「MeetAgainの会」を呼びかけた後の様子報告

不登校情報センターに来たことのある当事者に「MeetAgainの会」を呼びかけました。
会報『ポラリス通信』1月号には内容を詳しく書き、130名ぐらいに送りました。
送り先がわからなくなった人もかなりいます(知り合いに連絡してほしいのはそのため)。
19日までに送った『ポラリス通信』が宛先不明等で11通が戻ってきました。
少なくとも10%以上は届かないと思っていましたので予想よりは少ないです。
転居等の傾向も、動向を知る1つです。

「MeetAgainの会」の登録は5名になりました。
やや詳しい自己紹介文を書いて登録してきた人が2名います。
文通希望の「ひきコミWEB版」に1名を、「体験手記」にもう1名を載せました。
十数年前に文通誌を始めたころの様子がこれと似ていたことを思いだしました。

2月1日(日)に最初の交流会を開こうと予定しています。
ここに参加しようとはっきり言ってきた人はいません。
10日の「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)に2人が参加してくれたのは前ぶれだと思います。
2月1日には食事会を企画する人がいればいいと期待しています。

40代の男性から女性との付き合うのに迷うと相談

ある計画のために将来に向けて毎月少しずつお金をためている40代の男性からの相談です。
気になっている女性がいますが、どういうスタンスでつきあっていければいいのか迷っています。年が年ですから、可能ならば結婚も考えていますが、まだそこまで付き合いがあるわけではありません。
しかし、いい加減な気持ちで付き合い始める気にはなりません。
あるとき「どこか行きたいところはありますか?」と聞いたら、
「海が見えるところがいい」という返事があったそうです。
ちょっとどこかに行くにしても万円単位の出費になります。
そうすると、本気で付き合い始めるのに躊躇してしまいます。
付き合いがうまくいくほど毎月貯めているお金を崩すことになりかねないからです。
あまり詳しい事情を話してもらってないのですが、こういう状態の人は他にもいると思えます。

私が答えた要点は、自分の計画を失くしてしまうのはよくないのではないか。
相手に自分の将来計画を話し理解してもらえるかどうかが1つのポイント。
浪費型の女性とは思えないので、誠実に話せば伝わるものはあるのではないか。
お金を使わないで付き合いを続けていく形を相手と一緒に考えることになります。
そこを信じて、リスクを超えて行くつもりであれば進んでもいいと思う。
中途半端なスタンスで付き合い始めると、相手に申し訳ないし、自分の将来計画を壊すことになりかねません。
男性として相手を幸せにする義務が一方的に生じるのではなく、苦労をともにするつもりで…。

こういうことは高年齢になった引きこもり経験者で、低収入ながら定期的な収入がある人にありがちな状況ではないでしょうか。
多くの人が、この状態になると退いてしまう結論を出している気がします。
責任感や確実性を考えたものでしょうが、それで自分の人生はいいのだろうか。
女性側もそこまで一方的にして欲しくはないと思っているのではないか。
私はこの手の相談を得意としていないし、避けたいくらいですが正直に答えたつもりです。
状態や考え方には個人差があることですが、女性側の意見を聞いてみたいです。

1月のスペース利用の予定です

1月のスペース予定に追加があります。全体を表示します。
*パソコンによるサイト制作と事務作業グループはここにははいっていません。
(1)1月15日(木)、13時「みんなのパステルアート教室」
(2)1月15日(木)、15時「セルフサービスカフェ」
(3)1月23日(金)、16時「ゲーム交流会」
(4)2月1日(日)、14時~21時(参加できる時間はテキトーです)。
これらの集まりの内容は、「イベント情報」ページに載せました。「不登校情報センター関連」を見てください。

