この判決は差別肯定の宣言

アスペルガー症候群や発達障害の人には刑務所が安泰な場とする判決が出ました。これでは障害者や弱い立場の人は社会から追いやる風潮を助長してしまいます。
「姉(当時46)を自宅で刺殺したとして、殺人罪に問われた無職、被告(42)の裁判員裁判の判決で、大阪地裁は30日、求刑の懲役16年を上回る懲役20年を言い渡した。発達障害の一種、アスペルガー症候群が動機の形成に影響したと認定した」(日本経済新聞・7月31日電子版)。被告は約30年間、引きこもり状態であったとも伝えられています。
障害者などを法制度として社会から排除するのを公に認めている点は容認できるものではありません。
他方、40代になり、30年の引きこもり生活をしてきた発達障害を疑われる人への社会的な受け皿を考えると、それが容易でないことは確かです。ですがこの面に目を向け、社会的に弱い立場にある人を追い込まない社会にしなくては、社会全体が立ち行かなくなるのではないですか。
自殺者が毎年多数出るような社会、社会的に弱い状態の人が排除され、ついには刑務所を安泰の場所にするような社会に、日本は向かっているのではないですか。
障害者が安心平穏に生活できる社会は、住む人全体にとっても安心になるというのは、どこに行ったのでしょうか。この判決は障害者、社会的に弱い立場の人を別世界に追いやることで社会秩序を維持しようという差別社会の肯定宣言でもあります。

40代になり、30年の引きこもり生活をしてきた発達障害を疑われる人への社会的な受け皿をつくることは容易ではありません。裁判官や裁判員にその回答を求めることはできませんが、その回答を持ち合わせないからといって、別世界に追いやる判決はおかしなことです。
このおかしな判決を覆すには、社会が負け組みを蹴落とさないこと、障害者や力のない人を広く受け入れる状況を目指すことにあると思います。
発達障害にかぎらず、子ども時代から自然になかで育てる、人のなかで育てる、知識のつめこみ型ではない学習方法を広げる…そういうところから社会を変えていくことが必要です。その全体条件ができるまで待つのではなく(それは百年河清を待つことです)、できる人ができるところから始めてほしいものです。
社会的な受け皿が必要です。裁判員の中には刑務所なら受け皿になると考えた人もいるのではないかと疑いたくなります。社会のなかに多様な受け皿をつくりましょう。企業も公共機関も地域社会も家族も、厄介者扱いをしないで受け入れる状況をつくりましょう。家族だけにそれを負担させる仕組みは役立ちません。本人を自己責任として追いつめないでほしいものです。そんなことをしている限りこの状況は改善しないばかりか、これに類似することや事件はますます増えていくでしょう。加害の被告は、周囲の人間への目が劣化してきた社会の被害者ともいえるのですから。

危機感とエネルギー

引きこもりから抜け出すときの危機感について先日新たな理解を書きました(6月28日「当事者から生まれる危機感」)。それをもう一段発展的に理解できたように思います。
危機感は、引きこもり経験者には潜在的にあるものです。その傾向や強弱は多様です。
それを意識的に感じるかどうかは、本人の状態、心身状態によります。精神状態が悪いときは危機感を感じることもできないものです。
自然災害や本人の責任に属さない理由によるときは、危機感を表現しやすくなります。
危機感を感じていても、それの持って行き場がないときは表現しづらい、表現できないものです。
そんなときに「危機感を持て!」といわれても、お金を渡されないで買い物だけを求められるようなものです。言ったほうは反感を買うし、言われた本人は一方的にストレスを感じるものです。
ここで指導ではなく、信頼できる人がいると、危機感の打開策ではなく、自分が持っている危機感の正体を探り出していくことができます。不安を話すというよりも、自分の関心、自分を取り巻く環境、自分の弱さを少しずつ、解き明かしていけるからです。この信頼できる人がなかなかできないのです。訪問サポートはこの端緒をつくろうとするものですが、引きこもり当事者が30歳近くなるとおいそれとはそのような関係には進みません。
その危機感がある程度見えてきたとき、エネルギーの向かう先は必ずしもこの信頼できる人ではありません。多くは家族に向かいます。家族の“不十分さ”に向かうことが多いのです。
だから引きこもり経験者が不平をいうようになり、つっかかってくる行動をし始めたときは、脱引きこもりの芽生えの可能性があります。
危機感が転じて行動になるときです。信頼できる人はおおかたそれとは知らずに、危機感を表面化させる行動のエネルギー補給をしていたことになります。
エネルギー補給ですから、一般的には行動の行く先がわかっているわけではありません。それまでの自分の興味や環境を話していく中である程度の行動の方向性を得ることもあります。本人の関心や持ち味が生きてくるのはこのときです。
今回は危機感に加えて、エネルギーがどこから出てくるのかを考えてみました。

