●文通番号12-02  引続き文通希望

パンダ 〔三重群員弁郡 女 26歳 家事手伝い〕

 『ひきコミ』にありがとうを言いたいです。『ひきコミ』という雑誌を通して、たくさんの友達が出来ました。そのおかげで一人じゃないんだとも思えます。

 『ひきコミ』のおかげです。ありがとう。そううつ病と不眠症のため、薬に頼っている私ですが、どうぞヨロシク! 

 音楽を聞くのは好きです。返事は必ず書きます(ちょっと遅くなったとしてもね)。  

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●2001年12月1日  第11号

◆ひきコミ・第11号

●文通・・・「自然にこそわが生きる道」/「十五夜の晩に思うこと」/「私は生きている」/「新たな自分を見つけたい」/「TVゲームと子ども」/他・30通

●体験手記「私の物語(4)」

●アルバイト体験記「対人恐怖との葛藤(その2)」

●訪問サポート「“お友達”からお願いします!」

●五十田猛「ゼロからの居場所(当事者の会)づくり」

◇心の手紙交流館(編集)  

◇株式会社子どもと教育社(発行)

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●11号-文通希望せず  TVゲームと子ども

梶原圭介 [神奈川県相模原市 男 27歳]

 私もファミコン世代の真只中を生き、その影響も人並みに受けてきました。私にとってのTVゲームとは何かを考えてみました。

 TVゲームに心の慰めを見出すことは、大人と言われる人々が喫煙したり、飲酒したり、ドライブに行ったり、ギャンブルに埋没したりすることとほぼ同じ心理作用をもたらすものだと思います。即ち神経を緩和させ、非日常の世界に埋没することによって日常生活の中の辛い現実を、束の間、忘れさせてくれます。頭の中を空っぽにできる時間を提供してくれる精神的ストレスのガス抜き装置のような効用もあります。

 その反面、全ての嗜癖がそうであるように依存症と心身への悪影響が生じる場合もあります(特に視力の低下が眼に与える悪影響は未知数だと思います。)心に寂しさを抱えた人が麻薬に走る心理と本質的には似ていると思います。

 ただその程度が違うというだけであって、動機は好奇心から始まり、夢中にさせてくれて、その代償として精神的充足感が得られる。その代わりに思考する時間、孤独に向き合い自己を深める(読書など)内面作業をしなくてはいけない時に容易にそれらからの逃げ道となります。特にひきこもりや不登校の人たちによっては、現実を直視することが余りに辛いときの心のオアシスとなってくれる場合もあると思います。

 ただTVゲームのなかの世界とは、あくまで疑似体験であって、その中で得られる自分の欲望を満たす行為は、現実のなかで得られなかった欲求の代替でしかありません。本心からの満足は得られないと思います。

 仲間をつくる、恋愛を楽しむ、性欲を満たすなど、自分が現実の世界で達成することが困難な欲求の代替えを提供してくれます。擬似的にコンピュータのなかで自分の寂しさを埋めようとする場合もあると思います。何といってもその世界の中では何でも自分の思い通りになり、自己の万能感を満足させてくれるのですから(それが子どものエゴを増長させてしまうことにもつながると思います)。

 しかし私はやはりTVゲームが子どもたちから外で遊ぶ時間を奪い、孤独を奪い、現実の体験を少なくさせていることに、危機感を覚えます。そして大人たちの余りの無責任さに憤りを覚えます。

 子どもの好奇心を刺激し、子どもをターゲットにしたマーケティングを展開し、その責任については全く負おうとしない業界は余りに無反省過ぎます。みんなが楽しんで喜んでいるのだからイイじゃないかという理屈は、子どもに身体に害毒のある添加物を加えた甘いお菓子を与え続けていることと一緒です。

 TVゲームは、ほどほどにやる分には、リラックスをもたらし、仲間とのコミュニケーションを図れる手段にもなるし、現実からしばしの開放感を与えてくれます。

 しかしまだ自分をコントロールすることの難しい時期に子どもに安易に買い与えてしまうのはどうかと思います。

 ちなみにTVゲーム歴11年の私にもし子どもができたら、私は子どもが成人するまではTVゲームは買い与えません。たぶん、一緒に山に行ったりすると思います。

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●11号-文通希望せず  私は生きている

スピカ [埼玉県上尾市 女 家事手伝い・引きこもり再発中!]

