新小岩ルミエール商店街での「お話しききます」は6回目を終えました。金曜日の夜に移してからは3回目になります。本日も異常なしというところです。
高知競馬に“ハルうらら”という競走馬がいて、100連敗という記録を残したというのをなぜか思い出してしまいました。その方面の知識が私よりはある会員C君から、地方競馬はほとんど持たなくなっているという事情を教えてもらいました。
北海道の旭山動物園は、地方の動物園は大変という状況から、逆転したわけです。これまでの状況を覆すのはそういうところかもしれません。楽観主義者の私は地方競馬も何かの逆転があるかもしれないと思いました。とはいってもさほど競馬には興味はないのですが…。
「すみません!」と向こうのほうから突然声がかかってきて、スマホの画面を見せながら、「ここに行くにはどう行けばいいのですか」と2人組の女性から聞かれました。
ポリボックスに代わる地理案内です。だいたいの見当がついたので教えました。しばらくしてその2人組みが駅方面に帰りながら「ありがとうございます。でも感じが違うのでやめました」といいます。地理案内はよかったのですが、行った先は2人が予想したところとは違ったようです。
この2人組みを会員C君は「もしかしたら中学生?」というくらい若いというか幼く感じたようです。私の見た感じでは18、9か20歳ぐらいなのです…。わからないものです。
ということもあって、金曜日の「お話しききます」を続行し、通行者に記憶してもらうことが大事であるということにしました。そういえば先週金曜日にいた占い師さんがいませんでした。
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引きこもり支援に問合せ内容
事務作業グループで、引きこもり支援施設、居場所・フリースペースおよび自立・就業支援団体に通用する、新しいフォーマット用紙を考えました。全体のデザイン作成前の「こういう内容を聞きたい」というところです。メンバーが宿題に答えたことを、私が補正して2点を整理しました。
(1)当事者のどの状態の人に対応していますか――該当するレベルに順位をつけ、対応方法を選んでください。
①、 自室から出られない・自宅から出られない人たち(順位 )
対応方法:自宅等への訪問、家族の相談、家族会、その他の対応方法(
)
②、 自宅から出て、図書館やコンビニに行くが居場所には行かない(居場所に来ない人(順位 )
対応方法:家族の相談、家族会、その他の対応方法( )
③、居場所に行き、支援者などとは話せる人(他の当事者との接触は難しい人)(順位 )
対応方法:当事者との相談、居場所に入る、家族の相談、家族会、その他の対応方法( )
④、対人関係で親和的と思える人とある程度のコミュニケーションがとれる人 (順位 )
対応方法( )
⑤、社会参加をめざす・何かの技術ら資格取得を目指す人(順位 )
対応方法( )
⑥、アルバイトや短期の就業を繰り返す人(順位 )
対応方法( )
⑦、以上のレベルとは異なる状態の人と対応方法(順位 )
どういう状態の人ですか( )
対応方法( )
(2)居場所について(⇒項目をつくり選べる形にする)
①、週何回あるのか、参加者の年齢・年代、何人ぐらい参加しますか。
②、居場所としてうまく機能していますか、どんな問題がありますか、当事者・支援者・参加者にとってどういう意味がありますか、使いやすい場所ですか。
③、初めて参加したまま来なくなった人はいませんか。どういう理由だと考えますか。
④、居場所にきた一人ひとりにきめ細かな対応をしていますか。
これに先日(7月3日)の「引きこもり支援施設への質問」を加えていくとかなりいい線のフォーマット用紙ができそうです。
「お話しききます」継続中
新小岩商店街での「お話しききます」第5回をしました。時間は夜の9時過ぎから10時半過ぎまでです。
同じ商店街のかなり駅に近い側で占いをするという人が立ち寄ってくれました。「こちらは話を聞くことです」というと同業者ではないので安心したのかどうか、すぐに去っていきました。「この5年間さんざんです」と言っていたので、苦労はしながらもかなり長くやっているのでしょう。