MeetAgainの会(仮称)を提案します

12月19日の忘年会は、以前に通所した人が集まりました。知り合いだけではなく、よく知らないけれども見かけたことがある、名前を聞いたことがあるという関係です。
この忘年会の仕掛け役はトカネットの藤原さんです。「こういう場を、数か月ごとに開いていこう」と藤原さんに話してみました。返ってきたのが「たまにはいいことを言う」と賛成でした。そこで…、
MeetAgainの会(また会おうかい)の企画
名前がないと扱いにくいです。本当はなくてもいいようなものですが「MeetAgainの会」とします。いい呼び名を考えてください。食べ物付きお話し交流会、不登校情報センターのOB・OG会のつもりですが、現在の通所メンバーも参加できます。
第1回の集まり:2015年2月1日(日)の午後2時から9時。長い時間ですから一部分だけの参加できます。
参加者の見込み:5~10名。
場所:不登校情報センター(会場の時間や料金の関係です)。
内容:近況のいろんな雑談、家族とのこと、人間関係のできごと、食べ物情報、町中体験、居場所などの情報交換、ハローワークや就職活動の経験、アルバイト・仕事の中でのエピソード、パソコン・スマホ活用術。家族や社会生活に入って直面したことを話し合います。その交流ができると役に立つことはいっぱい出てきます。
参加条件:適当に食べ物、飲み物をもってくること。他の人と分け合うつもりでやや多めに持ってきてくれると助かります。
食事会になると、100円から300円程度もらいます。これは義務的な条件ではないので、参加できる人たちで食事会にします。
参加の仕方:だれかと待ち合わせる場にするのがいいかもしれません。連絡しようと思っていたけれども適当な理由がない人には、この場に一緒に参加してみようと呼びかけてみるのもいいと思います。久しぶりに顔を合わせる機会です。
注意:なかにはあまり話したくない相手もいるかもしれませんが、無理に話すことはありません。人は誰とも親しい関係になるわけではありませんから。
以上の他に3点を考えています。『ポラリス通信』1月号には詳しく書きます。
(1)「MeetAgainの会」を呼びかける人の冊子(名簿みたいなもの)
(2)不定期・非公式・個人的に集まる提案
(3)『ポラリス通信』への投稿のお願い

旭爪あかねさんから『歩き直してきた道』が届く

旭爪あかねさんから自伝的な『歩き直してきた道』(新日本出版社、2014年)が送られてきました。
彼女が小説『稲の旋律』を発表した後、不登校情報センターは講演会にお呼びして話していただきました。もう十年以上も前のことです。
その後、この小説は映画化されました。数年前に日本共産党の赤旗祭りで上映する機会がありました。この上映会場に行ったとき旭爪あかねさんがあいさつをされ、そのとき久しぶりに顔を合わせました。
送られてきた本の前書きをみますと、いまは「書けない時期」になるそうです。この本は一小説家の自伝というよりは、私にとってはひきこもった人のジグザグな道をたどる人生記録として読めると思います。
 

引きこもりから社会参加への地味なプログラムを書く

え“ーっ、事務作業グループのこまごました内容を書くことが多くなって、しらけている人もいると思います。なぜそんなことを書くのか、少しだけ理由を述べましょう。
書くことがない? いえいえ違います(それもあったかもしれないですが)。

第一は、引きこもりからの社会参加、そのベースの人間関係の練習場面の「プログラム」の内容を見せようとしているのです。かっこいいものとはいえません。おもしろくもなければわかりやすくもない。プログラムとはいえ訓練というほどの外形は取りません。一斉に取り掛かるといえばそうかもしれませんが、かなり不ぞろい、しかもそれでいい。そういう様子をここに表したかったのです。成功した表現にはなっていませんが…。
脚光を浴びるものであっても、地味な作業が伴わないものは本物ではありません。これは私の信念みたいなものです。地味な作業は表に出にくいです。まぁ、脚光は浴びてはいないのですが、それはこの際、どうでもいいことです。

第二の理由もあります。作業マニュアルを文章にしています。そういうものがないと伝えられないことがはっきりしてきたからです。これまでも作業手順をメモ書きしていました。頭の中にはその数十倍のメモ書きがあります。
事務作業グループができてちょうど1年です。その間に少しずつ手順や要領を伝えてきたのですが、それらを文章にすること、そのうえで実際に取り組みながら話しことばで補足すること、それを場面が変わるごとに繰り返します。それにより伝えられる可能性が広がりました。私が伝えられるということはメンバーが受けとめられること、すなわち出来るようになることです。だからこれは社会参加のプログラムになります。

“やってみて、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は育たず”
ある先人のことばです。これに私の経験を加味したものといえるでしょうか。社会参加プログラムを実施する具体的な様子を、可能な範囲で書いているわけです。内容が地味で退屈かもしれません。何かをしようとするときに参考になるかもしれません。
第三の理由もありそうですが、まぁこのあたりにしておきます。

