事務作業グループは、「学校・支援団体の仕組みと対応例」の前段階になる作業をしました。これまでにも学校等から送られてくる情報について特色のあるものをグループ内で紹介してきました。今回は送られてきた情報を全て調べ、特色を発見しようとするものです。今回調べた対象は約50件で、5月ころの入手情報です。というよりそれ以上はできませんでした。
作業が難しかったのか、おもしろかったのかはわかりませんが、私には大きな発見がありました。文字だけでは見逃してしまうことも、視点をはっきりさせてみると深くつかめます。提供情報1件に1つはその学校や団体の特色を現すものがあると思ってみていきました。
「これといって特色をつかむことができない」となったのは定時制高校です。ほとんど全部が公立高校なのでそれもやむなしと思ったのですが、サイトに上げようとすると定時制高校が最初にまとまりました。「定時制高校の生徒の様子」がそれです。
調査したものをまだ全部チェックはできませんが、この調子で行くとかなり有益な情報分野ができそうです。
これまでは、通信制学校とか適応指導教室のように学校や支援団体の種類ごとに特色をまとめてきたのですが、それとは違うまとめ方も浮上しています。過年度生、高等学校就学支援金、発達障害生との受入れ、学費の内訳…などです。学校・支援団体別のまとめかたが縦系列とすれば、過年度生などというのは横系列のものです。これも多くの情報を集めれば(すでに集めている情報を調べれば)何らかの特色を見ることができそうです。
この作業は10月28日の「不登校情報センターのサイトに新式の入り口を作成中」のうち、「学校・支援団体の仕組みと対応例」にあたります。
月別アーカイブ: 2013年10月
不登校情報センターのサイトに新式の入り口を作成中
ラビリンス(迷宮)とヤユされる不登校情報センターのサイトに少しは迷わず進入できるように新しい入り口を作り始めました。
(1)サイトの入り口に“当事者の状態・行動・立場などから必要な情報にたどり着く仕組みをめざす”「サイトの案内」を制作しています。
制作途中ですが、工事中のまま掲載しています。
(2)これまでに相談などで質問されたケースを整理しました。
途中ですが、回答者は13名(うち3名が当事者)、質問数約140件、回答数は224件(うち6件が当事者)です。この質問と回答からキーワードにあたるものを181件つくりました。これらが、「サイトの案内」に続く情報提供です。
回答者は質量ともに不十分なので、広く協力を呼びかけます。
(3)「サイトの案内」のもう1つの情報提供は、「学校・支援団体の仕組みと対応例」です。つくり始めたばかりです。
サイト入り口にある「学校に行っていない(不登校)」や「働けない(引きこもり)」という状態に続く相談・対応先が「通信制高校」や「フリースクール」では、あまりにも漠然として調べる意欲がわきません。その部分を改善するためです。
不登校情報センターは学校や支援団体からは恒常的に紹介情報を受けています。その情報からより細かく、その学校や団体ならではの具体的な内容をまとめるのがこの「学校・支援団体の仕組みと対応例」です。
たとえば「適応指導教室」は不登校生の対応と自治体の相談機関ですが、自治体により少しずつ様子が違います。その特色を示すことで対応状況を少しは見えるようにしようとめざすものです。
この「学校・支援団体の仕組みと対応例」ができれば、十分というわけではありませんが、「適応指導教室」「通信制高校」「フリースクール」などを1つひとつ調べてくださいというよりも、進んでいると思うからです。
(4)この「サイトの案内」をつくるなかで強く感じたことは、教育相談室、心理相談室、福祉・就業などの相談機関(メンタル相談)の情報が不足していることです。多くは公共機関になりますが、民間のカウンセラー、NPO、就業支援機関、それに学校自体が相談機能を果たしているのにそれが紹介されていません。「サイトの案内」の項目に紹介する、ゲームのしすぎ、昼夜逆転、家庭内暴力などの最初の相談先は、必ずしも学校ではなく、これらの相談室や親の会です。それらの相談や対応を取り入れたいと思います。
(5)ある程度に仕組みができたら「サイトの案内」制作のためのミニ教室を開きます。制作を3つぐらいのパートに分け、継続的に継続・発展できるようにするためです。パソコンを使える人、ネット上で情報を集める人、使えなくても事務作業として関わる人…などいずれも引きこもり経験のある人の参加と協力をお願いします。
コミティアに「製本教室はじっこ」名で出展します
COMITIA実行委員会から連絡がありました。
来年2月2日のコミテイア展に出展申し込みをしました。
サークル名称は「製本教室はじっこ」です。
COMITIA実行委員会からは次の2条件が出ています。
・サークル名に企業・法人名(不登校情報センター)の使用は不可
・不登校情報センターHPへのリンクは不可
当初は「不登校情報センター」の名前で出展を考えていたのですが、その場合は「企業出展」になります。いろいろ事情を説明した上で「サークル出展」にしました。