会員C君はいろいろ考えているようです。ここに「お話しききます」と座っていることが普通にできるようになってきた。それが最初の“成果”で、そこからどう向かうのかを考えているようです。
私は、定点観測のように金曜日のこの時間帯にはここに「お話しききます」と座っている人間がいる、それを自然に知られることが大事になると感じました。通りすぎていく人の反応は悪くはないです。短期で何かを得ようというのではなく、長期に続けることが必要です。それは他と同じことかもしれません。
DJ講座とカラーセラピー講習
SくんがDJ講座を続けています。
日曜日の講座のあと、Sくんと受講者のUくんと話していました。聞くとUくんの属するグループが、東京ビッグサイトのコミケ(コミックマーケット展)に出展ブースを持つことになったとか。
Sくんが『中年ひきこもり』『ひきこもり国語辞典』『メンタルフレンド力』などの自作の冊子を並べて話しています。それを見て話している中身の見当がつきました。
そこで「ブース出展料は?」と聞くと8000円とか。出費覚悟で不登校情報センターも次回の12月(?)にはこれらの冊子を持ってブースを開く手があるかもしれません。ざっと数えると冊子は10点にありますから。
忘れそうでしたがDJ講座は継続しています。
また、島田さんのカラーセラピー講習の次回は7月16日です。
いずれも受講者を募集しています。
「お話ききます」は金曜日に
今週から新小岩商店街での「お話ききます」は金曜日にすることにしました。それが28日夜9時からの第4回になりました。
いろいろなアドバイスがあり、実行して感じたことがあって、いくつかの変更をしました。
手に持つ看板を少し替えました。書いた内容はほぼ同じですが、読みやすい字、あまり似てはいないけど2人の似顔、料金を15分500円としました。この看板の縮小版=B5版大のチラシを作りました。チラシには不登校情報センターのゴム印を押し実行者を明らかにしました。猫の置物も偶然に出てきたのでチラシのペーパーウェイトにしました…。
そういう準備で出かけたのですが、現場での最大の変化は、途中から顔を出した2人の女性、というよりは不登校情報センターの役員F&M。私と会員C君は途中でこの2人に代わってもらい、2人のやりようを離れたところから見学することにしました。
時間が来たところで2人から熱いアドバイスというか、提案を聞きました。次々話されるので消化不良気味です。いくつかを書くと、比較的暗い場所なので明るい衣装にする、Tシャツを作る、小さな本か絵はがきくらいの小物を置く(手作り本が候補になりました)、金曜日に継続するのをアピールする、他にもいろいろ出たのですが次々に出て本来の趣旨を離れそうなものもありました。見学で気づいたことは通行者に声をかける、チラシを立って手渡すことなど。
可能なことを少しずつ取りいれます。またMさんに月1回くらい参加していただくようにお願いしました。
引きこもりと苦楽を共にする
引きこもりと苦楽を共にする
「引きこもりの高年齢化の先」その9です。
6月12日のシリーズ2回目「支援策を要約すると」で書いたことです。
「支援の方法は対個人サービス業を超えて、集団的・社会的なものが必要になること―医療やカウンセリングの役割は対個人サービスです。それとして重要ですが、それを超えた生存のための社会環境づくりを求められます。就職支援も対個人サービスの範囲内の支援策です」。
仕事起こし、仕事づくりもまた同じです。私が対象にしているのは高年齢化している引きこもり経験者です。
例えばカウンセラーの資格を得ても、クライアントが来るようにならなくてはカウンセラーの仕事、職業にはなりません。引きこもりの経験者には資格や技術や技能を伝えるだけでは仕事になりません。会社組織に入ってチームを作り分担をして仕事をする方法もうまくいきません。
個人の自由業的なことをしながら(請負でもSOHOでも形は問いませんが)、営業面などのカバーがいります。それは特別なことではなく、多くの企業や事業所は既にそうしています。
