作業があると対人関係の心理的な先鋭化を緩和できる

この心理的な戦争の勃発を緩和するために(消滅させることはできないでしょう)、数年後に対人関係に中間的な要素(媒介)を取り入れました。
その場合も私が意図的に考えてそうしたわけではありません。ある人が私の情報提供の作業、当時は支援団体の情報提供本の編集をしていましたが、それを「手伝いたい」と言ってきたのです。
形は違いますがそれはいまもあります。それがスムーズに現在に続いてきたわけではありません。いろいろあってだんだんそのようになりました。
この作業をすることが、通所する人たちの間の対人関係におけるセンスティブなものをいくぶんは緩和してくれるのに気づいたのです。作業療法にはそういう面があるのではないでしょうか。
作業にはその後いろいろなものがありました。『ひきコミ』の編集、「ぱど」の配布、DMによる学校案内書の発送などは比較的大きな取り組みです。小さなものはいろいろ発生しました。
その後、不登校情報センターのホームページで学校や支援団体の情報提供ができました。情報提供と情報収集はこの形になったのです。これが今日も続いているのです。

これらの各種の作業によって対人関係がどの程度スムーズになったのかはよくわかりません。それもあるのですが、それとは別の大事なことがわかりました。もう数年前のことになります。
特に対人関係をよくする必要はないと思えてきたのです。いつもとんがった状態でいては対人関係もできないですが、そうでなければかまわないのです。
対人関係をよくすることに意識が集中するともっと大事なことに気づかないと考え始めました。対人関係をよくする必要がない、というのは言葉足らずですが、他者に対して攻撃的でなければよしとする程度です。作業も共同作業ではなく、可能ならば自分の分担をひとりですればいいのです。

「大事なこと」とは、簡単にいうと自己肯定です。自己肯定というよりは自己肯定感がもっといいでしょう。自己肯定というと、何か優れていることを並べてみる、上手で自慢できる、賞をもらった、資格がある…ということを並べる人がいますが、それらはほとんど関係のないこととしておきます。
安心していられる感覚かもしれません。そうするとまたそういう環境や場所を考えるのですが、それともまた違います。
むしろ通所する人、不登校や引きこもりの経験者の共通に見られる自己否定感からのスタートのしかたが私には実際的なテーマであると思いました。
自己否定から自己肯定に進むこと、これが「大事なこと」です。世の多くの場合は、自己肯定をどう高めるのかを問題にします。ところが私の直面する人の多くは自己否定感に深く入っています。ここからスタートです。
「何もする気が出ません」「何をしていいのかわかりません」という人と自己否定感の強い人はほぼ共通の状態にあると見るのです。
私が書くものが思索的にならざるを得ないのはこのためです。書くのがうまい人はこのあたりが違うのでしょう。私の限界はいつもここらあたりです。
(その2)

「何もする気がありません」という人への答え

「何もする気がありません」「何をしていいのかわかりません」ということを聞くことが多いです。私の元にやってきてそう言っているわけですから、家でじっとしている引きこもりの人はこの状態がもっと深く徹底しているとみていいでしょう。
結局、私が不登校情報センターの居場所でしようとしてきたこと、していることはこの状態への対応策の模索になります。それについて2、3回に分けて書きます。
ところが私が何かを書くと臨場感がなく、よくわからない文章になります。もっと具体的に書くように注文を受けることは多いです。ですが今回は初めから具体的なことは意識せずに書きます。
「何もする気が出ません」という人に「不登校情報センターに通っていれば何ができるのですか」という質問を受けたのです。その人にどう答えるのか。いや長く通所してきている人はどうなのかを考えることにもなります。

1995年に不登校情報センターを始めたときは「支援する」という考えはなかったはずです。不登校や中退生を受け入れている学校や支援団体の情報紹介、そのための情報収集が中心です。それまでにも電話相談がありました。そのばあいは支援者を紹介してきたのですが、そのやり方に限界を感じていたことは確かです。よく考えればそこにも間接ながら“支援”はあったのかもしれませんが、少なくとも意識はしていませんでした。

さて質問に答えなくてはなりません。しかし、直接の結論じみたことはすぐには出てきません。さらにお待ちください。
現在の通所している当事者には情報提供・情報集めとその周辺作業の手伝いに来てもらっているのです。支援を求める人が来ても、何をしてもらうのかは決めていなくて、できそうなことがあれば来るように勧めます。来ていても何もない人もいると思います。
これが情報センターに通所してきた人へのさしあたりの答えになります。
しかし私が不登校や引きこもりの経験者に情報センターに来るように勧めたのは、彼ら彼女らがそれを求めていたからです。互いに話せる知人、友人を求めていた、それに応えようとしたのが通所者の生まれた背景事情です。

はじめは数人でしたが、徐々に増えました。そのなかでいろいろなことが発生しました。私が知っているのはいろんな事情のほんの一部に過ぎません。
相手を選ぶ基準の精密さというか好みの高さに気づいたのはかなり経ってからです。私には何もわからないうちに個人間で心理戦争が始まり、いつの間にか戦争は終わっていました。そのなかには去っていった人も多いと思います。戦った両者とも去っていったケースも多いと思います。
こういうことは新しくやって来る人の間では現在も続いているはずです。この人たちの間ではとりわけそうなりやすいことがわかります。それが対人関係のとりにくさに関係するのです。確かに不登校・引きこもりの経験者には大筋でそういう人たちが多いからです。
(その1)