製本教室は、あゆみ書店として発行する本と冊子づくりの作業単位です。
はじっこは「片隅にいる私たちの想造展」の元になった太田勝己さんの言葉「はじっこにいたい」をそのまま使うものです。「製本教室片隅」では漢字ばかりで硬すぎるので「製本教室はじっこ」にします。
2月2日のコミテイア展に出席し、本と冊子の販売をする人を募集します。交代で展示会内をうろつきます。
それまでに製本教室を開く必要がある新作品の提供や既刊本の増刷があるといいのですが…。連絡を歓迎します。
人は依存しながら依存から抜け出す力をつける
10代後半以降20代、30代になって親への依存をする人の相談を受けます。
この場合の依存というのは経済的な依存をさすのではなく、それ以前の精神的な依存を指します。30代になった本人から親に依存していると話されることもあります。話すということは、本人が自覚している分ましということもできますが、事態は自覚していない場合とあまり変わらないこともあります。
年齢が高くなっている状態の精神的な依存は、共依存的ではないかと検討することが多いです。子どもが何らかの形で親から離れていき、親の思いとは別の動きを示すと、親のほうが不安感を示すのです。親が子どもに依存するから、子どもは親からの依存から抜け出せないのではないかと思うこともあります。
いろいろな状態、ケースがありますが、この状態の解消は依存状態を“やめる”というのとは少し違うでしょう。たとえばクスリ依存をやめるとしても多くの場合は、“徐々にやめる”のがいいと思います。〔強制的・物理的にクスリを断ち切った人もいますが、それは一般論にはできません〕。
同様に親子間の依存、共依存も似たところがあります。相当にひどい家庭環境で親の愛情が感じられなかった人が、これはという信頼感を寄せられる人と出会ったとき“独り占め型(占有型)”の依存を示すことがあります。このような例を対象に「依存を断ち切る方法」を主張することはありうると思いますが、それもまた特殊な例です。
そういう極端なことでなければ(極端になりやすいことは確かですが)依存しながら、依存から抜け出す方法を考えたほうがいいと思います。大人の多くはそのような道をたどって自立してきたのです。幼少期に依存体験を得なかった人が、成人したあとで依存経験なく依存から離れ自立した状態に進むことはちょっと考えられないくらいのものです。人は依存しながら依存から抜け出す力をつけるのが自然な道であると思います。
親の集まりや個人相談で感じたことです。
協賛者として宿泊施設を紹介する説明会に協力します
不登校情報センターの情報紹介している「宿泊型フリースクール」をつくるNPOの代表者に会い、話をする機会がありました。生徒の状態を中心に話題はいろんな面に及んだのですが、最後に「不登校情報センターに出来そうなことは何ですか?」と聞きました。
そうすると「不登校情報センターが生徒募集で力を貸してくれたら、かなり集まるのではないですか」という返事がありました。
これに対する私の実感を答えました。「それは不登校情報センターの役割の買いかぶりです」。それは不登校や引きこもりの中心的な多数の生徒の状態を見誤っていると感じました。そういうことでは生徒は動かないし、不登校情報センターの役割とは違うと思いました。
そこで提案しました。「短期間の宿泊体験の計画をしませんか。その案内をするために説明会か相談会をするのはどうですか」。
それなら出来そうと判断されて、都内で説明会的なことを繰り返していくことになりました。具体化はこれからですが、不登校情報センターは「協賛者」として協力できそうです。
不登校情報センターは学校・支援団体の広報・告知の面でできることをするつもりです。生徒募集などの代行・肩代わりをするのではありません。しかし何ができるかは、話してみないとわからないものです。今回は比較的わかりやすい方法が見つかった気がします。
手作り製本の仕方を一通り説明した製本教室
製本教室(20日)により数点の本ができコミティアへの出し物がかなりそろいました。
今回の製本教室では、手作り製本の方法と手順を一通り説明しました。私にとってはごく当たり前のことのように思っていたのですが、聞くほうは意外な感じがあったのかもしれません。なるほど、そういうことが必要であり、そこをこう作っている、という感じで聞いていたのでしょう。
「製本作成について仕組みがわかり、とても勉強になりました。また、いつもは一人で作業することが多いので、皆さんと一緒に過ごすことができて、楽しかったです。自分でも早速、本を作ってみます」という感想も寄せていただきました。
文章を書く、絵を描く、物を作る…などの創作活動がないと、製本教室はみすぼらしいものになり、いずれは消滅します。今回は絵本を作ろうという人が来たのがよかったです。
この教室の終了後、詩作をしている人が来ました。そういう人が関わればまた違ったことになるかもしれません。
製本教室は続くのか? その見込みはまだ立たないとしておきましょう。
掃除は引きこもり人間にとって特別の状況を示す