文通の役割を再評価し、新しい取り組みを始めます

文通の運営を本格的に始めたのは『ひきコミ』を発行し始めた2001年からです。
その『ひきコミ』は2年後の2002年末には事実上休刊になりました。
文通の参加者は急減しましたが、以後の10年間も細々と続いています。2005年の6月に不登校情報センターをNPO法人にするにあたり『ひきコミ』を会報としました。だいたい月刊で発行し続け、2012年の終わりまできましたその会報にときどき文通用の投稿を載せてきたのです。

いま新たな形で文通を復活させようと考えています。その理由というか背景がいくつかわかってきたからです。
(1)ブログ「センター便り」には、「文通ボランティア」を検索して入る人が多くいます。ブログの解析をみます。
Top search terms 累積訪問数(2014年1月1日) 
① 文通ボランティア181 、②アスペルガー 53 、③二条淳也 42 、 ④文通 ボランティア 39 、⑤玉成高校 33 、⑥長崎玉成高校 27 、⑦発達障害 専門学校 24 、⑧子若法 24 、⑨発達障害 疑似体験19、⑩手紙を書くボランティア 18 、⑪発達障害専門学校 15 、⑫文通 ボランティア14  、⑬ペーパービーズ 作品 14  、⑭いじめ 後遺症 社会人 13 、⑮いじめ後遺症 12 ⑯闘う女医 10 、⑰ひきこもりサポーター 10 、⑱発達障害 不登校 中学生 9 、⑲関水徹平 9 、⑳発達障害 専門学校 9 。
このように、文通ボランティアの関することが上位20位までに4件あり、20件の合計576のうち252(44%)を占めます。
(2)これに比例して、文通ボランティア希望のメールによる問い合わせは多くあります。正確にカウントはしていませんが、この1年で30件程度になったものと思います。ときどき返事をし、その様子をブログに書いたこともあります。
実際に文通ボランティアに登録したのは9名です。内3名はこのブログ以外からの参加です。文通ボランティア希望者にはご自身の体験を詳しく書いてほしい点がハードルになっています。高いハードルです。
(3)文通ボランティアに申し込んだ人の“志望動機”を見てわかることがあります。ほとんどが不登校・引きこもりの経験者です。いじめを受けた体験者です。自分の経験を生かそうとしています。実際に生かせるでしょう。しかしそれは専門家とは違います。だからいいのです。
引きこもり状態の人のどれくらいが何らかの専門家につながっているのでしょうか? 推測ですがどう多く考えても10%未満です。90%は専門家とは関わっていないし、関わりたくもないのです。なぜなら専門家は意外とわからないことを知っているからです。専門家ではなく、体験者として関わる役割がここに見出せます。それがこの問題への中心的な対応方法かどうかはひとまず脇におきます。いずれにしても感覚的な経験を理解されないかぎり、自分の状況は理解してもらえないと感じているのです。感覚的な経験は言葉にしづらく、また情感・感情とは神経系で密接につながる事情です。
(4)これまでの文通活動の経験からわかることがあります。一般論的なアドバイスはいらないし、それは文通を中断する理由になります。いちばん必要なことは共感になると思います。経験者に適性を見るのはこの点です。「弱さでつながる」ものであり、それは目標達成などの「強さでつながる」タイプとは違った粘着性のあるつながりをつくります。この点が後に出てくる女性の役割にかかわるのです。
(5)文通の役割に関して、名古屋の木村茂司先生から、それが引きこもりから抜け出すことに結びついた例を聞きました。私もそれに相当することを見聞きしていたはずですが、ほとんど意識していなくて実例を思い起こせません。
ただ「不登校、ひきこもり、対人不安の人から発信する個人情報誌」の『ひきコミ』による文通が引きこもりから抜け出る方法になっていることは想定してもよかったのです。それは訪問サポートほどの直接的な働きかけとは違うけれども、緩やかな手段と位置づけられていいものでしょう。文通の本格的な再開のねらいはこの点にあります。
(6)重要と思うのは、文通の参加者は女性に多い点です。どれくらいなのか? かなり以前に文通の全体状況を調べたとき、それも調べていたことを思い出します。正確とはいえませんが参加者の3分の2以上は女性としておきます。
私が引きこもり経験者に男女差が世間で言われるほど大きくはないと考える根拠は文通における女性の多さです。女性の生活・行動様式とは違うために、引きこもりは男性が圧倒的に目立つのです。違った視点から見ると女性の引きこもりは少なからずいます。主婦の引きこもり、家事手伝いにおける引きこもり女性の存在です。男性の主夫の引きこもりや男性の家事手伝いの引きこもりは皆無とはいえませんが、女性に比べてはるかに少ないのです(男性の引きこもりのある割合が主夫業型、家事手伝い型になるのは確かです)。女性の引きこもりは名称を変えて存在しているのです。それが文通というところから見えてくるのです。
(7)女性の役割として注目したいのは、“女性らしい”引きこもり支援方法がここに潜在していると予想できることです。一人ひとりに感情をこめて丁寧に対応していく方法は、全体として男性よりもはるかに優れています。理路整然と関わるよりもむしろ情緒的に関わるのが引きこもり支援方法としていいことはありませんか。職業分類的には対人サービス業の一つになる可能性を秘めています。

