になれるからね。素敵な出会い(はぁと)が待っている。誰とでも友達になれる。

 P.S.(ゆきだるま)になってしまい、ダイエットしないといけないと思いながらも食いしんぼうな私です。やせて素敵な女性になりたい。

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●文通番号6-01  20歳代の10年がすぎていく

スピカ 〔埼玉県上尾市 女 29歳 家事手伝い、ニッタ―〕

引きこもり歴

 私の引きこもり歴は成人式から始まる。それまでも絶好調ではなかったが、式が区切りになるということは20代の10年間を無駄にしてしまった、ということだ。

 20代といえば余計な制約から解き放たれ、権利や経験、知識を得られる年代である。だから、人間の扱いは未だによくわからない。

 成人式の衣装といえば女性の場合、振り袖が主流だが、大きな区切りの一つであるから、“無理をしてでも親は着せてくれるもの”と思い込んでいた

 だが、かなり早い時期から「レンタルの洋装にしてくれ」(つまり安くすませてくれ)と言われ続けていた。

 私は高校中退だから、かなり無駄金を使っていたのだ。「学校を辞めたら学費分浮くものではない」のだそうだ。

 女児の多くは成人式と結婚式の衣装に幼い頃から憧れ、“いつか必ず着れる物”と信じて育っている。親の意向、しかも“自分に非のある金のこと”で打ち砕かれてしまったのだ(直接の理由は些細なことだが)。そのために気がそがれてしまった。

 その後ときどき現れる親切ぶった人々にごまかされながら、病院だの住み込みのバイトだの大検だの、何かと理由をつくって外出を試みた。“親切ぶった”というのは、口にできた軽い悩みが解決すると、全てが解決した気になり去って行く人や、「悩んでるお前を見たくない。解決してから来てくれ」と逃げて行った人。専門家も、私が講演などに関心を示さなければ去って行ったので、私としては裏切られた気持ちになる。そういう人々との関わりですっかり人間不信になってしまった。

 20代は“漠然とした不安”だった。これから30代を迎えるに当たり、“恐怖”を感じている。その先は未経験なのでわからない。“絶望”でなければいいが……。

不登校

 学校へ行きたくなくなったのも似たような理由だ。

 高校2年の学園祭準備中に仲間と小さなモメ事があった。それは本当に些細なことで、すぐに解決したのだが、その辺りから急に力が抜けてしまった。

 実は入学3日目ぐらいから辞めたかったのだ。そこへきて急に学校がどうでもよい存在になってしまったのである。授業時間が無意味に思え、勉強や人生に関係のない会話が無駄に思えた。欲しい資格が取れるでもないし、教師は無気力だし、生徒との肉体関係にも大したオトガメもない。生徒は強制自主退学だし。

 私が気力を失いかけた頃に、担任は子どもつくってるし。“あの学校へ行く意味がなくなった”(学校名をあげたら都内近郊の人はわかるかも)。

 ちなみに中3の担任はすごく力強かった。家庭に問題があり粗暴で学力の乏しい生徒、前年の担任とのイサカイにより深刻な登校拒否の生徒、入試直前に家が全焼した生徒など「金八先生」並のクラスだったけど、“全員の”進路を決めたんだ!

 それがあったから教師に対して“無駄な期待”を持ってしまったんだな。

 退学後約3年ぐらいは高校の記憶がなかった。というか、瞬時に思い出せなかった。例えば高校3年の3月に退学したのだが、4月にはその3月に中学を卒業したつもりでいた。だからいろいろな年数計算が合わなかった。

 夢もずいぶん見たな。実際にあったことなかったこと。あったことには、当初できなかった仕返しを試みていたり、なかったことも、夢のなかでは争っていた。“逃げる、闘う(戦う)”系の夢をよく見た。自分の叫び声で目覚めることも随分あった(マシンガン、ぶっ放してたこともあった)。

 校内には敵ばかりではなかったと思うが、私には“偽善者”に思えた。私から働きかけた時(登校、電話など)には優しいことを言うが、それでいて向こうから連絡をくれることはまれであった「きれい事言うな」と何度言っただろう……。

 私の両親は「モラル・ハラスメント」である。残念なことに私もその性質を受け継いでいるようだ。最近ある人から、「ガツンと叱られたことがないのか!」と言われてしまった。

