中学3年生の2つの研究発表作品に出会う

東京シューレ葛飾中学校で開かれた「フリースクール全国フェスティバル」見学で,忘れられそうもないことが一つ生まれました。
東京シューレ葛飾中学校の卒業生でいまは通信制高校の1年になっている生徒の作品です。
その生徒が中学3年生のときに作ったという2つの研究発表作品(自作のパンフレット)です。テーマは「隅田川に架かる橋」と「葬送」です。
内容を詳しく話すことはできませんが、テーマの選び方(身近であり、意外と深さをもっている)、全体の構成にバランスと落ち着きを感じます。

後になって思い返すと、中学3年時の私自身を超えた作品に出会った感じなのです。
ずいぶん昔に南方熊楠の伝記を読み、その少年時代を聞いていたので、私はこれまで自分の中学時代を南方熊楠との対比のなかで“平凡”と納得してきたところがあります。
この2つの作品は、初めて自分の中学時代のこの分野での対抗者に出会い、しかも自分を超えている作品との出会いをしたわけです。
この作品との出会いは私自身の発見でもありました。

“人は障害者に生まれるのではない、障害者になるのです”

ツイッターの画面で「発達障害」や「アスペルガー症候群」を検索すると、全体としてその状態を否定的にみているようです。障害を直す対象にし、最近、それを治療する薬が開発され、一種の福音のように報じられています。私はそこに違和感というか、大きな落とし穴を感じてしまいます。

診断名があればその後は専門外の人はあまり介入しない方がいい雰囲気になっています。人間の精神作用は周囲の人間による作用が大きいのでこの理解のしかたは、少なくとも不登校、引きこもりレベルには通用しません。そこで不登校や引きこもりの背景に、あるいはその結果として病理学的な異変があるかどうかを突き止めようとします。それが突き止められれば、専門家のところに任せることで1件落着とします。違和感をもつのはこの部分です。

人は人の中で傷つきますが、人の中で癒されもするものです。この癒されるというのはとりわけ大事です。外科的な手術は精神活動においてはほとんどないでしょう(かつてはロボトミー手術がありましたが)、内科的な服薬方法は有効なときもありますし、人によっては最大の効果をもつことを否定しているのではありません。ある面では神経系の成長を促す薬が発見・発明されることも期待さえしています。
しかし、これらの状態を含めて人の作用、いいかえれば家族関係、友人関係、さらに継続的な人間関係が生まれる保育園、学校、職場あるいは医療機関、養護施設等における人の関係は、そこに職業的に働く人にとって専門外としてほしくはないのです。特に教師にそれを求めたいのです。教育活動は人を育てることです。そこに対人関係をどう組み込むかは教育内容そのものです。
人との関係を育て、成長を図ることが、障害者にならずに進む道にもなるのです。
すべての人は未熟な未完成な赤ちゃんとして生まれ、周囲の人、とりわけ母親の援助なくしては生きることができません。それでも人は障害者に生まれるのではなく、生後の条件の中で障害者になるのです。

外出時におしゃれをする息子

この質問は11月20日の「引きこもり経験者の職業体験発表&交流会」の席で出された質問です。当事者・支援者からの回答をお待ちいたします。質問は多くありますので、少しずつ掲載いたします。回答いただけるときは質問番号(F01)をつけ、下記要領を確認して回答をお願いいたします。

質問〔F01〕外出時におしゃれをする息子
いままで引きこもっていた20代後半の息子が、外出するときにおしゃれをして出かけます。そういう息子にどんな言葉かけをすればいいのでしょうか。

(1)引きこもりの経験者の方が回答されるとき…ご自分の経験したときの実感・事実に基づいて書いていただくことを歓迎いたします。正しい・唯一の回答というものはありません。自分にとっての真実の回答をお願いいたします。
回答文字数は30字以上1500字以下です。回答者のお名前(ペンネーム・ハンドルネームなど)・年齢・男女別および書ける範囲での短い自己紹介、ネット上での公表の可否も書いてください。

(2)支援者の方が回答されるとき…相談活動・カウンセラーなどの支援者はご自分の活動を通してこう考える、こう答えるというものを回答してください。
回答字数は1500字以下です。
回答者のお名前、支援機関名と所在地・連絡先、職名・代表的な資格名および若干の必要と思えるプロフィール。原則としてネット上で公表させていただきます。

ネット上の回答ページは「相談の実例」ページを大幅に改装し、そこに掲載します

懐かしいフリースクールの名前に出会う

11月23日、勤労感謝の日に東京シューレ葛飾中学校に行きました。歩いて10分のところにあります。「全国フリースクールフェスティバル」を見学というか見物のためです。予定ではもう少し多いはずでしたが、総勢3名でした。
各地で同じ「全国フリースクールフェスティバル」が開かれるようです。
内容の実感は高校の文化祭に似ているというところでしょうか。

それよりも印象的だったことは、懐かしい各地のフリースクールの名前を見ることが出来たことです。名前は知っているけれどもこれまで1度もやり取りをしたことのないフリースクールの作成した実物を目にした新鮮さでしょうか。
以前に連絡があり、いまはすっかり連絡がとぎれたフリースクール、何度か連絡をしたけれども1度も返事のなかったところ、実ははじめてみるところも1、2ありました。
このような印象を持つのは、不登校情報センターという取り組みを20年近く続け、いやそれ以前から不登校に関係してフリースクールの情報収集を続けてきた私にしかできない珍しい実感だと思います。

不登校情報センターのホームページには各地の支援団体としてフリースクールを収める「スクールガイド」ページ、親の会を収める「親の会ネットワーク」ページがあります。これらのページにおいて紹介されていて当然のフリースクールや親の会と出会えたという意味です。
それらのフリースクールの案内書や制作物をもらってきましたので、改めて案内をし、情報提供を受けたいと思いつつ事務所に戻りました。