ひきこもり相談・学習会(東京都江戸川区)参加者募集!

不登校情報センター主宰の松田武己による「ひきこもり相談・学習会」を始めます。
第1回のテーマは「ジェネレーション(世代間)ギャップ」です。
親と子の間の考え方、感じ方の違いは社会背景の大きな変化が関係しています。
歴史学や産業各分野・とくに農業研究者によると、日本社会は過去1500年のなかで最大の大きな変化の途中にあります(明治維新や第2次大戦後の変化よりも大きい)。最近50年間の変化は世代間の考えや生活スタイルに大きなギャップを生み出しています。かつて「普通」とされていたものも普通ではなくなりました。
このあたりを最初の学習テーマにします。個人的な相談も行います。
日時:7月8日(土)15:00~17:00
場所:平井コミュニティ会館(江戸川区平井4-18-10)。JR総武線平井駅南口から徒歩10分。
参加対象:当事者、その家族、関心を持つ人。
参加費:300円(当事者無料)
連絡先:03-5875-3730(松田)、open@futoko.info

(7-2)居場所「10年」の一例

期間「10年」と提示するのは一人の実例が私の頭にあるからです。短くもなれば長くもなるという「10年」に特定の人を当てはめるのは必ずしも妥当とは思えません。他方でいろいろな人のあれこれの面を網羅して人物像を描く場合のわからなさはそれ以上にダメだと思いました。それでこの人を挙げます。この生き方がだれにも通用するとは思いません。自分のスタイルを曲げないで、時期を待ったといえるのでしょうか。
私はその人、Rくんを私の見方で説明します。個人情報的なことは書かないつもりですが、近辺にいる人は「○○くんかもしれない」と想像するかもしれませんが、それはさけられないことです。しかしこれという証拠は、文面には出ないでしょう。
Rくんの一つの面は一つの決めたことを頑なと言えるほど、しかし自然に守りました。週何回か通所しパソコンで主にサイト制作をしました。通所のペース、日時は各自の都合に任せている居場所作業です。Rくんは彼の設けた基準に沿ってそれを実行しました。休日には土日曜日や祝日も含みます。居場所では土日曜日も祝日も関係ないのですが、これらも各自の判断や都合に任せていましたが、彼は自分の基準に従いました。
サイト制作は、数人が分担しています。その分担のなかで各自が工夫を試みることも可能でした。サイトはWikiシステムでできており、そのシステムの中で彼はいくつかの試みしていました。この数年―——彼はすでに職に就きこの制作にかかわっていませんが——―集団作成したサイトを集約する時期に入っています。その作業過程を通して彼がここではこういう試みをしていた、ここではこんなこともしていた、と感じる場面がいくつも見つかります。これはRくんにかぎらず他の人にもいくぶん見られることですが、彼のケースが格段に多いことは確かです。
彼を考える場合、特別と思えるのは私との関係です。私と通所者の関係に不文律の基準はあると思いますが——Rくんと私は必ずしも親しいとか友好的とはいえないでしょう。決して対決していたのではありません。彼も、そして私もそれなりに頑固であると認めていいと思います。その一方で他人のやり方には通常は干渉しない——そういう日常というか生活態度は共通しています。
通所者と私はときにぶつかることもありました。その結果(残念なことですが)、この居場所から離れていく人もいました。別の所に活路を開いた人もいますが、そのまま様子がわからなくなった人もいます。
Rくんのばあいは、私にねばり強く迫ってきました。記憶ではそういうことは3回ぐらいありました。いちばん思い出すのは、きわめてまれな、一時的な事情によるもので——詳しく語ることは避けねばなりません。
このとき私は彼の「説教」を1時間以上も聞かされることになりました。そのために、児童相談所や行政区の子ども相談室に、そして近くの交番に出向いてある事情を説明して回ったことがあります。その結果、居場所のやり方を少し変えたわけですが、他の人にはその影響はあまり感じなかったはずです。私は、全体は変えずに彼が要求した点を満たすためにある対応をしただけです。
彼が私に要求した2つ目は、彼がある事情から職に就いた後のことです。言い方は正確ではないですが、Rくんが職に就いたことは「たいしたことではない。大きな成果でもない。それを何か大へんなことが起きたというように主張してほしくはない」ということでした。
私は、実はほぼ同じスタンスをとるつもりでしたが、そのことを改めて彼から主張され、迫られたことにめんくらったものです。