葛飾区郷土と天文の博物館へ

29日・日曜日、葛飾区郷土と天文の博物館に出かけました。
一行は12名、集合写真ならぬ分散写真に収まったのを見ると、いったい何の集団が、どこに行ったのだろうかという記念写真になっています。
それはともかく、この博物館はなかなかのものです。
4時のプラネタリウム開始までの1時間ほどの間に見た博物館は、地味ながら郷土にしっかり根付いた展示ができていました。昭和30年代の民家や町工場がそっくりそのまま移設されています。
数万年前の地質学上の時代、縄文から弥生の考古学の時代、中世の歴史、明治以降の近代化が進んだ時代と葛飾地域を映像と出土品などにより、見やすく展示・表示されています。
プラネタリウムの定員は200名ほど(?)、入館料合わせて450円です。
この日は「ミュージック・プラネット2012 Summer Edition」として、この時期の天体の様子を1時間“上映”されました。星座のまつわるギリシア神話が中心でした。天体物理を取り入れたら夏休みの子どもにもいいと思うのですが…。ま、これはごく個人的な感想ということで…。
博物館のあるお花茶屋地域は、かつての曳舟川の跡らしく、記念史跡的ながら実物の水田もあります。お花茶屋という地名がどこかに生きている静かな地域です。
区立の博物館としては上等であり、お勧めします。

6時ごろからはお好み焼やさんに席を移して食事になりました。企画と準備と当日のガイド役になったBさん、ご苦労様でした。

長崎玉成高校に共育コース!

興味深い高校(全日制)を見つけたように思います。
長崎玉成高校といいます。
確定的な情報提供とはいきませんが、2つの点で関心を引きます。
(1)普通科の中に「共育コース」が設けられています。
1学級定数20人、担任が2人制です。
発達障害や不登校の生徒を受け入れる、「特別支援教育」に準じるコースのように思います。
20人学級で、しかも2人担任制は、私の想定以上の対応が必要であることを示しているのかもしれません。

(2)衛生看護専攻科があります。
3年の高校(衛生看護科)を卒業した後、2年間の看護師資格を受験するためのコースです。
私は以前に、高校卒業後も引き続き同じ高校に在籍し、その後の進路(進学・就職・資格)を準備するためにコースを考え、いくつかの機会に話したことがあります(2012年3月12日「20歳前後の無業者のスペースが必要です」など)。これは高校卒業した後、無業者・社会的所属のない状態が続くことが、社会参加の重大な支障になるという現実を見ているからです。
この状態への対応が、高卒後の在籍進路準備コースですが、この衛生看護専攻科はそれを実現しているものと推測します。

以上の2点を中心に、この高校からの情報提供をお願いするつもりです。
関係者からの連絡を期待します。
また、全国の学校等から不登校・引きこもり・発達障害への対応情報をお願いします。

不登校生の受入先の調査

不登校の中学卒業生の進学先、不登校の高校生の転校先、高校中退者の入学先、これらが通信制高校定時制高校大検(現在の高校卒業資格認定)であることを証明した調査報告「不登校・中退生の受け入れ状況」を掲載しました。
調べたのは1997年のことです。
今日と状況の多くは変わってはいないのですが、全国的に昼間定時制高校が増えていることが変化でしょうか。全日制高校は当時から一部の寮制高校が受け入れていましたが、特に寮制高校が増えたわけではありません。
そのころにこういう調査をしておいたのにも意味があったと感心しているところです。
他にもいくつかの調査があり、掲載されないまま埋もれようとしています。ボツボツ発掘し掲載にこぎつけようとしています。

発達障害に取り組む状況調査

アンケートのまとめ・発達障害とフリースクール等の対応」ページを作成しました。
2007年12月に毎日新聞のY記者の企画に協力して集めた発達障害の生徒にフリースクールがどのように受けとめ、対応し、何を必要と考えているのかを調べようとしたものです。
東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県のフリースクールと対象としたものですが、回答数が少なくY記者はたぶん現状分析には十分なデータが集まらなかったと判断されたのではないかと思います。
しかし、改めて回答を読み直してみると、集まらなかったこと自体にそれだけの背景、すなわち対応の遅れないしは対応体制がうまく取れていない状況が表われていることに気づきます。
むしろ、当時の状況を相当に正確に表しているのではないかとさえ思えます。
比較的小規模なフリースクール(生徒数が少ない)では、特別の体制がなくても、教師の子ども観の範囲で対応できたのではないのか。その視点からの意見がいくつかあり、これは実は私のもっているはずの教育観や子ども観に近いものです。
しかし、規模が大きくなるとそれだけでは不十分になっている現実が反映されていると受け取れます。背景には、発達障害的な子どもがなかなか対人関係をつくれない、社会に入れない現実とそれなり理由があります。子ども世界の消失(子どもが少なく大人の目の届く範囲にいる)、親世代が高機能化した社会で生活していること、などが思い浮かびます。
そういう面をこのアンケートの回答は映し出しているように思えます。実に味のある、重要な内容がある原石のようなものです。じっくりとこれに取り組んでみたい気もしますが、何しろ時間がないのがやや残念です。