そのカバーする仕組みや条件を共同事務所的なところがするのです。仕事ができそれに集中する枠組みができれば、各人それぞれやっていくでしょう。しかしお客さんのいない対個人サービス業はないのです。その部分をカバーする営業・企画・広報などの役割が必要です。
仕事起こしのために技術養成や資格講座がよく行われます。その比較的高額の受験料によって、講師や指導員が収入を得てその人たちの“仕事起こし”に終わるやり方は見え透いています。受講者の仕事つくりに進まなくてはなりません。
それに代わる方法を追求しているつもりです。支援者と支援対象の高年齢化した引きこもり経験者が苦楽を共にするような仕事づくり、仕事起こしが必要なのです。簡単にできるような話は私にはまったく信用できません。少なくともそういう人は引きこもりを理解しているとは思えないです。
彼ら彼女らをカバーが必要であるといいますが、その課題には共同事務所にあたる不登校情報センターの力量を超えるものもあります。「集団的・社会的な支援策」としたものです。そのための法律的・制度的条件を利用・設定することまで指摘しました。
ここには確かに飛躍があります。支援団体として、共同事務所としてもっと身近に日常的に関わることがあります。それなくして法律的・制度的条件といっても現実的なことにはなりません。それらの個々の内容は既に書いたことのなかにありますので、繰り返しません。
なにしろ成功の軌道に乗った状態ではありません。その途上の悪戦苦闘の状況を書きました。こういう事情をわかったうえで高年齢化している引きこもり経験者が不登校情報センターに参加するように呼びかけます。また引きこもり支援を試みる各地の支援者の参考になればさいわいです。
系統性がなく思いついたことをばらばら書いたのですが、シリーズはこれで締めとします。
生まれたワークスペースの内容
「引きこもりの高年齢化の先」その6です。
2004年から不登校情報センターのホームページを、学校と支援団体の情報紹介のサイトにすることにしました。それまでは数人が自分好みの不登校情報センターのホームページを作っていました。そのサイトを学校や支援団体に共同の広報サイトに変えようというのです。
これは至上命令でもありました。それまではこの学校と支援団体の情報提供という不登校情報センターの本来業務は出版物によって続けてきました。それが社会情勢の変化のなかでネットに移行せざるを得なくなったのです。
出版社はこれまでの情報出版物の発行の継続を渋り始めていました。出版物に代わる先はネット上です。切り換えるタイミングになっていたのです。
私には情報を集めるノウハウはあっても、しかし、それをネット上のサイトにつくる知識・技術はありません。ここ不登校情報センターにはその技術を持つ人がいました。それは「不登校情報センターを働ける場にしてください」という30歳前後の人の会とは違いますが、年齢も状態も同じような引きこもりの経験者です。個人名は代わりますが同じ人たちです。
このサイト制作は、出版物と違って収入源がありません。そこは未解決の課題でしたがともかくはスタートしたのです。サイト制作グループがあゆみ仕事企画と重なりながらも平行して進む時期に入りました。2004年のことです。
2005年夏に事務所をマンションの一室に移転しました。この影響は大きいのですがそれにふれるのは別にします。
2006年秋にSAMさんの「就労して6か月」の体験発表をしました。就労したときの様子を一歩踏み込んで質問する人が出てきました。職場で叱られたときどうしていいますか、親しくなるのが不安(個人的な事情を詮索されると困る)などです。これらは既にいろいろな場所や機会に聞いてきたことです。こういうオープンな場で聴くと特にはっきりすることになります。
この就労への不安が「対人関係アレルギー」ともいえるレベルと結びついている人が多数いることが明瞭になりました。きわめて繊細であり、周囲にいる人の感情の動きをキャッチして大きく影響され、自分の状態を維持できなくなるのです。
これらを頭の片隅に置きながら流れに任せて「不登校情報センターを働ける場」の具体化を進めました。こうしてが高年齢化している引きこもり経験者の作業場スペースが生まれてきました。その作業設定条件を並べてみましょう。