不登校になり引きこもり生活が重なる男子生徒が部屋の掃除をしないとこぼすお母さんの話を聞きました。部屋が汚れていると健康にも影響しますから、母親としては普通の関心に思えます。私も引きこもり状態の子どもには衣食住や健康面からが関わりやすいので、家族の関係としては部屋の掃除を勧めることもあります。
ところが子どもによってはそうは行きません。掃除というテーマの前に子どもにとって自室は自分の生存・生活拠点です。部屋の掃除を名目に拠点の様子が変わる、拠点に家族とはいえ人が自室に入るとそこを脅かされる感覚になる人もいます。そのために掃除をめぐって特別の状況になることもあります。
特別の思い出となる小さいころのまんが本が積んであったりすると、そこは子どもにとっての聖域です。うっかりそれらを片付け、ごみ場に持って行ったお母さんはごみ置き場からその本を引き上げてくるように命じられて困ったことがあります。
自室はこのような“子どもの宝物”という理解しがたい物で埋め尽くされ、家族の共同スペースである居間が子どもに占拠されていることも少なくはありません。
自宅の様子にもよりますからどうすればいいのかは一様には言えません。2部屋と台所だけのアパートに住み、その1室を子どもに占拠された母子家庭のお母さんは、洗濯物の取り入れのときだけ窓側にある子どもの部屋への進入を許可されていました。これで平穏であればそれも一つの対応の仕方です。
引きこもり生活から変わり始めが、子どもが自室を掃除しだした例は少なくないと思います。それから家族の共有スペースである階段や廊下に掃除が広がることもよく見られる進展の仕方です。
掃除を優先して考えるのではなく、子どもの状況に合わせて子どもの居場所をどうするのかの目で見ていくのがいいと思うのですが、どうでしょうか。
手紙活動の参加問い合わせが2人から来ました
文通ボランティアへの参加問い合わせが2人から来ました。
これからは必ずしも「文通ボランティア」ではないので、「引きこもりへの手紙活動」参加者とします。
1人はお母さん、もう1人はかつての不登校・引きこもり経験者のようです。
メールによる問い合わせなので、お名前も住所もわかりません。共通して次のようにお返ししました。
「ご連絡ありがとうございます。所定の申込用紙を郵送させていただきます。
ご住所とお名前をお知らせください。
それにご記入し参加してください。記入はできるだけ直筆で詳しく書いてください。文は人なり、といいますが、文字も人なりです。直筆は感情が自然にこめられるもので、そこが活字とは違います」
*直筆で書くことは絶対条件ではありません。パソコンもOKです。
*要領は詳しすぎてわかりづらいのですが「手紙でつながる引きこもり対応」見てください。
修士論文のためアンケート回答者を募集します
大学院修士課程で心理学を学んでいるK君が来ました。
ある心理療法家が引きこもり理解の一つの考え方を提唱しています。それを実証する「対人関係の問題と家族との関係」を明らかにするためのアンケートをつくりました。修士論文用だそうです。全部で10ページあり、アンケートに答える時間は15分から20分程度です。
このアンケートへの回答者を募集します。情報センターに来る人に勧めますが、関心のある人は来ていただいてもいいし、宅配もします。連絡をください。
メール(open@futoko.info)、FAX(03-5875-3730)に、お名前と送り先をお知らせください。引きこもり期間は必ずしも長くはなくていいそうです。
フラット型に移行した職場のコミュニケーション問題を聞く
丸野先生を囲むグループ(ストレス勉強会)は予定の4時前に到着したはずですが、部屋に入るとすでに始まっていました(13日)。「適当な時間に始まり適当な時間に終える」ようです。私の好むやり方です。
話していたのは職場・業務におけるコミュニケーションのようです。上下関係をなくし職員が互いにフラットになった状態になったときのコミュニケーションの不十分さ、改善方向です。
仕事場では数十人が一つの部屋で隣に座っている人とは会話をせず(ほとんど面識もない人もいる)、パソコンの前で仕事をし続けている状態の不気味さを話されて、すごいことになっていると思いました。
そこで働く一人ひとりは、担当部分に責任を持つのですが、「それさえやっていればいい」という気分ではなく逆にプレッシャーを感じています。その担当している仕事については自分しか知っていないという不安感もでてきます。お互いの仕事を調節するとか総合する担当者は不在のときもあります。
私がこれまで働いたことのある大学病院・町の診療所の事務職、出版社の編集部では経験したことのない働き方です。パソコンの普及(仕事の技術的な条件の変化)、職制がピラミッド型からフラット型になっている変化という社会状況の変化が背景にあります。ピラミッド型からフラット型への移行は一つの進歩として進められてきたのかもしれません。加えて職員のメンタル面での変化が絡み合った仕事上のコミュニケーションの問題となります。
ちょっと想像しがたいのですが、社会の現実を映しているのでしょう。