●2001年4月1日  第4号

◆ひきコミ・第4号

●文通・・・「精神的に安定するときとは」/「文通相手、メール友求む」/「われ「敗者」にあらず」/他53通

●体験手記「まっすぐに(下)」

●連載…「子どものころ(2)」

●五十田猛「人と関わる力を考える」

◇心の手紙交流館(編集) 

◇株式会社子どもの教育社(発行)

☆ ☆ ☆

●文通番号4-48  われ「敗者」にあらず

ミズキ 〔東京都八王子市 男 37歳〕

 今の社会はまさに「人間は~でなくてはならない」というルールに則って、他人と幸せを奪い合うゲームの場です。私のような引きこもり者のみならず、このような社会に違和感を感じている人は多いのではないか、と私は思っています。

 例えば「人間は勉強をしなければいけない、われわれは勉強をしない人間を幸せにしてはいけない」に始まるさまざまなルールに基づくゲームの場であるところの「学校という社会」に、今や多くの子どもたちが不適応を起こしているのもその現れではないでしょうか。

 問題はこのルールが一つの主義に基づく規範、すなわちフィクションに過ぎないという事実が全く省みられない、あるいは無意識のうちに隠蔽されているという点にあります。

 他人から勝ち取らねば手に入らぬしあわせを追求せずに、人生を送る自体が本来すべての人にあり、これを侵害することは誰にも許されないはずです。

 しかし、無自覚かつ無責任にこのゲームに引きずり込まれている人に限って、自分たちのルールを唯一の正しい道として他人に押しつけたがります。

 そして残念ながらこの社会に適応している人の多くは無自覚、無責任です。これも仕方のないことでしょう。なぜなら自分の生き方を考える機会も与えられなければ、責任など持てるはずもなく、他の生き方を考える機会も与えられなければ、ゲームの自覚など湧こうはずもないからです。

 実際、落ちこぼれでもしない限り、子どもの頃から他の生き方を許されぬわれわれには、本当に何者にも縛られずに自分の生き方について省みたり選択したりする機会など、まず訪れはしないのではないかとも思われます。

 また健気にも落ちこぼれてもなお「唯一の正しい道」に復帰しようと努力する人もいるでしょうが、仮にこのような人が望み通り「勝者」となったとしても、社会全体のストレス総量は減るわけでもなく、個別のケースについてはともかく社会問題としての引きこもりが解決に向かうとは思えません。

 ただしこれがゲームであることを理解した上で、自分の意志で参加(復帰)している人はそれで結構。彼らに対して私がいうことは何もありません。「敗者」は結果を受け入れ反省するなり再起に賭けるなりすればよいのです。勝てば自分を幸せにしたであろうルールに負けてから異議を唱えるのは卑怯というものですから。

 純粋に自分のためにゲームを行う人は決して「人間は~でなくてはならない」などと、他人を引きずり込んだりはしませんから、イジメやお節介で他人を苦しませたりはしないはずなのです。

 友達がいないこと、仕事をしていないことを理由に肩身の狭い思いをし、あるいはイジメをうけている人たちにしても真っ先に気づくべきなのは「友達がいないこと、仕事しないこと=よくないこと」というのが単なるゲームのルールに過ぎないということ、それに気づかぬ限り人は常に他人か自分、あるいはその両方を傷つけ続けるだろう、ということではないでしょうか。

 ゲームをやめればあなたはもう「勝者」でも「敗者」でもありません。「別に友達が欲しいと思わない人」や「仕事がしたいと思わない人」も孤独や貧乏に耐える強さ(あるいは鈍感さ)さえあれば、自然界では幸せを感じながら生きることができます。

 しかしその自由を真っ向から否定するような社会においては、多くの若者がかえって引きこもり状態に陥ってしまうのも当然の結果と思わざるをえません。

☆ ☆ ☆

●文通番号4-20  文通相手、メール友求む

ロンド 〔千葉県四街道市 男 33歳 無職・自宅療養中〕

 心の病(対人恐怖・不眠症)で悩んでいます。症状のため、自宅にいます。

 何回かの挫折を繰り返すうちに、友人もできなくなり、本当の友達がいません。いろいろなことを話せる友人ができればと思い投稿しました。性別、年齢を問いません。手紙またはEメールください。