私はこれを作業といいます。就労とは表現していません。一般の就労やアルバイトとは区別した方がいいという判断があるからです。作業費は支払うのを原則にしています。サイト制作による入金がない時からそれを始めました。ここが1つのポイントになります。
仕事をする人の条件には遅刻・早退はありません。作業時間は各自の判断によります。仕事やアルバイトを始めようとする人はそれを優先し、いつ辞めてもいいし、いつ戻ってきてもいいし、平行していてもいいのです。
作業日は週5日設けましたが、いつの頃からか作業日は週4日・火水金土曜日のうち可能な日です。作業時間の基準は45分の作業と15分の休みですが、その通りには作用していません。それでも必要項目です。
ほかにも気づかない不文律があるでしょう。さらに個人別にそれぞれの事情による例外があります。例外は全員の基準にはできないものです。
これが高年齢化した引きこもり経験者のワークスペース一般の基準になるとは思いません。不登校情報センターでは自然に流れてこうなった程度です。
常設的なワークスペース一般に適応はできませんが、各部分がどう取り入れられるのかを見る材料・視点にはなります。
普通には働けないの表現
「引きこもりの高年齢化の先」その5です。
このテーマで書き続けようとしたのですが、ハプニングで中断しているうちに少し別の発想が生まれました。つまずいて飛んだ弾みにまた跳ねる感じです。
引きこもりの高年齢化において、何が必要であり、少なくとも何をしてきたのかを書くしかないと思ったのです。いろいろ言ってもそれらが出来ない理由、弁解、困難さなどを並べていると見られては有益とは思えません。
不登校情報センターは1995年にできたのですが、それが支援団体的になったのは2002年の頃からです。そのあたりからはじめます。
この年の夏前に「不登校情報センターを働ける場にしてください」という30歳前後の人の会からの要請を受けました。この会はそれまでに月2回のペースで話し合いをしていたグループです。30代中心で40代の人もいました。私はその場に参加した記憶は一度もありません。
この要請は何人かが時おり私の話してくる感じで続いていました。
ようやくその年の10月ごろに「あゆみ仕事企画」なるものが生まれ、仕事づくりをはじめました。内職とポスティングなどが具体案として出ていたはずです。
*「五十田猛のエッセイと論文」2002年の後半以降にこの当時のことがいくつか書かれています。
引きこもり経験が長くなり30歳を超えると、一般企業に就職して働くことに大きな不安を感じます。メンバーの中にはアルバイトなど仕事に就いた経験のある人もいて、その不安が単なる予測ではないことがわかります。
この事情を仕事が遅い、他の人についていけない、なかなか覚えられない、どう聞いていいのかわからない、年下が上司役・先輩にあたりやりづらい、などの事情として話してくることが多いのです。
しかし、それ以上に働く場の雰囲気、気分を落ち込ませるものがあります。それをうまくは説明できないのです。
「不登校情報センターを働ける場にしてください」という30歳を超える人からの要請は、このような背景があったのです。一般の就職ができないのなら別に働ける場をつくりたいことになります。それに対応しています。
要請を受けた時点では、話し合いから行動に向かうことですねという人もいました。それは確かですが少し取り違えていました。いまにして思えば、彼ら彼女らの就職することへの不安感や幻滅感がきわめて正当に表れていた、そのことがはるかに大事だったのです。
いま私が中心的に直面している風景は、このときに彼ら彼女ら感じ、うまく伝えられないでいる事情とほとんど同じです。それから10年の間にどれだけ“材料”が出来たのか・出来なかったのかを、これから白状することになります。
仕事づくりの取り組み記録管理
仕事づくりの取り組み記録管理
引きこもりの就業に関して、現在の状況をまとめようと書き始めました。
途中でパソコンが壊れたので、リズムが狂ってしまい一服状態になりました。