 まず親父だが。コイツがかなりのクセ者で、専門家に言われても「れっきとしたモラル・ハラスメントだ」だそうだ。

 主な特徴は“自分は絶対正しい”というもの。もともと嫌みな奴ではあったが、誰に対しても横柄で、自分の思いに合わないことすべてを、即刻“悪”と決めつける、というものだ。それでいて権力にはへつらうのだからハタで見ていて笑える。

 あるいは、誰かのやり方を頑なに守り、不都合が生じるとその人のせいにする。臨機応変という事をできないのではなく“しない”のだ。

 そしてお袋は、私に対しては“過小評価”である。そのため私は、同世代のひとたちからは「博識」と言われる(事もある)が、お袋からは「無知」と言われ、自分ではどっちつかずである(どちらの要素もあるのだが)。

 高校についても、せっかくナカナカの所に入ったのに、不登校・休学・退学、そして引きこもってしまったのは、ものすごく“恥”であるようだ。彼女も同じ学校の出身でかなり気に入ってたようだから、なおさらいけない。

 私の住んでいる辺りは新興住宅地で、いい学校・いい仕事、立派な肩書きと大金を持っている。だから、一般世間で見れば私は大したことはしてないのだが、この辺りで見ると、かなりの落ちこぼれということになる。

 まして私は幼い頃から大人に都合のいい子で大人びていたので、このような経過(結果)を受け入れることができないようである。以前、「ありのままの自分を受け入れてくれる人の中にいないと、自分が駄目になるよ」と言われたことがあるが、それは、決して親(家族)ではなかった……。

 それが私にとって一番の障害である。

 だから「親が支えてくれたから頑張れた」という語に納得ができない。「生きていてくれさえすれば、どんな状態でもいい」という言葉が信じられない。

脱出に向けて

 「遅すぎることはない、何度失敗したっていい」とよく聞くが、私にとってはそれもきれいごとである……。時期・タイミング・限度というのはやはり“ある”と思ってる。

 新しいことを覚える、実績を積む、信用を得る……。それなりの時間が必要である。とすれば「いつまでもグズグズこもってなんかいられない!」と、焦りが生じるわけである。

 それが今の私である。

 誰だってそうだと思う。いつまでもこもってるつもりはないんでしょ? これ読んでる引きこもり諸君。いつかは脱出したいんでしょ? だから集まってくるんでしょ? 何かを求めて。

 私はそうなんだ!

 だから、同じ境遇の仲間内で傷をなめ合い、慰め合うのは、本当はもうしたくない。確かにこもり始めた人にはそういう時間が必要だが、そこで止まってはいけないと思う。なんてったってウチら引きこもりは、“ただ飯食らいの役立たずの恥さらしの粗大ゴミ”なんだから! ……なんて言い方はきつすぎるが、言葉を飾ってる余裕はない。現実を見つめ最悪の事態を想定し、“ベストを尽くす”。

 「夢」は、捨てずにいよう。「二兎を追う者だけがニ兎を得る。夢はかなえるためにある」と言った人もいた。少しずつでも準備はして行こう。いつか見返してやろうぜ!

 そんなわけで、私は脱出につながる人を求めている。少しずつでもいい、引き出して欲しい! 一人じゃ出られないや。外から出口を開けて欲しい。「ここにも道がある」と示して欲しい。もしかしたら後ろにあるかもしれない、絡まってるかもしれない。トンネル工事のように両方から掘り進んで、いつか真ん中で手をつなごう……。

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●文通番号5-37  緊張感が和らいできた

マイセルフ 〔愛知県豊橋市 女 26歳 主婦〕

 こんにちは、はじめまして。

 私は昨年2月にめでたく結婚した一児の母で、いまは子育てと家事の両立に追われています。

 小さいころから内気で、みんなの輪の中にとけこめず、必要最低限のことを話すのがやっとでした。学年の中でいちばん無口なくらいです。なるべく人と交流しないように、ひっそり暮らしてきました。

 過去にいじめにもあったし、登校拒否もしてました。大人になったら性格が少し変わったのかな。以前と比べれば、必然的にしゃべるようにはなってきました。

 しかし気をつかいすぎて、毎日がへとへとです。人と話してても、心の底から楽しいとは思えなく、どこに行っても、一人でいても、落ち着かない状態が続いています。

 そのうちストレスがたまりすぎて、過呼吸で一度倒れてしまいました。それ以来、いつ発作が起きるかと不安です。ずっと神経科に通院し、安定剤を飲むようになりました。緊張感もやわらいで、動悸、息切れもなく、調子もだいぶ戻ってきました。

