経済社会から問題を見ることとは——

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ひきこもり経験者の集まる居場所にいて考えてきたことは、個人の心身や生活を見ることから社会全体を考えることでした。それとは反対に経済社会からそれぞれの個人を見ることは、動いている歴史のなかに個人をおいてみることになります。個人から社会を見るのか、社会から個人を見るのか、その総体において事態をより正確に理解できる気がしています。言い方をかえれば個人の医学・心理学の側から社会を見るのか、個人が生きている経済社会からそこに生活する個人を見るのかといえるでしょう。
そうするとときに相反することもあります。個人の状態からは都合がよく説明できても、全体の動きを反映しないこともあるし、全体の動きは理解できてもある個人にとっては不都合なこともあります。
そして私はこれまで、主にひきこもり経験者個人のところに身をおいて全体を見てきたわけです。経済社会から、または経済学から事態を見ることはこれまでとは反対の側から事態を見ることです。どちらの側から見ても一致する、おおむね同じと説明できることが多いはずですが、違うこともあるかもしれません。そこに新しい発見、新しい見方ができるかもしれません。たとえば——
社会全体の購買費が増えることが社会発展につながり、しいてはひきこもりの解消に向かうとしましょう。個人が生活防衛のために節約することは消費行動の面で相反することです。とくにひきこもり経験者の「お金はなるべく使わないようにする」生活態度は当然のことです。自分に稼ぐ手段をもたない、家族(親)から生活費や小遣いを遠慮がちに受け取っている生活をしているのですから。
ところでこのひきこもり生活者も含めて、あるいは節約生活を迫られる人たち(プアホワイトやシングルマザーなども含め)、収入が増えるのであれば、購買費はいくぶんなりとも増大するでしょう。
経済的な不況というのは、ぜい沢品の購入が減少するためではなく、生活必需品といわれる範囲の物品・サービスの購入を制限することによって生じることです。それはなかなか外見からはわからないことですが、ホームレスになる人はその先端部分として外に表われる部分でしょう。窃盗などの犯罪件数の増大と経済的困窮の増大にはある程度の相互関係が証明されていることも明記しておくべきことでしょう。
ひきこもり経験者は、悪事はきらいです。そういう状態にならないように日ごろから節約を重ねているのです。2000年前半に自殺者が年間3万人を超え、いまなお1万人を超えている状況は、ひきこもりに限らず日本人の犯罪には走らないという自制心と関係があると考えます。

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