そこで、これまでこのテーマに関して実行してきたこと、考えてきたことを振り返ることにしました。いくつかの記録を読み返そうとしたのです。実は大変でした。
「五十田猛のエッセイ」ページからはとりあえず、次のものを挙げておきます。
引きこもりからの仕事起こし(その1)…2006年5月
引きこもりからの仕事起こし(その2)…2006年7月
引きこもり経験者の仕事に就く力…2006年11月
不登校情報センターが取り組む社会参加の2つの道…2009年10月
「ハーフタイム就労制」の提唱と積極的な可能性…2010年8月
30代以上の引きこもりの支援方法…2011年1月
フルタイムでなくても働ける条件づくり…2011年8月
その後の記録はブログ「センター便り」の中にあります。
不登校情報センターの引きこもり支援の特殊性…2012年1月2日
収入になる見込みはどうか…2013年2月17日
実はブログを読み返す-その前にブログから該当文書を引き出すのに手間取りました。タグ「仕事起こし」があるのですが、あまり役立ちません。ないよりははるかにいいのですが見落としても気づかないでしょう。ブログのいい点は、文書が比較的短いことです。
それらを含め記録管理の面から改善すべきものがあります。
支援策の到達点を要約すると
「引きこもりの高年齢化の先」その2です。
(1)現実に当事者が話していること(もちろん全員が同じように話していることではありません)にこういうものがあります。
死を選ぶか、狂気になるか、生活保護か――これが将来選択を迫られるものではないか。この意識は危機感を表わしています。「行けるところまで行って、行きづまったらそこで考える」というのはこれとかなり近い感覚です。口にするか、無言で考えているかは違っても、多くの人が感じていることです。当事者から見た支援策の到達点がこれです。ほとんど当てにできません。
(2)、もう一面は生存のためのサバイバル戦略です。サバイバル戦略用のマニュアル本も出ているようです。私はその内容を知りませんが、考えられても不思議ではないところに事態はきています。家族がここを考える人は少なくありません。どこまでその対応ができるかは未知数です。
(3)、私がこれまでにしたことを言い換えると、不幸な事態を迎えないように各人の対応力と対応方法をつくることでした。しかし、現実にはそれを超える対応策が必要であると認めなくてはなりません。引きこもり教室で発言した「社会的なカバー」というのがそれです。
(4)、これまで重ねてきた引きこもり支援は何になるのか。可能な取り組みを重ねることで、必要条件が少しは明瞭になりました。私が気づいた大事なことは次の点です。私にもできていませんが、それ以上に支援団体の多くも行政者も意識していないのが残念です。
① 引きこもり経験者が引きこもり支援者になる道を、実際にきりひらいていくこと(見本ができること)―これは社会福祉的な考えの基本になるのではないでしょうか。
② 支援の方法は対個人サービス業を超えて、集団的・社会的なものが必要になること―医療やカウンセリングの役割は対個人サービスです。それとして重要ですが、それを超えた生存のための社会環境づくりを求められます。就職支援も対個人サービスの範囲内の支援策です。
③ それを超える集団的・社会的な支援策とは何でしょうか。支援者が一緒に条件に合った仕事をつくりだすこと、就労時間に対して収益の高いものを実現すること(多くの人が試みて実現していない)、生活費を大幅に低くしながら生活レベルを維持できる方法をつくること、そのための法律的・制度的条件を利用・設定することなどです。「社会的なカバー」とはこれらに関係します。
④ 集団的・社会的な支援策が必要なことはわかっていても実際には支援団体の多くは手を出せない、出していません。対人関係づくりと仕事の技術・ノウハウを身につけることは、対個人サービスの範囲か延長線上にありますが、集団的・社会的な支援策とはいえないはずです。
これらはそれぞれ詳しく説明しなくてはなりません。どれだけ説明できるのか自信はありませんが、その前に問題の全容を書き続けましょう。