 もしよければ、友になって私を勇気づけてください。お便り待ってます。

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●文通番号4-48  われ「敗者」にあらず

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳〕

 今の社会はまさに「人間は~でなくてはならない」というルールに則って、他人と幸せを奪い合うゲームの場です。私のような引きこもり者のみならず、このような社会に違和感を感じている人は多いのではないか、と私は思っています。

 例えば「人間は勉強をしなければいけない、われわれは勉強をしない人間を幸せにしてはいけない」に始まるさまざまなルールに基づくゲームの場であるところの「学校という社会」に、今や多くの子どもたちが不適応を起こしているのもその現れではないでしょうか。

 問題はこのルールが一つの主義に基づく規範、すなわちフィクションに過ぎないという事実が全く省みられない、あるいは無意識のうちに隠蔽されているという点にあります。

 他人から勝ち取らねば手に入らぬしあわせを追求せずに、人生を送る自体が本来すべての人にあり、これを侵害することは誰にも許されないはずです。

 しかし、無自覚かつ無責任にこのゲームに引きずり込まれている人に限って、自分たちのルールを唯一の正しい道として他人に押しつけたがります。

 そして残念ながらこの社会に適応している人の多くは無自覚、無責任です。これも仕方のないことでしょう。なぜなら自分の生き方を考える機会も与えられなければ、責任など持てるはずもなく、他の生き方を考える機会も与えられなければ、ゲームの自覚など湧こうはずもないからです。

 実際、落ちこぼれでもしない限り、子どもの頃から他の生き方を許されぬわれわれには、本当に何者にも縛られずに自分の生き方について省みたり選択したりする機会など、まず訪れはしないのではないかとも思われます。

 また健気にも落ちこぼれてもなお「唯一の正しい道」に復帰しようと努力する人もいるでしょうが、仮にこのような人が望み通り「勝者」となったとしても、社会全体のストレス総量は減るわけでもなく、個別のケースについてはともかく社会問題としての引きこもりが解決に向かうとは思えません。

 ただしこれがゲームであることを理解した上で、自分の意志で参加(復帰)している人はそれで結構。彼らに対して私がいうことは何もありません。「敗者」は結果を受け入れ反省するなり再起に賭けるなりすればよいのです。勝てば自分を幸せにしたであろうルールに負けてから異議を唱えるのは卑怯というものですから。

 純粋に自分のためにゲームを行う人は決して「人間は~でなくてはならない」などと、他人を引きずり込んだりはしませんから、イジメやお節介で他人を苦しませたりはしないはずなのです。

 友達がいないこと、仕事をしていないことを理由に肩身の狭い思いをし、あるいはイジメをうけている人たちにしても真っ先に気づくべきなのは「友達がいないこと、仕事しないこと=よくないこと」というのが単なるゲームのルールに過ぎないということ、それに気づかぬ限り人は常に他人か自分、あるいはその両方を傷つけ続けるだろう、ということではないでしょうか。

 ゲームをやめればあなたはもう「勝者」でも「敗者」でもありません。「別に友達が欲しいと思わない人」や「仕事がしたいと思わない人」も孤独や貧乏に耐える強さ(あるいは鈍感さ)さえあれば、自然界では幸せを感じながら生きることができます。

 しかしその自由を真っ向から否定するような社会においては、多くの若者がかえって引きこもり状態に陥ってしまうのも当然の結果と思わざるをえません。

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●文通番号4-20  文通相手、メール友求む

ロンド 〔千葉県四街道市 男 33歳 無職・自宅療養中〕

 心の病(対人恐怖・不眠症)で悩んでいます。症状のため、自宅にいます。

 何回かの挫折を繰り返すうちに、友人もできなくなり、本当の友達がいません。いろいろなことを話せる友人ができればと思い投稿しました。性別、年齢を問いません。手紙またはEメールください。

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●文通番号4-04  精神的に安定するときとは

オーパーツ 〔福島県いわき市 男 38歳 レントゲン技師〕

 25歳の時、社会人になったとたん、非常に不安定になり職場の人間関係に苦しみ始めました。ちょっとした失敗をきっかけに、それまでの優等生だった自分が突然崩れたような気がしました。