☆ ☆ ☆

●文通番号4-04  精神的に安定するときとは

オーパーツ 〔福島県いわき市 男 38歳 レントゲン技師〕

 25歳の時、社会人になったとたん、非常に不安定になり職場の人間関係に苦しみ始めました。ちょっとした失敗をきっかけに、それまでの優等生だった自分が突然崩れたような気がしました。

 それ以来、他人の目が気になってどうしても働けず、休職、そしてひきこもりとなりました。

 その後3年間はほとんど活動できなかったのですが、その間のカウンセリングで、母親とのゆがんだ関係が原因だと思ったため(その前に母親に対するかなりの絶望感もありました)、4年前の春、身ぶるいする思いで、親元を離れて他の土地で暮らそうと決心しました。

 そのことが人生の大転機となりました。キリスト教会のスタッフとして、本物の信仰にめぐり逢ったため、最低の、底無しの沼にいたような自分に、支え、つながり、拠り所ができました。そして確かな土台づくりと、自立する訓練を始めてはや10年になります。

 はっきり言って、ひきこもっていた頃より、訓練し始めてからの方がずっと疲れます(社会に適応できなくて)。それでも日々着実に変革、成長しています。人生を生まれたところからまた一歩一歩やり直しているような感じです(かなり無味乾燥的ですが……)。今もまだまだ未熟で課題もたくさんありますが、何とか毎日働きながら鍛錬しています。

 経験を通して感じたことですが、根本的にひきこもりから脱却するには、まず土台づくりのために「自分が安定する拠り所」を自分で探し求めることだと思います。人間は自分の存在を受け入れてくれる人とつながると非常に精神的に安定します。

 ひきこもっている人たちの多くはたぶん根っこのところで、母親に対するかなりの怨念をかかえていると思います。それは生まれた頃に、最初の他人である母親との関係で、自分の存在を受け入れてもらえなかったばかりか、無意識的に、後々人間不審に陥るほどの精神的虐待を味わったせいだと思います。(もちろん母親は意識的には一生懸命だったとは思いますが)。

 そしてその過去の怨念をはらしても自分を見捨てない人を今も求めているのではないでしょうか(母親が今その役割を果たしてくれるなら、子どもは立ち直ると思います)。

 ただそういう人と出会うことは現状ではかなり難しいことだと思います。意を決して自分の足で一歩歩き始めることが、その「出会い」を生む大きなきっかけになると信じます(できれば母親とは離れた方が……)。

 社会で生きていくための基本は、間違いなく「人と関われること」です。そしてそのためにはまず安定した土台を築いた上で、人間関係の訓練を積み重ねていくことが非常に大事だと思います。

 問題は、最初から親子関係が崩れている場合、安定した土台は自分の力だけではどうしても築けないことです。

 この雑誌でも、人と関われないのは自分の性格のせいという人が多いようですが、そうではなく、その性格を幼児期に受け入れてもらったという体験、出会いがなく、逆に責められたことが原因ではないかと思います。

 人は本当の自分を受け入れてもらえたという出会いと関わりによって、確かな自分が見えてきます。訓練成長しようとするエネルギーがわいてきます。

 そういった意味で、宗教的土台をもたないこの国で、「出会いたい」というこの渇望感に対する根本的解決法をなかなか見出せないのもよくわかります。もちろんサポート団体や友人も必要ですが、どんなに力になりたい、友達になりたいとは思っても、その人の親としてその人の幼少期の怨念までも受けとめて癒してあげることが、ボランティアや仕事でできるのでしょうか。

