社会は不登校にどう対応したか

本日の事務作業グループは学習会をしました。
テキストにしたのは、ブログ「センター便り」掲載の「全日型の通信制高校」(4月2日)、「昼間定時制高校の広がり」(4月3日)、それに「通信制高校の広がりと意味(素描)」(五十田猛の論文とエッセイ・2011年6月)です。
これらは不登校に対して社会はこれまでの20年間どのように対処してきたのか、その変化を書いたものです。事務作業として学校や支援団体の情報を集める活動をしていればわかることです。
メンバーはそれぞれに中学時代や高校時代を振り返りながら体験を話しました。そのときは気づかないことですが、どういう過程があったのかを知ります。
情報収集の事務作業はこういうことが可能です。自分なりの問題意識が生まれればそういうことも開けます。
ブログにしてもエッセイにしても私が事態を理解するのは情報収集を通してです。それをメンバーに伝える機会にした学習会でした。

情報センターサイトの認知

不登校情報センターのサイトに向け、2か所の大きなサイトから活用・参加・リンクを勧められています。
1つは「日本の学校」です。情報はかなりの質量があり、内容のどの部分に整合性があるのかはよくわかりません。調べてから対処することにしました。
もう1つは「占い関係」です。こちらも大きなサイトです。なかには不登校情報センターのサイトにあっても不思議ではないカウンセラーや身体療法施設も入っています。これはどうかという施設もあります。このサイト全体と相互リンクというのはなじめません。
2つとも不登校情報センターのサイトが、あるレベルに到達した証拠として記憶しておきます。

「察する」と「断る」の違い

ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されている方と話す機会がありました。
私の中にもアスペルガー障害とともに自閉的なものもあります。それに加えてADHD的なものもあることに気づきました。
いくつかの話しから一つをあげるとすれば、「断る」ということでしょうね。対人関係の中で私はあっさりと「できません」、「わかりません」、「知りません」ということが多いようです。これがとっつきにくいとか無感情と思われやすくしているようです。
私の方で感じるのは、なぜはっきりと「出来ない、しない、止めます」と言ってくれないのか思うことが多いです。以前に「行けない」という連絡をもらったときのことを書いたことがあります(引きこもり経験者の面会キャンセル)。またTVのプロダクションから企画に関する返事をしたところ、採用するのか・しないのか返事がはっきりしなくて困ったことがあります。なんだか一生懸命に「企画の趣旨」を話しているのですが、それと私の返事は違うと言いたかったようです。だいぶん経ってからそれに気づいたのですがとてもあいまいな断り方であると思いました。
ともに、はっきりと断らないでいろいろな周辺事情を述べて私に出来ない事情、行けない事情を「察してくれ」と言っているのです。
私はこれがいやなので、せめて他の人にはそうならないようにあっさりと断っているつもりです。「できません、わかりません、知りません」とはそういう表現です。ただこれが対人関係を障害することになるというのですから、困ったものです。

この度の『DSM-Ⅴ』(アメリカ精神医学会の精神疾患の分類と診断の手引)でADHDや発達障害やアスペルガー障害や自閉症はどのようになっているのかは知りませんが…。障害の診断基準ではなく、性格や行動様式の理解基準ならいいと思うことがあります。

お話しききます商店街デビュー

お話しききします。
困ったことでも、グチでも、なんでもいいですよ
30分1000円いただければ…

A3版の紙にこう書いて、会員Cさん、それに関心を示した藤原さんの3人で夜の新小岩商店街に向かいます。折りたたみイスは4脚。夜の8時はアーケード通りの明かりがついています。通行者はかなり多く、3人にいる前を、看板代わりを見ながらすぎていく人も少なくはありません。
9時になってアーケードの明かりが消えました。しかし、通りを歩きながら看板代わりは十分に読めます。通行者もあまり減らず、様子もさして変わりません。
結局、10時過ぎの打ち切りまで、初日はだれも話しにはきませんでしたが、目標の達成感はありました。会員Cさんは継続できると確信を持てたようです。継続を決めました。

「最初に戦闘をせよ。そうすれば全体が見えてくる」と聞いたことがあります。
まず実行してみる、そうするとどうすればいいのかわかってくるものです。話だけで実行しないのはナンセンス、実行してこそ話す意味も出てくる、そういうものです。
写メを撮りました。そのうち会員Cさんのところに掲載になるでしょう。

