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Center:(12)「自分を受け入れる」

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(12)「自分を受け入れる」

「自分を受け入れる」というのは、いろんな形で私が話してきたことです。
自分は小さいころ親からの虐待を受けていた。
自分を受け入れるということには、親から虐待を受けていた自己を肯定的に受け入れることが含まれるのではないか。
いまの大人になった自分はすでに虐待を受け続けている自分ではない。
そういうことが事実の経験であってもあえて受け入れることは必要ない。
あの体験は自分にとっては害悪自体なので、忘れたい、忘れなくてはならない、それを受け入れるなんてとんでもない・・という人に出会いました。
私の答えの大筋はこうです。
たぶんあなたはこれまでその体験を記憶から消し去り、忘れようとしてきたのではないかと思います。
もしそれを忘れる、記憶から消失させることができるのであれば、そうするのも一つの方法だと思います。  
いまあなたは私の目の前にいる。
私の話をきいて、そのなかからかつて苦しい体験をしていたことのある「自分を受け入れる」という点に疑問をもち、そこを質問してきた。
それはあなたが、その記憶を消し去ろうとしてきたにもかかわらず、消し去っていないことの一つの証拠です。
おそらく少なくとも一たん記憶から消し去り、そのままその消し去った記憶をよびおこすことなく人生をすごしている人もいるでしょう。
その人には私はあなたが勧める方法は有効であると認めなくてはなりません。
しかし、それを一般方法としてすすめることはできません。
むしろそれは例外か少数の人に当てはまることにすぎないのではないかと思います。
一般的な方法として私は、その虐待やいじめを受けるなどをしてきた自分を受け入れることをすすめます。
しかし私はそれを無条件で、むやみやたらに、いつでも、どこでも、だれに対してもすすめるわけではありません。
過去の、たとえば虐待やいじめを受けたことを受け入れ、そこを出発点として自分の人生をとり戻した人をみると、それが無条件にすすめられるものではないことがわかります。
少なくとも、自分の精神的動揺を回復するためには最低限の時間が必要でした。
たぶん自分のペースで生きようとする条件が整うことが必要であるし、周囲の環境、とくに人間関係の環境は欠かせません。
それらを無視して苦しい体験の受け入れを勧めることはできません。
実際、きのう虐待を受けた人、今日またいじめを受ける可能性がある人に対して、虐待を受け入れて、いじめを受け入れる、というのは、ほとんど犯罪への加担と同じでしょう。
私が、「苦しい体験をした自分を受け入れる」ことを勧めるのは、その体験から相当に時間がたち、本人も精神的自立や対人関係の回復をめざしている状態のなかで、何かうまくいかない、ある瞬間にふっと自信をなくしたり、不安感が増したり(あるいはもっと明確に恐怖心や警戒感が強まって)自分の行動がこわばり、後さずりして、なかなか前に進めなくなっている人に向けられる言葉だと思います。
平凡な日常といえる状態、自分でもとくに誰かが何かを仕かけてくる場面ではないかとわかっているときに、身が固くなる(緊張する)、逃げだしたい、いたたまれない気持ちになる。
そういう人は、私にはそれは、いま現在の意識の下に覆われている、潜在意識あるいは体にしみついた感覚(神経系の記憶)が、そうさせるのだと思います。
人の意識は、いま目の前に展開していることによってだけ呼びさまされ、反応するのではありません。
すでに意識に沈んだものによっても反応します。
それはおそらく人という動物が生存を維持するために欠かせない肉体的精神的な装置の働きによるものだと思います。
その装置があるから、人は、自分の五感でとらえられる目前の状況だけではわかりにくくても、無自覚のうちにくみとり、安全を図る動きをするのに違いありません。
しかし、本来はその生存を図るための装置が、自分の前進を阻げるように働くことがあります。
虐待やいじめを受けた意識下の記憶はときにはそのように作用するのだと思います。
「自分を受け入れる」というのは、このような状態のときに有効であると思います。
なぜ日常の何気ないときに、緊張したり動けなかったりするのかと問うと、それが虐待やいじめなどの苦しいときに肉体と脳に刻みつけられた反応方式だからです。
その反応の本質をよびおこし(そのときには、それを支えるサポート役、友人や恋人やカウンセラーやとても信頼できる人が求められるかもしれない)、それを目の前におくことがいいのだと思います。
その正体を見、それがわかったとき、人は徐々に、その不安反応から解放され始めると思います。
だから私は、そういう条件、一定の環境において「自分を受け入れる」ことを勧めるのです。

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