児美川孝一郎先生と打ち合わせ

法政大学キャリアデザイン学部の児美川孝一郎先生にあってきました。
今秋に池袋で総合相談室(名前は未定ながらSES教育相談室を仮称)を開きます。その開設の記念講演をお願いするためです。
テーマは大学生の不登校ですが、最近の大学生や青年の置かれた状況を見たうえでどういう話をしていただくのか意見交換をしながら考えるためです。
学生との接触が多く大学生の不登校を提案しているトカネットの藤原宏美さんに同行してもらいました。
大学生の中退問題が社会問題として浮上するでしょうとか、「現代の学生の特徴は?」と尋ねたところいろいろな学生がいると前置きしたうえで、「傷つきやくい、壊れやすい」、思春期型反抗を自覚した人は1~2割など教えてもらいました。児美川先生の専門は青年期教育論で、学部長でもあります。
講演の方向はこれから考えます。新NPO設立講演会は11月23日の勤労感謝の日を予定しています。

いじめ事件の報道にしらける

大津のいじめに関わって、いじめについての報道が続いています。
わるくはないのですが、話されていることがしっくりきません。
「いじめをなくすにはどうしたらいいと思いますか  」という質問を見て、私ならどう答えるのかに迷っています。
例えばいじめられている子どもに対して「あなたは一人ではない」とか、「どこかに逃げなさい」とか、「信頼できる大人に話なさい」という助言がありますが、いじめられている子どもにそんなことができるのですか。
間違ってはいないけれども建前くさい話に聞こえて少ししらける気分です。

いつもはお笑いを業とし誰かをからかっているタレントが妙にまじめに「いじめはいけない」というのを聞くと、やめてくれ、といいたくなります。あれは演技でやっているということが通用しない子どもはいくらでもいるのです。子どもは大人のやることを極端にやってしまうことが往々にしてあるのです。
「信頼できる大人」を見分けることがどうしてできるのですか。
「どこかに逃げなさい」というのは、逃げ場のない子どもに向けられているのではないのか。
「自分は一人でない」をどうして子どもが確信できるのですか。

子どものいじめの背景には、大人社会の風潮が関係しています。それらに対して私は何ほどのこともできません。
できることは、周りの見聞できる範囲の子どもに対して優しくしてあげたいと心がけるだけです。
特に弱そうな子、障害のある子、貧しそうな子に対してはそうしているつもりです。
大人は実際にいじめられている子どもに出会うことは少ないし、出会ってもその子が目の前でいじめられているのでない限りわかりません。いじめをなくそうといっても空回りするだけです。
普段から子どもを大事にすること以上はできない、これが実感です。
テレビなどで発言する人には自分にとっての実感ある言葉を述べてほしいものです。

発達障害の理解と対応の調査

発達障害とフリースクール等」というアンケートのまとめを掲載し始めました。
2007年の暮れに毎日新聞の記者に協力して首都圏域のフリースクール等へのアンケートを依頼したものです。回答は60校・塾ぐらいからいただきました。全体を集約はされないまま、状況の一端は新聞発表されました。
しかし、発達障害への理解と対応を、対応している現場からの声として直接に聞いた貴重なものです。この時期のものとしては珍しいし、公表する意味もあります。
文書入力もーとり残されているものが他にもまだいくつかありますがーZさんの忍耐力でようやくできましたので、整理して掲載します。できればこれも何らかの方法で総括的なまとめをしたいのですが手が回りません。まずは回答の原文を掲載するところからです。

わかりやすかった香山さん講演

香山リカさんの講演会「学校がくるしい子どもたち」を終えました(25日夜)。
講演の要旨をまとめる担当としてほぼ全体をメモしておきました。
大人が自分の問題に追われ、他の人に目を向けている余裕がなくなっている。
子どもはこの風潮のなかでせかされ、行き過ぎの競争になっていないか。
人のつながりをつくり、長い目で子どもの成長を応援しようと、いろいろな実例をあげてわかりやすく話されました。
特にご香山さんの子ども時代の同級生をあれこれ想像診断していたけれども、同窓会に出てみてその予想は違っていた。それぞれが立派な会社員になり、予想を覆されたという“失敗談”。それが結論を急がず、人間の可能性を長い目で育てようと語る実例になっていました。

かつしか区民大学特別講演会であり、かつしか子ども・若者応援ネットワークとして行う6回講座の開始になるものでした。第2回目の講座にむけ、このネットワークの次の取り組みが始まります。担当している要旨まとめはこれからです。