危機感とエネルギー

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引きこもりから抜け出すときの危機感について先日新たな理解を書きました(6月28日「当事者から生まれる危機感」)。それをもう一段発展的に理解できたように思います。
危機感は、引きこもり経験者には潜在的にあるものです。その傾向や強弱は多様です。
それを意識的に感じるかどうかは、本人の状態、心身状態によります。精神状態が悪いときは危機感を感じることもできないものです。
自然災害や本人の責任に属さない理由によるときは、危機感を表現しやすくなります。
危機感を感じていても、それの持って行き場がないときは表現しづらい、表現できないものです。
そんなときに「危機感を持て!」といわれても、お金を渡されないで買い物だけを求められるようなものです。言ったほうは反感を買うし、言われた本人は一方的にストレスを感じるものです。
ここで指導ではなく、信頼できる人がいると、危機感の打開策ではなく、自分が持っている危機感の正体を探り出していくことができます。不安を話すというよりも、自分の関心、自分を取り巻く環境、自分の弱さを少しずつ、解き明かしていけるからです。この信頼できる人がなかなかできないのです。訪問サポートはこの端緒をつくろうとするものですが、引きこもり当事者が30歳近くなるとおいそれとはそのような関係には進みません。
その危機感がある程度見えてきたとき、エネルギーの向かう先は必ずしもこの信頼できる人ではありません。多くは家族に向かいます。家族の“不十分さ”に向かうことが多いのです。
だから引きこもり経験者が不平をいうようになり、つっかかってくる行動をし始めたときは、脱引きこもりの芽生えの可能性があります。
危機感が転じて行動になるときです。信頼できる人はおおかたそれとは知らずに、危機感を表面化させる行動のエネルギー補給をしていたことになります。
エネルギー補給ですから、一般的には行動の行く先がわかっているわけではありません。それまでの自分の興味や環境を話していく中である程度の行動の方向性を得ることもあります。本人の関心や持ち味が生きてくるのはこのときです。
今回は危機感に加えて、エネルギーがどこから出てくるのかを考えてみました。

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