「引きこもりを抜ける仕事づくり」発表会の式次第

3日の夕方、東京新聞から10月16日の告知に関する電話取材がありました。内容や経過をかなりいろいろな面から説明をしました。30分以上になったと思います。
告知の記事は10月9日、日曜日になります。比較的小さないわゆるベタ記事になると思いますが、それにしては詳しく聞かれた感じがします。

さて、創作者の交流会の様子を見て10月3日のタイムテーブル(式次第)を作るつもりでいました。交流会に関しては別にまとめます。
この交流会の様子により10月16日の発表会を左右するものはありません。2人が作品販売に参加するつもりです。

10月16日のタイムテーブル(基本形であり、変更も考慮します)
10:30 会場の代々木高校に集合。準備作業の説明をします。会場作り、配布物のセット、販売物のセット、受付の準備、役割分担の確認、校内の概要の確認(一般参加者への案内が必要になることがあります)など。会場の様子を確認しながら会場作りをしますので、1時間近く時間をかけてゆっくりと作業をします。
12:00~12:45食事休憩。弁当持参、近くの食堂等へ交代で出かける。
12:45 受付の開始。
13:00 第1部=開会あいさつ、代々木高校からのあいさつ。
13:10 実例発表(1)メークとオーラソーラセラピー。
13:25 実例発表(2)整体師をめざし整体師施設への就職。
13:40 実例発表(3)IT企業が設立したNPO法人FDAに参加して。
14:00 特別の話:引きこもりでも彼女ができる。
14:20 相談コーナーの説明、即売会の説明。

14:35 休憩――会場づくり:相談コーナーをつくる。
14:45 第2部=相談と即売会(作品販売)。
会場内の参加者同士の雑談をすすめる。アンケートへの記入など。
*待ち時間に読めるものがあるといい。
16:45 第2部の終了。後片付け=原状回復。
参加者による感想・総括会を短時間で行います。
*以上ですが、当日までに気づいたことを追加していきます。

「No, I regret nothing」=後悔はしない

最近、1通の手紙をもらいました。
たぶんこの場で公表することはないはずですが、スタンスに気になることがあります。それについて別の話を少々。

私はエディット・ピアフ(1963年に47歳でなくなったシャンソン歌手)の「Non, Je ne regrette rien」をよく聞きます。英語では「No, I regret nothing」、私は何も後悔はしていない、という意味になるでしょう。
ピアフは貧しい生まれであり、歌手としての名声を得るまでは悲惨な生活があった。16、7歳のとき子どもを生み、その子は2歳の時に病死している。ウィキペディアはそのようなことも伝えています。彼女が死を迎えたとき、その生活スタイルの故にカソリック教会は彼女のミサを許さなかったといいます。教会的な観念では容認できない生活があったのでしょう。
さて、この曲は日本語でも歌われ「水に流して」となります。曲名を見たときの印象は奇妙な違和感です。意味に違いはないのですが内容に違いがあります。
「水に流す」というときの流すものは嫌なもの、否定的なことです。しかしピアフはそう作詞していないし、そうは歌っていないと思えるのです。自身の苦しかった人生を象徴的に映していますが、否定はしていないのです。美しい歌い方というより、いさぎよくキッパリして、むしろ快活です。上手下手では表わし難いのですが、上手というしかないでしょう。自分の人生、教会からは見放されるような人生を象徴的な歌にし、142cmの小さな体で力のある歌い方をしています。そこに否定はない、No Regret です。
ウィキペディアは彼女の葬儀には4万人が集まり、パリの交通が完全にマヒしたこと、「今日、彼女はフランスでもっとも偉大な歌手の一人として記憶され、尊敬されている」と記しています。教会的な観念よりもフランス人の自然な賞賛を選びたいです。

さて、最初にあげた一通の手紙。私はこれと対比したいのです。
どんなに苦しい状況なのか、追い詰められているのか、たぶん私は想像できないし、想像を超えているでしょう。悲惨な人生、失敗の重なる人生、抑圧の続く毎日…それにつぶされないで生きる方法はないでしょうか。私が“居直り”というと傲慢に聞こえるでしょう。それは避けられませんが、非力な一個人が居直ったとき、いったいどれだけの人が、どれだけの被害を受けるのでしょうか。それより失敗や悲惨さを否定せず、自分が経験して得た栄養素として生かす道を選べないものか。それが多くの周囲の人に安心感と慰めと、たぶん期待を感じさせるものになるのではないのか。
手紙を送ってきた人がこれを読むことができればこういいたいです。「水に流さなくてもいい。自分の経験としてこれからに生かして欲しい。そしていつか一緒に…」。

「引きこもり後を考える会」第4回

参加者が少なくちょっと残念ですが、話した内容はかなり突っ込んだものになりました。第4回の2つ目の報告です。
いずれそれぞれを詳しく考えて生きたいのですが、話されたことのノート+αとして以下に書いておきます。

(1)福祉制度に生活保護までの中間制度が必要――ただし、いまの状態からそれぞれの状態から一歩前にすすむという本人の状態を妨げるものではなく、そういうスタンスを支援するもの、無理をして結局もとの木阿弥にならないようにするのをサポートするものが欲しい。
中間の制度としては、いきなり生活の基本部分全体ではなく、住宅費の補助、子どもがいるときは子育てや教育費の補助、社会生活に必要な一定の交通費(例えば公営交通やJRの交通費の無料化や軽減)、医療費の補助などです。
社会状況からみるとむしろこれらが生活保護から外される、時間を区切られる方向で考えられているがようです。私の思う方向とはむしろ逆になっています。
生活保護を受けながら収入を得ようとして働いていくのを助けていくものにしていく方向が必要になる。

(2)「引きこもりを考える会」ではなく「引きこもりを考える会」にした初心を生かせるものにしたいという気持ちがあります。それには“社会人として生きる”とか“社会的なチャレンジ”をする意図を含んだ取り組みにする必要がありはしないか。
当事者は周囲の人や制度が何かをしてくるのを待っているのではなく、自分の現状から一歩前にすすむ意識を持っていくようなものにしたい。

(3)自分が引きこもっていたという体験を親や当事者にどう返していくのかも考え、経験交流する場にしたい。

(4)就労支援を就職するのと同一に考えられるけれども、そこにとどまっては就労支援が一部の人に限られます。就職自体が困難な社会情勢のなかではそれは難しすぎる。フルタイム就業が困難な人にはそれでは引きこもり支援を受けられない、受けようとするレベルに気持ちが届かない。これらはすでにみてきたことなので省略します。

(5)引きこもり経験者が、仕事づくりをするときに多いのは「対人個人サービス」です。同じ職場の働く人とは上手くいかないことが多いけれども、サービス対象になる相手とはいい関係ができる――これは何人かの実感です。「対人個人サービス」の選択を押し付けるつもりはありませんが、仕事を選ぶときのヒントになりはしないでしょうか。そして、この職場の仲間という苦手な部分、個人事業者として始める時に営業や宣伝という苦手のものをどうサポートするのか。そこに支援または支援者の役割が見えているように思います。

(6)この「対人個人サービス」には訪問型、在宅型が少なからずあると思います。ここも注目点になるでしょう。