 でも人はそんな自分でも捨てられずに愛されたという確信とエネルギーで立ち上がれるのです。そこにはもう神の愛以外に本当の救いはないような気がします。

☆ ☆ ☆

●2001年3月1日  第3号

◆ひきコミ・第3号

●文通・・・「世間体や一般常識とは」/「わが道に迷いなし」/「思い出せないこと」/「Dear心の友へ」/「状況打破につながる人を」/他55通

●母親の手記「母と娘、ゆれて歩んだ一年間(下)」

●体験手記「まっすぐに(上)」

●連載・・・「子どものころ(1)」

●五十田猛「若者は何を表現しているか」

◇心の手紙交流館(編集) 

◇株式会社子どもと教育社(発行)

☆ ☆ ☆

●文通番号3-56  状況打破につながる人を

スピカ 〔埼玉県上尾市 女 28歳 家事手伝い・ニッタ―〕

 こういう所に自分の気持ちや出来事を話せる人はとてもすごいと思う。私はこの本1冊使ってもまだ足りない……。知ってもらうために話すこと、それはとても難しい。

 私、高校を不登校から休学・退学と進みました。その後9年ほど、断続的にひきこもっています。その間、通信教育を使っていくつかの資格を取りました。そして、大検から通信短大入学、そして中退までを自力で取りました。これについて親は何も知りません。

 在宅のバイトもいくつかしました。そうやって軍資金を溜めています。本当は住み込みで保育士をするのが夢です。あきらめてはいません。

 今は主に編み物をやっています。好きな物を創って委託販売に出したり、注文を受けたりしてます。そういう依頼ももらえると嬉しいです。一般人、デザイナー、アトリエを希望します。お友達は、状況打破につながる人を希望します。だって疲れたもん……。年の近い人。

☆ ☆ ☆

●文通番号3-27  Dear心の友へ

とべないホタル [石川県 河北郡 女 27歳 家事手伝い]

 はじめましてこんにちは。

 元気ですか?

 私は、通信制大学(社会福祉学部)に通い、社会福祉国家資格受験をめざしている大学生です。将来は私と同じような体験をし、いろんな悩みを抱え、暗闇に光を求めている人たちに少しばかりでもの援助ができればいいなぁと思っています。

 それが私が自分探しのなかでみつけた夢です。傷ついた心を癒し、本当の自分を取り戻す。強く自分らしく生きる道を見つけるまでには、いろんな困難があります。悩み、迷い、遠回りしたけど、たくさんの人のお陰でここまでこれた私です。

 一番の宝物は、人間として生きる上での大切なこと、心の大切さを学べたことです。苦しんで悩んでいる時は、とても大変だけど、きっといつかは立ち上がり一歩をを踏み出すことが出来ます。今この時の体験が、きっと何倍にも人生を豊かにしてくれる肥になると思うから、だからあせらずゆっくり一歩一歩、歩いて行こうね。

 一生懸命に考え、心も体もボロボロで力がわいてこなくて疲れている時は、ゆっくり休んで、一歩踏み出すためのエネルギーをたくわえる時です。

 貴方は決して一人ぼっちではない。周りに貴方が一生懸命に闘っている姿を見て、陰ながら応援してくれている友がきっといる。私もその一人です。また家族の人も暖かい心で見守っています。

 一人では抱えきれなくて苦しくなった時、決して死を選ばないでほしい。この世でたった一人のかけがえのない存在の自分を、自分の尊い命を大事にしてほしい。今は苦しくて一人ぼっちで淋しくてたまらないかもしれないけど、きっと分かち合える友がいるから。

生きてたらいいこと、たくさんある!! 

 自分はちぽっけで、何のとりえもない存在で自分に自信がなく、自分が大嫌いなんて言わないで。貴方は貴方だからこそ素晴らしくて素敵なんだよ。自分を大好きでいてね。

 どうしても、自分ではどうしようもなく苦しくてどうにもならなくなった時、周りの誰かに助けを求めてほしい。助けての声を、SOSをあげればいい。

 決してはずかしいことではないし、人間は一人では生きられず、支え合い助け合い生きているのだから。

 最近TVや新聞を見れば、児童問題がとり出されています。少年犯罪やいじめ、不登校、引きこもりなどいろんな問題や悩みを抱える人たちが本当に多くなっています。

 孤独のなか、自分の本音を押し隠し、つくろいの中でしか結びつけない。大人社会のゆがみが子ども社会のゆがみを引き起こしている。こういった状況を改善するため、心の教育、子どもの心を聴くことの大切さが言われています。いろんな援助システムができました。