このような背景と理由から、不登校、ひきこもり、対人不安の人とつながる文通を再評価して取り組むことにしました。

好きなことを仕事にするのがいい

チョコシゴの体験発表会(17日、わせがく高校)は、実によかった。
その場と終わった後のファミレスの話で、改めて感じたのは「好きなことはやめないで続けること」です。
「すぐに儲かる、仕事になる」は好きなこととは関係しません。以前に絵の好きな人がイラストレーターになりたいといっていましたが、親から「そんなはっきりしないことを考えていても仕事に就けない。経理でも覚えなさい」といわれて、そうしようとしてうまくいかなかった例を思い出す。
就職することが仕事と考え、できれば期待される即戦力をつけようとした人は多いはずです。自分のなかで好きなのかどうかわからないこと、親や教師や周りの人が言うままに取り組んでうまくいかなかった人は多いのではないかと思う。
もちろんうまくいった人もいるでしょうから、すべてだめとは思いません。そういうときでも自分が好きなことをやめる理由にはならないのではないでしょうか。
昨日のNHKで、パラパラ漫画を描いている人が登場してインタビューに答えていました。パラパラ漫画が仕事になると断言する人はいないかもしれませんが、時代はそうなってきているのです。好きなことが仕事につながる時代が近づいているとさえ思います。
大事なことは、すぐに儲かるとか仕事にするとは考えないことです。好きだからやり続けること、それをおおいに訴えたい。

好きなことはない、という人がいます。実際に引きこもり経験者に話しを聞くと多くはそう答えます。私はこの答えを信用していません。
好きなこととは、多くの人にとってすでにやっていることで、あまりにも自然なものです。それが自分にとっての好きなこととは意識しない・意識しようがないのです。
少し言い直してみましょう。誰かに話せるとき・見せるときにはオッと驚くレベルにしてからと考え、だから「好きなことはない」と答えていると受けとめましょう。なぜならその人はいま現在も生きているからです。そこに何かを働かしていると考えるのは普通です。
それでも自分には好きなことは絶対ない、という人がいるかもしれません。
食べている、呼吸している、衣服を身に着け、布団で寝ている。生きるために基礎代謝は働き、生理現象はある。無意識・無感覚というそのなかに自分の好みは表れるし、表れざるをえないでしょう。そいつを発見するために自己観察を1か月続けてから、もう一度「自分には好きなことは絶対ない」といえるかどうかを実行してみてください。
それでもなければ私はあなたには好きなことは何もないと認めてもいいです。ただしそれは私には何も手がかりがないという証明ですから、何かを期待されても何もしない・できないことも確かです。
人のことはともかく、「私は好きなことしかしてこなかった。それが収入になるかどうかは考えないできた。いまもほとんどそれは変わらない」。だから自分のことを書こうと思いますが、長くなったのでいったん終えて次回にします。

引きこもりからの体験発表会にでかけます

きょうは高田馬場のわせがく高校(東京キャンパス)で、「引きこもりを持つ親のための 引きこもり当事者による体験発表」に出かけます。
開始は午後の1時からです。
発表者は3名(男性2名、女性1名)です。30代以上の子どもが引きこもっている親の方には手がかりになる話しになります。
きのう聞いたところでは、参加者が少ないということです。親の方、支援者や研究者、関心のある人の参加をお待ちしています。
参加費は500円です。

夜8時に繰り上げた平井駅北口の「お話し聞きます」

金曜日夜の「お話し聞きます」を書くのを何回か忘れていました。
台風とか雨のために中止をした日はありますが、粘り強くというか気負わずに続けています。
だんだん寒くなり、今日11月1日は比較的暖かな夜でした。開始を1時間繰り上げ8時開店です。セーターを着て、会員C君と平井駅北口広場に“お店”を広げました。
今回もこれというニュースはありません。