大人の引きこもり教室の1年

大人の引きこもりを考える教室を昨年5月から継続してきました。従来の親の会を発展的にしたつもりです。そしてちょうど1年がすぎました。
教室は初めに15分から20分のレクチャーをします。そのあとは参加者の状況の報告を受け答える、参加している人から意見を聞くというスタイルでした。
この形は基本的に継続していますが、最後の2、3回は崩れているというか変則になりつつあります。

まず、最初のレクチャーのテーマが10回ほどで一巡しました。それに代わるものとして情報センターの取り組み、様子を話しています。引きこもりからの出口には訪問や居場所の役割が欠かせません。情報センターの様子を話すのはそのためです。それをレクチャーするようになりました。固定的にそうするつもりはないのですがその要素を織り交ぜる方向になります。

次に、参加者の交流部分です。一応の共通理解、他の人の実例を聞きながら自分の家族の問題を考えるのがここの役割です。それは最後は親との個別的な状況について対応をつめて話さなくてはなりません。その部分を教室という場で行うにはあまりにも個別的な事情になります。前回はこの部分を別にしましょうとして何人かに話しました。
仕組みとして毎回1人は、教室終了後に個別に話すつもりでいます。そう出来たこともありますが、全体としてはまだです。

もうひとつ意識していることは、家族同士で話し合う機会を持つことです。それには教室という場を離れた方がいいと思います。たぶん前回はそういう場ができたと思います。

これからの教室の運営を考えるとき、以上の3点を意識していくつもりです。
こういう1年間の教室の運営で、私がご自宅を訪問したり、代わりの人が訪問したり、2人で訪問するなどの方法も出来てきました。全てに一人では対応は出来ませんが配分しやすくなってきました。さらに改善する面もありますが、いまのところ15人以内の参加で可能な状態です。

情報収集と情報提供の新局面

不登校情報センターの情報提供の現在を、不登校受け入れの学校・支援団体の情報提供の方法の変遷から考えてみました。

不登校情報センターは設立以来、不登校生を受入れる学校・支援団体の情報を集めそれを情報提供してきました。
設立は1995年です。当時は複数の出版社がそのような出版物を発行していました(現在もわずかですが続いています)。
その情報出版物に並行して、受入れ校とともに進路相談会を開催していました。
出版物と進路相談会の2つの柱で受入れ校の広報活動をしていたのです。

2000年ごろから、ここに変化が表れました。進路相談会への参加者が激減したのです。この事情はネットにおける受入れ校の情報提供が広がったためと説明する人がいました。
背景の一面の説明は当たっているのですが、不登校情報センター主催の最大の進路相談会は2001年9月でした。5日間通して行い、記憶では参加者は500人近くいました。100校近くの学校案内書を展示・配布し、カウンセラーの相談機会をつくり、何よりも有力な新聞4紙以上に掲載されました。3連休を挟む5日間連続の取り組みができたことも注目された要因だと思います。
この経験がありますので、ネットにおける受入れ校の情報提供が広がったから進路相談会の参加者が減ったとは一概に判断できないとしてきました。

ネットにおける受入れ校の情報提供はさらに広がり、出版社側からの情報提供本の発行は2004年を最後にできなくなりました。進路相談会の参加者は確かに減りました。
不登校情報センターがネット上で情報提供を始めたのは2004年からです。多くの試行錯誤がありました。徐々に情報提供の量がふえ、内容も豊かになり、学校以外の相談室、親の会の情報も増えて行きました。引きこもりや発達障害に関する情報内容も増えました。
これらの情報提供に完成はないのですが、私が現在の不登校情報センターのサイトを「一応の完成」と言えるようになったのは昨年の秋ごろからです。根拠にしたいのは、情報を受け入れる仕組みが少なくとも学校・教育機関に関してはできていること、相当の情報内容がすでに入っていることです。この仕組みがあればさらに情報を追加しても支障がないレベルになっています。2004年から実に9年かかっています。

しかし、これで完成というわけではないし、また継続できる保証ができているわけでもありません。状態を白紙に戻して必要な条件を考える状態になったのです。サイトが一応の完成を見たからできることです。
必要な情報をアピールする側の枠組みはできています。けれども中心的に情報を必要とする側、不登校の経験者と家族にとって有効かどうかを見ると、不十分です。ここが明瞭になってきました。
サイトの「一応の完成」の完成度を高めるとともに、不登校の経験者と家族に必要な情報提供をめざすことが中心課題になります。どうすればそれに近づくのか。この点を探ることになります。