ふり返ってRくんを思います。地味で一貫して、しかも止まらなかったと言えます。急発進、急成長とか目ざましいものをあげることはできませんが、その十年をみると、いやそれが十年つづいたことこそ、かけがえのないめざましさであると思わずにはおれません。
知る範囲では、精神科系医療機関に受診していたとは聞いていません。もし診断を受けるとすれば発達障害系の何かでしょうが、そういうことには無関係に生きてきました。おそらくそれは私と似ていると思います。彼とは30歳近くの年の差がありますが、彼の将来は意外なものになるのではないかと予感さえするのです。職に就いて数年後、彼が「優秀社員」に選ばれていたと聞きひそかに納得しました。

(7)「働くに働けない」状態とは

(7)「働くに働けない」状態とは
ひきこもりの経験者には「働くに働けない」人が少なからずいます。
2週間で5日、隔日の就労、1日5時間以内/3時間以内、週3日が限度・4日は無理…などの心身の状態です。
制度としては「短期間就労制」=週20時間以内の就労があります。医師の診断により通常の労働時間ではない働き方を可能にするものです。
ひきこもりの集まる居場所において、かなりの人からこの状態を聞きました。素人の推測によるものですが、見かけではなく心身の内部に何らかの異変、おそらくは神経系統か感覚に関わる何かに支障があると思います。
働くとなるとブレーキがかかる。明日が仕事日であると今日から休んで準備をしなくてはならない。しかし、大好きなことなら動けるし休む形での準備はいらない。そういうことをくり返していると、「さぼっている、怠けている」とみられそれが委縮していく原因になる。働くのが怖くなり、意欲をなくしていく。個人差はありますが、そういう実例を少なからず見聞きしてきました。
これは例えば小学生に就職を勧めることはどういう無理を強いることになるのかの例で考えてみました。やろうとする事態がつかめないので、言われたままに動くしか方法はない。しかし、言われたままに動けるわけではない。わからないままに、意味のつかめないことで意味のない動きをするしかできない。
要するに「使えないヤツ」と見なされ、よくて放置、悪くなると排除または何らかの被害者になると予想できます。もちろんこれは極端な例ですが、必ずしも例外的なことではないと思います。
そう予想できる人に働くのを要求することは無理難題の押しつけと考えます。ひきこもりへの支援、これを就業支援ではなく、社会参加支援と定義し直して考えたいのはそのためです。人と関わる経験を重ねる中で社会参加の道ができます。それは3か月という期間を区切ったものではありません。
私の居場所を運営した経験(感想)からすると期間は10年と考えます。その人がいつから関わったのか、どのように関わったのか、関わり始めた年齢、関わるまでの経験(学校時代やアルバイト経験など)、本人の性格や好みの傾向、家族を含む周囲の協力など、多くの要素が関係しています。従ってこの「10年」は伸縮幅が大きいものです。大幅に短くもなれば大幅に長くもなります。
しかし、ことを始めるには「10年」を要するとの心構えがないと、結局短期的な成果を求めて挫折に至ると思えるのです。私が「10年」と考えるのはある人の実例に即して考えたことです。次にそれを紹介します。