 働くことがいやな訳じゃない。やりたいこともある。人と交わることの喜び、未知への挑戦、発見など。

 進みたい気持ちがない訳じゃない。ただ恐怖心が強すぎるだけ。遊んでいる訳じゃない。自由気ままでもない。引き込もれば、いろいろな戦いがある。親(家族)との闘い、世間(慣習)との闘い、自分(理想)との闘い。

 同情は要らない。とにかく知ってそのまま受けとめてほしい。

-アナタたちは忘れたかもしれないけど、私は生きている。ここにいる-。

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●文通番号11-26  新たな自分を見つけたい

パンダ [三重県員弁郡 女 26歳 家事手伝い]

 初めましてパンダです。小さい頃から親の顔色うかがって過ごし、中2の時、病気になりました。真面目でいい子を続けてきた結果です。そううつ病気と不眠症です。

 この『ひきコミ』を通して、話し合える人が出来ました。それまで孤独でした。この『ひきコミ』を通して新たな自分を見つけたいです。文通から始めて、親しい自分みつけませんか?

 パソコンがまだないので、80円切手を貼って郵送して下さい。一緒に成長しましょう。私もまだまだ、ミジュクです。あせる必要はありません。

 人生長いのだから、近県の方、出来ればよろしくお願いします。男女、年は、関係ありません。住んでいる所もかまいません。よろしく!!

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●文通番号11-24  十五夜の晩に思うこと

とべないホタル  [石川県河北郡 女 28歳]

 暗闇の中、私達を見守り照らしてくれる。お月様。神々しく光り輝く。ひっそりと、でも確かな存在。どんなに暗くても不安でも大丈夫だよって安心感をくれ、言ってくれている気がする。

 太陽のようなまぶしいほどの強い輝きはないけど。月には太陽にはない、輝き光がある。いろいろ形を変えながらも遠くから見つめていてくれる。応援してくれる。光と影の二重奏。いつも光り輝くばかりでなく相手を支えることのできる人でありたい。

 小さい頃、十五夜の夜ススキをかざりだんごを食べた。夢見がちな少女だった私は、丸いお月様の中にうさぎさん達がもちつきをしていると信じてうたがわなかった。

 そんな私も、ずいぶん大人になったもんだね。いろんな人と出会い泣いたり笑ったりして、いくつもの出来事のなかでいろんなことを学んだ。どんな時にも私の側には私を支えてくれる人がいて、私は幸せな人間なんだろうね。

 夏が終わりもう季節は秋。

 朝晩肌寒くなりカゼをひいてしまった。

 みんなはどうですか。元気ですか。体を大事にしてね。夜犬のカツと散歩にでかける。

 今夜もお月さんが顔を出し笑顔で新しい門出を応援してくれている。

 母と犬のカツと力を合わせ、これからも元気で明るく生きていこうね。今までの分も今まで以上にきっと幸せになろうね。

 人生七転び八起き。生きていたら何がおきるかわからない。今流行の熟年離婚。

 私の父と母が離婚し、新たな人生が始まった。どんな困難にも一つ一つ乗り超えていきたい。大変だけど、自分たちの選んだ道を信じて、前進のみ……。

“月かげのいたらぬ里はなけれども眺める人の心にぞ住む”

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●文通番号11-18  自然にこそわが生きる道

ミズキ [東京都八王子市 男 37歳 無職]

 「人は社会的であるがゆえに醜く、自然であるがゆえに美しい」。これが今の私の人間観です。「人間=社会性ヒト」という定義に従えば、私は「人間嫌い」ではあっても「ヒト嫌い」ではないといえるかもしれません。

 私のいう「社会」とは人の意識の上で組み立てられ、意識の上に映し出される「世の中の表面」であり、見る角度によって現れる薄い膜に過ぎません。そこでは人の生き方、物のあり方も規範によって定められ、その理由も明快です。

 一方私のいう「自然」とはあらゆる社会規範からフリーな存在として生きる自由をわれわれに与えているものです。この自由のままにわれわれが行う無意識の営みこそ人間の自然たる証しです。この自由を尊重されているという実感なくして恐らく人は生きる喜びを感じながら人生を送ることはできないでしょう。