 私の住む石川県など、地方ではまだまだ相談機関が少なく、どこへ相談に行けばよいのか、子どもにどう接していいのかわからず、悩んでいても狭い地域では周りに恥ずかしいということで、自分たちで抱えている親子さんがいることをよく耳にします。

 そこで自分の壁を乗りこえ、一歩を踏み出し、自分らしく強く明るく生きる支えになれるようともに語り合い、成長し、悩める人たちが元気になれる援助ができればと思い、そういった会をつくろうと思っています。

 いま友達がほしい方、自分の経験を生かし何かしらの援助をしたいと思われている方、悩んでいて話を聴いてほしいと思われている方、子どものことで悩まれている方、先生方や専門家など、こういったことに興味のある方ぜひ連絡して下さい。待っています。

 最初は自分のことを話すのは、恥ずかしくて勇気がいるけど、話をするだけで楽になり、自分の今の気持ちを見つめ整理するきっかけになればと思っています。最初は地元から、次にはいろんな地方の人ともつながっていければいいのですが。

 私の手紙読んでくれてありがとう。体を大事にして下さい。では

☆ ☆ ☆

●文通番号3-26  思い出せないこと

puffy 〔静岡県榛原郡 男 39歳 会社員〕

 こんにちは。Puffyです。僕は記憶の一部がありません。ある特定のことに関する記憶がないのです。その特定のというのは、女性とつき合ったことに関する記憶です。

 今では過去に彼女もいたし、フツーに女性とつき合った経験があることもわかっていますし、後で述べる事情がわかってからも女性とつき合ったことはあります。でも、その事情がわかるまでは自分は恋愛やセックスの経験はないと思っていました。

 どうしてこのようなことになったのか、それには理由があります。それは、僕が小さい子どもの頃、暴力や性的虐待を受けたからです。それは複数の相手で数年間続き、首を絞められたり刃物で身体を切られたりしたらしいです。今でもフラッシュバックなど、PTSDの症状に苦しんでいます。

 それ以来、性的な関係に至る可能性のある対人関係はほとんど記憶に残らなくなりました。問題はそれだけではなく、対人関係すべて(特に女性との)を避ける傾向にあります。

 同様の経緯で同様の状態の方、またそういう可能性を考えたことのある記憶の一部のない方、お手紙下さい。

☆ ☆ ☆

●文通番号3-18  わが道に迷いなし

ミズキ  [東京都八王子市 男 37歳]

 私は大学二年の時落ちこぼれて以来、現在に至るまで十数年間にわたり引きこもり生活をおくる37歳の男性です。

学生時代のアルバイト以外に就労経験はなく、現在も無職。同居中の親ともほぼ絶交状態にあり、医師やカウンセラー以外の人と話す機会もほとんどありません。

 しかし少なくとも現在の私は、自分を特に不幸な人間だとは思いません。私は私なりに目まぐるしく、慌ただしい社会に適応している人にはわからない幸せを実感しながら、1日1日を生きています。生きる欲望、理由、目的を見失って途方に暮れていた当時は、言葉にうまく表現できませんでしたが、私の場合この社会に対する違和感が、このような生活に入った動機というか原因の一つであったことは確かです。

 ある価値観に基づいた生き方を個人に強制する今日の社会は、常にそこから切り捨てられ、踏みつけられるべきスケープゴートの存在抜きには、そもそも成立しえないシステムなのではないかと私は考えています。

 例えば子どものころわれわれは周りの大人たちに教えられました。「頭のよい人間になれば社会が幸せにしてくれる」。だから「人はみな社会のために頭のよい人間にならなければならない」と。