(6)独身者の増大と「孤立・孤独」に対する制度づくり

結婚しない人が多い世代、というのも1970年代以降に生まれた世代の1つの特徴といえいます。「結婚する・しない」のよしあしは別にして、婚姻が本人の自由意志による点が広く認められた1つの結果です。旧時代によくあった「強いられた婚姻」は相当に減ったのですが、他方では「結婚できない」条件が強まっていることにも目が向けられなくてはなりません。結婚し家族で生活できる十分な収入が得られない社会的な条件が強まったためといえます。
日本の人口減が注目されていますが、その背景には結婚しない人の増大、出産数の減少があります。1女性の生涯出産数の減少と晩婚化はそれを示しています。
私が将来の孤立・孤独を懸念する人にこの結婚しない人が含まれます。一人っ子とともに家族関係が変化しきょうだい関係が希薄な人の将来には、そこが心配になる人もいます。
これへの(制度としての)社会的対応は、どうなっているのか。私はこれらの全容を想像できず、うまく説明できません。しかし、多くのひきこもり経験者と接する中で感じているのはここです。いじめの被害者、虐待の被害者、ひきこもりの経験者、貧困を含む社会的な弱者……への総合的な社会的な対応が求められるでしょう。それらの全体が大きな課題になると予測される「孤立・孤独」への対応になると思います。
それぞれの当事者には可能なことはしてほしいです。居場所づくり、居場所に参加する、何らかの共通の関心による仲間とつながることです。身近な自治体の福祉部門や保健所や社会福祉協議会に相談し、知り合う関係になり、協力を求めることです。その先に何かがありますが、まだ姿かたちははっきりと言葉にはできません。

(2-2)社会的な病理について

5月1日の「不同意を『 社会的な病理 』と表わす」の続きです。
ラジオ番組で精神科医・斎藤環さんと社会学者・宮台真司さんが話していたそうです。これはDくんからのまた聞きです。以前は校内暴力や非行に表われたものがある時期から不登校に変わった。対談の二人はこれを反社会的な行動から非社会的の行動に変わってきた、というのです。私は同じ事態を問題行動から社会的病理に見方が変わったと書いたわけです。同じ事態の見る角度の違い、あるいは表現方法の違いととらえたのです。Dくんの話を聞いたときはかなり納得していました。いや今もほぼ納得しています。
ただ少し違う面もあると感じています。社会的な病理はかなり領域の広いものです。大部分はお咎めなしですが、両極にそうとばかりは言えない事態があります。そのはじめは1997年のサカキバラ事件です。その後も毒薬殺人など「問題行動」の範囲を超えた因果関係が不可解の事件、犯罪であり、しかも徐々に増えているようにも思えるからです。いじめにもこれに相当するものがあります。
正確さは保証できないですが、社会性が十分でないまま社会に入ってきた“少年期”の青年、家族関係が崩れている中で“孤立・孤独”な環境に置かれている若い世代、そういうことが関係していると感じるのです。これが社会的な病理の片方の極であるとすればもう片方の極には自傷的な行動、社会的な病理が個人に入り込んでいった事態があります。薬物依存やきわめて極端な強迫的症状などです。
以上は社会的な病理、あるいは非社会的行動はマイナス面に表われることですが、プラス面にも表れています。それは個人の確立と結びついた人間成長の姿になります。個人名を挙げたくはないですが、将棋界の〇〇さん、若さを条件とするスポーツ以外で十代の人が目立つ活躍をしているように思えます。
プラス面もマイナス面も含めてその総体がある時代を表わすでしょうから、悲観と楽観ではなく歴史的にこの時代をニュートラルにとらえ、その内実を思うのです。