 それ以来、他人の目が気になってどうしても働けず、休職、そしてひきこもりとなりました。

 その後3年間はほとんど活動できなかったのですが、その間のカウンセリングで、母親とのゆがんだ関係が原因だと思ったため(その前に母親に対するかなりの絶望感もありました)、4年前の春、身ぶるいする思いで、親元を離れて他の土地で暮らそうと決心しました。

 そのことが人生の大転機となりました。キリスト教会のスタッフとして、本物の信仰にめぐり逢ったため、最低の、底無しの沼にいたような自分に、支え、つながり、拠り所ができました。そして確かな土台づくりと、自立する訓練を始めてはや10年になります。

 はっきり言って、ひきこもっていた頃より、訓練し始めてからの方がずっと疲れます(社会に適応できなくて)。それでも日々着実に変革、成長しています。人生を生まれたところからまた一歩一歩やり直しているような感じです(かなり無味乾燥的ですが……)。今もまだまだ未熟で課題もたくさんありますが、何とか毎日働きながら鍛錬しています。

 経験を通して感じたことですが、根本的にひきこもりから脱却するには、まず土台づくりのために「自分が安定する拠り所」を自分で探し求めることだと思います。人間は自分の存在を受け入れてくれる人とつながると非常に精神的に安定します。

 ひきこもっている人たちの多くはたぶん根っこのところで、母親に対するかなりの怨念をかかえていると思います。それは生まれた頃に、最初の他人である母親との関係で、自分の存在を受け入れてもらえなかったばかりか、無意識的に、後々人間不審に陥るほどの精神的虐待を味わったせいだと思います。(もちろん母親は意識的には一生懸命だったとは思いますが)。

 そしてその過去の怨念をはらしても自分を見捨てない人を今も求めているのではないでしょうか(母親が今その役割を果たしてくれるなら、子どもは立ち直ると思います)。

 ただそういう人と出会うことは現状ではかなり難しいことだと思います。意を決して自分の足で一歩歩き始めることが、その「出会い」を生む大きなきっかけになると信じます(できれば母親とは離れた方が……)。

 社会で生きていくための基本は、間違いなく「人と関われること」です。そしてそのためにはまず安定した土台を築いた上で、人間関係の訓練を積み重ねていくことが非常に大事だと思います。

 問題は、最初から親子関係が崩れている場合、安定した土台は自分の力だけではどうしても築けないことです。

 この雑誌でも、人と関われないのは自分の性格のせいという人が多いようですが、そうではなく、その性格を幼児期に受け入れてもらったという体験、出会いがなく、逆に責められたことが原因ではないかと思います。

 人は本当の自分を受け入れてもらえたという出会いと関わりによって、確かな自分が見えてきます。訓練成長しようとするエネルギーがわいてきます。

 そういった意味で、宗教的土台をもたないこの国で、「出会いたい」というこの渇望感に対する根本的解決法をなかなか見出せないのもよくわかります。もちろんサポート団体や友人も必要ですが、どんなに力になりたい、友達になりたいとは思っても、その人の親としてその人の幼少期の怨念までも受けとめて癒してあげることが、ボランティアや仕事でできるのでしょうか。

 でも人はそんな自分でも捨てられずに愛されたという確信とエネルギーで立ち上がれるのです。そこにはもう神の愛以外に本当の救いはないような気がします。

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●文通番号3-56  状況打破につながる人を

スピカ 〔埼玉県上尾市 女 28歳 家事手伝い・ニッタ―〕

 こういう所に自分の気持ちや出来事を話せる人はとてもすごいと思う。私はこの本1冊使ってもまだ足りない……。知ってもらうために話すこと、それはとても難しい。

 私、高校を不登校から休学・退学と進みました。その後9年ほど、断続的にひきこもっています。その間、通信教育を使っていくつかの資格を取りました。そして、大検から通信短大入学、そして中退までを自力で取りました。これについて親は何も知りません。

 在宅のバイトもいくつかしました。そうやって軍資金を溜めています。本当は住み込みで保育士をするのが夢です。あきらめてはいません。

 今は主に編み物をやっています。好きな物を創って委託販売に出したり、注文を受けたりしてます。そういう依頼ももらえると嬉しいです。一般人、デザイナー、アトリエを希望します。お友達は、状況打破につながる人を希望します。だって疲れたもん……。年の近い人。

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