 しかし「頭がよい」というプライドと引き換えに社会がわれわれに与えると約束した幸せとはいったい何だったのでしょうか。「社会のために苦労して」頭のよい人間になった人が幸せを実感するためには、頭の悪い人の不幸を確認し、協調しなくてはなりません。そればかりか時には彼ら自身の手で、頭の悪い人を不幸にしようとすることさえあります。

 そのほか能力、容姿、ライフスタイルに関わるさまざまな「社会的プライド」が、学校、職場、家庭といった場で常に「他人と分かち合えない幸せ」に人びとを駆り立てているのです。

 あなたの周りにある「人はみな……でなくてはならない」という命題について考えてみてください。それは誰が決めたものですか? あなたを含めた誰かですか? あなたは本当にそれに従わねばならないのですか?

 すべては「チャンスがあれば他人を出し抜いて自分が幸せになろう」というゲームに自覚もないまま引きずりこまれている人たちが、勝手に決めたことではないでしょうか。

 学校教育というマインドコントロールから解けた今、私は確信しています。そのようなゲームに参加するかしないかは個人の自由意志と自己責任の下に決定されるべきことです。望まぬ者をゲームに引きずり込む自由など誰にもありはしない、と。

 このような意見は社会の側からみれば「自分の不幸の責任を社会に転嫁している」だけにしか聞こえないかもしれません。しかし「引きこもり」が頻繁にマスコミを賑わすほどの社会問題にまでなった原因の少なくとも一部は「人はみな引きこもってはいけない」という命題を垂れ流し、結果としてさらに深い孤独へと多くの若者を今なお追い詰めている、当の社会の側にあるのは明らかでしょう。

 自分以外の誰かに変わろうとしてあせっている人、いませんか。あなたが変われなくても世の中が先に変わるかもしれません。こんな社会やその手先であるマトモな大人に、救いなんか求められないと感じるあなた、「引きこもって何が悪い! 」ときどきそう叫びたくなるあなた、私は間違いなくあなたたちの味方です。

 今では誰よりも自信に満ちた足どりで、自分の人生を歩んでいるこの私の力を、みなさんにもぜひ分けてあげたい、そう思って私はこの文章を書いた次第です。

☆ ☆ ☆

●文通番号3-04  世間体や一般常識とは

AT君 [東京都世田谷区 男 20歳 学生]

 私はある学習塾に通っている一人の青年です。通信制の大学にも所属をしています。全くの引きこもり人間ではありません。しかし、社会生活における人間関係等がなかなか上手に営めないのです。

 「何が世間の常識であり、そして、なにが常識からはずれたことであるか」。10代の頃までは、なんの気なしに高校までは卒業した後、数々の学校を渡り歩いた揚げ句に、20代に入ってからの現在にいたるまで、なにげなく世間に対しての反発心を抱いてしまいました。

 何も、無理をしてまでも冷酷な現実の世の中へと目を向けなくてもよいと、そのような気持ちで胸がいっぱいなのです。

 そんな自分となってしまった理由は、以前にいろいろと人間関係に悩まされたことが数多くに積み重なったためでもあると思います。

 過去でのたくさんにあった嫌な思い出は文章にも書きたくありません。とにかく現在の自分の状況は、家庭環境も安定していて、数少ない友人との交わりもあるので、自分では完全な引きこもりではないと思っています。

 けれども人間関係においていくらかのシャットアウトをしています。例えば、飲食店や居酒屋などに入ることがとても人一倍に苦手なのです。友人から飲みに行こうと誘われても、気後れをして断ってしまうことがよくあります。

 それだけに、自分は世間との触れ合いを避けています。もう少し社交的になれと友人から忠告をされても、あまりよく伝わってきません。きっと、そのような自分が現在にいる自分なのであり、無理に変えようとは思えないのです。

 自分は現代の世の中や物事において、あまり肯定的には見れずに、つまらない感情が多く込み上がってきます。

 こんな自分ではありますが、もしも共感できる人がいたなら意見をきかせてほしいと思います。それも、なるべく同年代ぐらいの方にお願いいたします。

☆ ☆ ☆

WordPress Themes