当事者・家族に応えるサイトに

今日は当事者・家族の関心に応えるサイト制作をしているAさんを訪ねました。
不登校情報センターのサイトの状態を簡潔にまとめ、課題を私なりに明確にして、Aさんにいくつかの質問をしました。Aさんは自身の取り組んできた方法も紹介しながら、答えていただきました。
中心テーマは当事者・家族の関心に応えるサイト制作です。はじめから大きくこたえるサイトがあったわけではありません。1人、2人への丁寧な対応が出発点であったのです。
Aさんが取り組んできたことを不登校情報センターのサイト制作でそのまま実践できるわけではありません。しかし、与えられた条件を生かしていけばまた違ったものもできます。それを考える上で大いに参考になる意見を聞かせていただきました。

不登校情報センターのサイトは、不登校・引きこもり・発達障害と周辺事情を、それらの当事者が制作することを最大の特色としています。公益性public、中立性neutralの性格を持つように心がけています。
一応の完成を見たところですが、さらに大きく発展させ、完成度の高い状態にすすめたいところです。他の協力者への参考意見を聞く取り組みをもう少し続けます。

日常的な事務作業の試行

事務作業グループは昨日から、より日常的なことに移りました。
日常的に送られてくる紹介情報を、1件ずつどう処理をしていくのか。連絡のために送られてきた文書類を見ながら考えます。
これまでの3か月間にしてきた作業を全てつなげば、その答えは自然に出るものです。しかしそうできる人はまずいません。まったく初めて取り組んだことの意味をそこまで理解することはできないからです。基礎知識として1回試したことをもう一段掘り下げて理解することになります。
新年度の始まったばかりのこの時期は、このような文書類も比較的多いので具体的に取り組む材料には不足しません。昨日は2時間で全部できるのかと思うほど件数が多かったのですが、1時間半で一通り終えました。
いろんなケースを繰り返し経験するしか、全体はわからないでしょう。基本的な作業の多くを先行してすませていたので、比較的短時間でできたようです。

事務作業は、情報収集を中心に、問い合わせ調査とその質問の趣旨に問い合わせが入りますのでそれに答えること、それを繰り返しているうちに別の何かに気づきます。それを集約し(研究)、その蓄積を生かす企画・計画などがつづきます。問い合わせながら学校や支援団体の状況を理解することになります。
請求書を書く、やりとりを簡潔に記録する、基礎的な台帳(学校や支援団体のカード)の整理など付随する多くのことが生まれます。事務作業はこの部分が目に付くものです。
たとえるなら富士山は頂上が代表します。しかし、物理的にいちばん大きいな構成物は裾野部分です。この裾野部分が弱いと頂上は高くなりません。事務作業は裾野部分になります。頂上はサイト自体です。
裾野部分を強めるにはメンバーがやや少ない感じがします。志願メンバーの復帰と新たの参加者を歓迎します。いずれも引きこもり等の経験者が条件です。

ブログ2件を体験者ブログ集に

「小学校時代を不登校ですごした娘が自転車で各地を旅した話しをブログで書いています。お時間のあるときにご覧になって下さるとうれしいです。」と連絡がありました。少し読んでみると、中学生か十代半ばになる年齢です。コメント欄がありましたので返事を書きました。「自分が実際に体験した経験に基づいて考え、行動し、自分の意見にするーそういう内容になっていると思います。まだ数ページを読んだだけですが、これからときどき見させていただきます。こちらのサイト内に「不登校・引きこもり体験者のブログを紹介するコーナー」があります。そこにも掲載したのですがよろしいでしょうか。」
ブログ名は長いです。
「学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記『能登半島一周』『津軽海峡夏景色』」。
自宅学習(ホームスクール)により学習し、父親から卒業証書を受け取ったと書いてあります。家族もかなりすごいです。

もうひとつ、ツイッターから見つけた「アスペルガー症候群は治らない」というブログです。ご本人に連絡をして、これも体験者ブログ集に加えました。「アスペルガー症候群に関する質問には即答できるようになっておきたい」と書いてあります。この人もなかなかです。

明日の事務作業は中止です

数日前から風邪気味です。
今日もほとんど寝ていたのですが、そう快調にはなりません。
週末の予定等を考えると、ここは思い切って休みをとることにしました。
パソコンによるサイト制作は各自がやればいいのですが、事務作業はそうもいきません。明日の事務作業は中止にします。そのあとの「居場所を考える会」も中止にします。