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(9)反発心が自立には必要

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この論文は『不登校・引きこもり・ニート支援団体ガイド』の序文として書いた「引きこもりからどう抜け出していくのか」です。

(9)反発心が自立には必要

当事者と親の関わりで重要と思う点をつづけます。
親への反発心が自立のときには必要だということです。
親への反発を聞くと、それだけで何かいけないことのように感じる人がいるかもしれませんが、そうではありません。
それは人間を自立させる原動力です。
信頼できる(言いやすい)相手であるからこそ、自分の自然な気持ちに基づく拒否を意志表示できます。
これは自己を確立するときに欠かせない要素です。
それが自我になります。
20代を超えて自我が確立していないときは、相手に依存的になるか、支配下におこうとするかの二極対応になりやすく、通常の対人関係がとてもつくりづらくなります。
自我ができ自立をした後からは、それが親への感謝となって自然な感情として親孝行になるのです。
人間の成長発達の過程には、思春期の終わりに反抗期があります。
このときの反抗期こそ、最も重要で代表的な反抗期です。
自立に必要なタイミングが、ここに用意されているのです。

引きこもりの人に見られるのは、思春期がはっきりしないことよりも、反抗期がないことのほうがより重要な特徴です。
自立しそこなっているのです。

たぶん引きこもりは、「反抗期」をうまく迎えられなかった人に用意された、第二の自立の方法であり、「引きこもり期」というのを設けてもいいと思います。

反抗らしきものがないわけではありません。
私の観察では、当事者が「両価性」で葛藤するのが、反抗・反発がそれらしくなくなる原因のように思います。
両価性とは、相反する感情が同時に生じることです。
自分に向けられる親の言動への感情的な拒否感と、親には感謝しなくてはならないという道義的な意識があり、一方が表面に出ると次の瞬間には他方がそれを打ち消してしまうというものです(親への反発を暴力的に抑えられたタイプの人にもときどき出会います)。
これは自我が未確立の証拠のような気がします。

このため、どちらが自分の本心なのか混乱し、錯綜してしまい、反抗や反発がそのためにはっきりしなくなってしまうように思えます。
これは、先に話した心的な葛藤の表れであり、特に拒否感情を自然に抑制してしまうことの表れのように思います。
私の受ける感じでは、親に対して批判めいたことを話しますが(そう話せる相手がいることはいいでしょう)、いざ何かを決める段になると、たいていは親の提示に従っていることが多いように思います。

親の話しで多く語られることは、「親もすすめたけれども、子どももそれに同意した、だから決して押しつけではない」という釈明です。
それをあえて否定できる材料はありません。
それは反発心を完全に奪ったからかもしれませんし、親の意見にしぶしぶ従っているという逆の証明かもしれません。
親には、このような面には気づきたくないという感情が働きがちなのです。

子どもはいずれの場合であっても、後になって「親が勝手に決めたこと」と言うことが多いのは事実です。
大事なことは、本人(子ども)が自分の意思で、自分の自然な感情でと感覚のなかで決められるようになることです。
親がそれに賛成するか、反対するかにかかわりなくです。
そういう反発心が自立に結びつく力です。
反発心を肯定的に見られるようになることは、自分の感情のなかに生じる否定感情を肯定していくことの一部です。
反発心だけをピックアップして認める形ではうまくいきません。


(1)引きこもりと不登校、ニート
(2)引きこもりのさまざまな原因・理由
(3)五感が敏感な人たち
(4)第六感としての「心の雰囲気がわかる」感性
(5)自己点検で感情を抑制していく
(6)本人の悩み・訴え・症状と対応
(7)意欲(生命力)を引きだす基本
(8)引きこもりからの回復と母親の役割
(9)反発心が自立には必要
(10)親の「あきらめ(?)」と子どもの自由への復帰
(11)親しい友人づくりと同世代復帰
(12)精神的な健康回復が先行

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