 全ての人が自然と社会の間でうまくバランスを取って生きられればそれが一番かもしれません。しかし残念ながら、社会という観点からしかこの世界を見られない大人たちによるマインドコントロールが学校や家庭で教育の名の下に行われる今日、多くの子どもたちがしばしば「単なるわがまま」の非難のもとに本来尊重されて然るべき自由を奪われ、苦しんでいるのです。

 社会による規範の押しつけを正当化するために「そもそも人間は全くの自由には耐えられないものである」などという主張がなされることがあります。自分に与えられた自由の大きさ気づいて戸惑う人もいるのは確かでしょう。しかし私は個人の自由を守るためにこのような押し付けと依存の連鎖を断ち切り、「自然に帰る」ことの必要性をこそ強く訴えたいと思います。

 自然はさまざまな自由をわれわれに与えます。たとえば自然界には死ぬ自由があり、だからこそ「生きる自由」もあるのです。一方、社会はわれわれに死ぬ自由を認めませんから、そこにあるのは「生きる義務」でしかなく、自由はありません。

 この「人は生きねばならないものである」という強迫的な命題に生きる喜びより煩わしさを感じる人も少なくないのではないかと私は想像します。いかがでしょう。社会はみなさんに勉強や仕事をし、友達をつくる「自由」を与えていたでしょうか。

 生きる自由のないところには生きる喜びはなく、生きる喜びのないところには生きる力も湧いてこようはずがありません。今この社会に生きることにより傷ついた多くの人に必要なのは「自分の生き方を決める自由」と「その結果に対する責任」を自覚すること、すなわち「社会からの自立」にこそ他ならないでしょう。

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●2001年11月1日  第10号

◆ひきコミ・第10号

●文通・・・31通

●体験手記「私の物語(3)」

●連載・・・「子どものころ(8)」

●アルバイト体験記「対人恐怖との葛藤(その1)」

●五十田猛「対人コミュニケーションに2つのタイプ」

◇心の手紙交流館(編集)  

◇株式会社子どもと教育社(発行)

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●2001年10月1日  第9号

◆ひきコミ・第9号

●文通・・・「独創性開発」/「憎み合うなら「人間」同士で」/「いじめについて」/「星に願いをこめて」/他・36通

●体験手記「私の物語(2)」

●連載・・・「子どものころ(7)」

●ソーシャルワーク・データ「就職、生活、治療等に関する私の提案」/「体験的「障害者手帳」活用術」

●五十田猛「社会参加の到達目標と中間目標」

◇心の手紙交流館(編集)  

◇株式会社子どもと教育社(発行)

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●文通番号9-25 星に願いをこめて

とべないホタル 〔石川県河北郡 女 27歳〕

 夜空にきらめき、輝く、一千もの星たちを眺める。ひんやりとした空気が肌にふれ、こころよく伸びをした。

 優しい光、温かい光、強い光、いろんな星たちが、一生懸命自分の居場所で光り輝いている。一つひとつが素敵に輝く一番星。大切な大切な大切な光、大切な存在、みんないい所もあり悪い所もある。強い所もあり、弱い所もある。いろんな面があって、さまざまな形をしてて、完璧じゃないから素晴らしい。可能性を秘めたきらめく所のある宝物なんだ。

 いつまでも誰かの側で小さくてもしっかり輝く、周りの心を暖かく優しく包み、いやせる広く大きな空でありたい。同じ地球に住む仲間、生き物を傷つけたり殺したり。いろんな悲しい現実がある。

 みんなが元気に暮らせる社会、はたして私に何ができるか、今できることを誰かのために、そしてその気持ちを持ち続けたい。自分だけの小さな世界に閉じこもっていないで、勇気を出してほら一歩だよ。きっと大丈夫だよ。新しい未知のいろんな世界に出かけよう。きっともう一人の素敵な自分を見つけること、素敵な友と出会えると思うから。

 自分の欠点ばかり見て落ち込んだり自分を責めないで。だれにも一つはある輝く宝石、磨かなきゃ損もったいない。もっと素敵な人になるためにステップアップ。

 今日は七夕。世界中の人々が平和で幸せであるようにと星たちに手を合わせる。子ども会で、近所の友達と七夕かざりを作り、みんなの思いと一緒に海に流した。

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