ひきこもりの支援は まず人とつながる経験を

 教育関係の編集者を経て1995年に不登校情報センターを設立した。居場所の運営を始めると、当初は不登校の10代が多かったが、徐々に不登校の後にひきこもりになった人たちが増えた。その数は全国で増え続け、今やほぼすべての自治体がひきこもりに何らかの対応をしている。ところがその割に、成果が上がっているように見えない。
 自治体の取り組みは、心理的要因の改善や就業支援に偏りがちだ。しかし私の経験からすると、その中間にある就業以前の「社会化」の支援が必要な人が多い。経験を通じて人とのつながり、コミュニケーションの力を身につけ、社会的人間に成長できる環境をつくる対応が大事だ。
 ひきこもりといっても、外出自体はできる人は多い。しかし外でコミュニケーションが取れず、挙動不審に思われたり周囲に関心がないと誤解されたりしてしまうことがある。否定され続けてきたため、「他の人を嫌な気持ちにさせるのでは」という気持ちや警戒心が強いのだ。
「居場所」では人と話す経験を大切にする。音楽、美術館巡り、スポーツなど趣味の話題が多く、親しくなると学校時代や家族の話も増える。「居場所」の掃除や食事会をすることもある。人とのつながりが生まれると「○○さんがいるから会いに行こう」という思いが外出の動機になることもある。
 支援には、ひきこもりの人の特色を知った上での配慮が必要だ。その繊細で鋭い感性を表わす言葉や振る舞いをまとめた「ひきこもり国語辞典」を出版した。たとえば「分担」の項目はこうだ。「一つのことをいくつかに細分し誰かと一緒に協力して進めるのは苦手です(略)せめて一人ひとりの分担範囲を決めてもらうと、気分が楽になります」
 社会化の支援は定式的な方法を確立がしづらく、成果を判断する尺度が見えにくいが、対応例は増えている。保健所がひきこもりの人の居場所をつくり、就労をすすめるサポートステーションの活動に対人経験を盛り込む例も多い。当事者の内側にある潜在的な力をひき出す当事者視点の取り組みだ。ひきこもりの原因を個人の心理的要因とする見方は今も強いが、「治し、教え、訓練する」目線は実情とずれる面がある。
社会の姿はそのまま変えずに、ひきこもりの人の社会参加を求めるだけでは限界がある。不登校への対応が学校や教育制度の状況を改善したように、ひきこもりだった人が働きやすい社会、ハラスメントや長時間労働のない職場は、誰にとっても働きやすくなる。ひきこもりへの対応を社会の変化につなげたい。

〔 朝日新聞【私の視点】2023年6月7日掲載 〕

投稿「私の視点」ひきこもりの支援

6月7日「朝日新聞」、「私の視点」欄に私・松田武己の投書が掲載されます。そのゲラ刷りが送られてきました。タイトルは「ひきこもりの支援」です。
短い文章に内容をかなり圧縮する難作業でした。担当編集者の協力を得て的確に表現できたと思います。この問題にかかわる方に参考にしていただきたいと願います。
文中に私が編集した『ひきこもり国語辞典』からの引用は担当編集者のアドバイスにより入れました。今回の投書の主旨は『ひきこもり国語辞典』のまえがきの言葉「人並み以上の感性と人並みに近い社会性をもつ」人間集団であるひきこもりの支援方法を実体験に基づいて提示したものです。ひきこもりを支援していただける方が多くなること、より適切な支援が進むこと、それは社会全体が生きやすく、暮らしやすくなると考えるからです。
『ひきこもり国語辞典』は時事通信社発行で、通販のAMAZONで購入できます。私の手元にもありますので、本体価格1600円(送料無料)で送ります。

(5)性的少数者の社会的承認

LGBT(性的少数者)が社会的に公然化したのもこの30年余のことではないでしょうか。それ以前にもそういうタイプはいましたがかなり珍しいものでした。
これが公然化したのは、社会的背景として個人が自由に表現できる条件ができたことです。自然界の法則として7~8%が男女の境界上または往来するタイプであり、それが認められてきたわけです。
社会的に承認を受けるには多くの苦難な過程があったと知りました。その際に著明人のカミングアウトは大きな役割を果たしたと思います。著明人では知る範囲では「MtF」タイプが目立ち、逆の「FtM」タイプは少ないと感じます。
不登校情報センターの通所者や相談に来た人の中に、数人が広義の性的少数者でした。言い換えればこの人たちは生きづらくて社会から一歩引いた生活状態にいたと証明されるのです。私がそういう状況を知ったのはそのおかげでもあります。居場所に来た人では後者の「FtM」タイプが多いので、「MtF」の活躍が目立つのは私には少し謎です。
しかし社会的な対応としては現在もいろいろ不自由が指摘されています。同性婚は、法的にはまだ明確にされていません。裁判所の判決で同性婚を受け入れる法制度が整っていない不備が指摘されています。その前にごく当たり前の夫婦別姓というのも認められないのは、時代錯誤もはなはだしいでしょう。
社会的に承認が広がり、それにしてはなお課題は大きいようです。それでも1970年以降生まれた人たちの個人中心的な自由な発想の大きな成果であると考えます。