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英会話に興味を持ちアメリカに留学したA君

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英会話に興味を持ちアメリカに留学したA君

(体験談2)当事者の状況
両親共働きの家庭。
家族構成は、当時中学生の弟(14歳)、そして高校2年生の当事者A 君(男子)。
不登校歴8か月。
一軒家の2階の自室に引きこもり状態。家族全員外出時に1階の居間に降りてきて自炊をして食事を摂る。
皿、ごみなどは散らかしっぱなし。
自室には大きな穴。幸いにも母親に対してして手を出すことはなく言葉の暴力のみ。
国内でのカウンセリング期間:5か月。

アプローチの経過
母親からA 君が尊敬し、大好きだった中学校時代の理科のB 先生の事を聞き出す。
阿相がB先生に会って彼の現状を説明。
そして阿相がB先生の大学時代の後輩(留学会社を経営)という設定で2人で彼を訪問する事になった。
初回訪問の際、A君の部屋の明かりがついているのを見て、本人の在宅を確認した。
家のブザーを鳴らすも想定通り本人は無視。
母親の同意の上、鍵を預かっていたが、A君を刺激してはいけないのでその日は手紙を置き、退散した。
手紙の内容は、「B先生より。
阿相という留学斡旋会社を経営している、おもしろい大学の後輩がいるから会ってもらったら? 不登校の経験も過去にあるからお前の気持ちが分かるかもしれないよ!」
この時の両親の子供に対する状況は、父親はA君との接触を完全に避ける。
母親は彼からの言葉の暴力に怯え、いい母親を演じる。
彼が散らかしたごみ皿の片付け、食事の準備に専念。
A君は両親の行動を掌握している様子。
彼の行動は確信犯的に見受けられた。
最初の訪問3日後、阿相1人で訪問。
ブザーを鳴らしてもA 君は無視。
玄関口から彼に聞こえるように自分の名と近くの喫茶店の名前を連呼する。
その後その喫茶店で1時間待ったが本人は現れなかった。
再度家に行き玄関口から彼に次回の訪問日を大声で伝え、事務所に戻った。
3回目の訪問で、前述の喫茶店で30分待っているとA君がよそよそしく店に入ってくる。
自己紹介、経歴を楽しく演じながら、彼に話す。
神経質で繊細な性格なため不登校という現実に自暴自棄になっている様子が伺え、自信喪失で現実逃避しているようにも見受けられた。
親以外に親身に話を聞いてくれる人を求めて人を探していると感じ取れた。
彼の緊張を解かすよう、傷つくような言動を避けるよう慎重にかつ馬鹿げた会話をする。
会話の内容は海外留学、暴走族の経験談。
とにかく彼に少しでも心を開かす事が出来るよう、外国人のおおらかさ、アバウトさ、日本とは違い世間体を気にしない気質を説明。
少しだけ興味を持ったのか取りあえず英会話レッスンを受けたいと自分の意見を言った。
後日、アメリカ人講師同行のうえ訪問。
不思議な事に簡単に2人を招き入れる。
レッスン中、非常に散らかっている台所をわざと本人の前で阿相が片付ける(他人が綺麗にすれば2度とちらかす事をしないであろうというねらい)。
その後キャンセルすることなく英会話学習に専念。
1か月後にはアメリカへの高校留学を決意。
両親は非常に喜んだ。
一緒にパスポート申請をするために東京都庁に出向いた。
留学後は現地の家族、特にホストマザーと気が合い不登校になるまでの自分(母親の談話:素直で協調性がある子)を取り戻し、学校にも問題なく通学し、無事4年間(語学研修1年間含む)の高校留学を終え、帰国子女枠で日本の某有名大学に進学。
(体験談1)オーストラリアに試験留学になったB君
(体験談2)英会話に興味を持ちアメリカに留学したA君
(体験談3)何とかシドニーに留学させたロック指向のC君
(体験談4)留学途中で無断帰国を実行したD君のばあい
(体験談5)双子のE君・F君への働きかけの結末
(体験談6)過保護のF君14歳をゴルフと称してオーストラリアに誘う
(体験談7)アスベルガーによる言動の障害をこえて米国大学を卒業したG 君
(体験談8)親と一緒に対応ができなかった引きこもり20年のH 君
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