DMの発送と食事会あり

DMの発送と食事会あり
1月7日の「相談者等個人へのDMの案内」で企画を予定していましたDMの発送作業が始まります。2月5日(火曜日)から3日間をDMの作業に見込んでいます。対象は東京都と神奈川県の約2000名の方です。封筒の用意、印刷物づくり、トナーの手配、印刷機の修理、パソコンの点検…などの周辺の雑用に追われてしまいました。

近く山形からシャケ(?)、千葉からタケノコが届けられて来るようです。それでさっそく食事会が予定されました。2月6日(水曜日)の午後です。参加費は200円程度(?)になるでしょう。

それにあれこれのこと重なり、2月9日からの3連休中のイベント、3月3日の進路相談会の準備が遅れ気味です。
これら全部がイベントみたいなものですから、追いつめられずに気分転換のつもりで進めます。

長期化し居場所に行けない人

シリーズ「なでしこ会講演その後3」です。同じ傾向の質問などは4つです。
①《長期化したひきこもりの人(居場所にも来れない人)の具体的な支援方法をお聞きしたかったです。》
②《親子の会話が全くない場合の対応法についてどうしたら良いのか知りたい。》
③《全く会話もなく部屋から出てこない娘に、どういうきっかけが良いか教えてほしい。》
④《長期・年長の当事者は、長いトンネルです。悩みも長いのです。また親に心配をかけるか、どうしたら良いか答えが見えず、悩んでいるようです。》

居場所に行かれない・行かない状態の人は引きこもりの人の大部分を占めます。推測ですが90%になるでしょう。図書館・コンビニなどに外出はできるけれども通常の会話を避けようとする人は引きこもりとしては軽い状態かもしれません。家族以外と継続的な接点を持てる人の割合はかなり低いです。医師・保健師など相談員と面談を重ねている人は10%をはるかに下回るでしょう。家族とも会話をしない・自室からほとんど出ない人も少なくないと思います。いろいろな状態の人にそれぞれあった支援方法が考えられなくてはなりません。
私たちがしているのはごく端緒的なことです。それにふれる前にいくつかの事情を振り返っておきます。

政府・自治体が進めたことは、ニートと発達障害者という2つの視点を導入し対応しようとしたと考えられます。引きこもり全体よりも輪郭のはっきりした人への対応策です。自殺防止やうつ病対応もこれに類することと思います。若者自立塾、地域若者サポートステーション、ジョブカフェ、発達障害者支援センター、ひきこもり支援センターの設立はそれによる施策でしょう。
いくつかの施策にかかわらず手の届いたひきこもりの人はわずかです。引きこもりの中心部分には手が届かないままになっています。

2004年3月にNHKの“ひきこもりキャンペーン”が終了したあと、不登校情報センターへの通所者は徐々に減少しました(記憶によると2004年2月の通所者実数67名⇒同年8月実数30名。正確なデータを調査中)。都内にいくつかあったフリースペース的な居場所がなくなっていきました。
逆に言えばこのキャンペーンが形を変えて継続されていればこうはならなかったとも考えられます。NHKにかぎらず全国的な対応があれば、少しはエネルギーのある引きこもりの人は動ける可能性を感じます。

お世話になった不動産屋さんの話です。管理しているアパート・マンションの部屋にいる人には引きこもりと思える人があちこちにいるというのです。業務を通し引きこもりに関心をもち、私の活動に注目していました。全国的な対応とともに小さな地域単位での取り組みの可能性をこの不動産屋さんの話は教えてくれます。引きこもりの可能性のある人が具体的にわかるかもしれません。
地域での対応方法の全体ははまだわかりませんが、一種ブームになっているコミュニティカフェに対応力を期待する、広めることは現実的ではないかと考えています。個人のプライバシーや意思を尊重することと組み合わせた方法になるでしょう。

不登校情報センターとして取り組んでいるのは小さな具体的な、訪問活動と家族会です。それらと全国的・地域的な対応が結び付いたときにより進んだ長期の引きこもりへの対応ができるものと思います。質問などへの具体的な回答は次回にします。

管理的でなく学ぶ機会にする

シリーズ「なでしこ会講演その後2」です。質問は「発達障害の人とジョブコーチ」に関することです。しかし、回答内容を表すのは見出しのほうがいいと思います。
アンケートの中にあった質問はこうです。《先生に質問です。発達障がいの方の対応・空気を読めず、場をこわしてしまう・ジョブコーチのような方がみえるのでしょうか。》

ジョブコーチのような方はいません。というよりもジョブコーチという職種の方がどんな役割をするのかを知りません。名称からすると職業技術的なコーチ役に思えるのですが、質問文の流れから見ると場(スペース)における対人関係づくりの役割をするようにも見えます。
この2つの役割は居場所・ワークスペースには必要です。その方法を私はこれまでどうしてきたのかを織り込んで話したつもりです。2つのうち対人関係づくりのほうを書きます。技術的な指導が問われているようには思えないからです。場づくりの特徴は管理的な方法で行わなかったこと、教育的な方法です。
多数の人がいるまえでリストカットを始めた人がいます。2人が口論になり私がすぐに止めようとしないのを見て疑問に思った人がいます(ここでの事態発生は口論です)。数人のグループから非難を受ける行動をした人がいます。他にもありますが静かで穏やかさを保つのがスペースの目標ではなく、作業や話しをしながら対人関係を育てるのが目標です。
「対応・空気を読めず、場をこわしてしまう」という人がいつもいたのではありません。最近はアスペルガー症候群の一部ですが、少し以前は境界性パーソナリティ障害という人が代表でした。「対応・空気を読めず、場をこわしてしまう」ことを恐れすぎていませんか。場を守ることを優先するとそうなります。突発的な状態は珍しく、そこにいた人全体がそこで考え、学ぶ機会にすることです。
教育的な方法とは私にとってはこのようなものです。「ない」ようにするには管理的になります。事態がないのがいいのではなく生まれたときにどうするかを学ぶのです。

なでしこ会講演その後1

1月20日の愛知県なでしこ会主催の講演会のアンケート回答を送っていただきました。
このなかには私への質問もあります。それにはこのブログで答えると会場で約束しました。
またアンケート回答には親の会の運営者への要望、講演を聞いていた人でないとわからないこともあります。それらを含めて「なでしこ会講演その後」として、数回のシリーズで書くことにしました。今回はその第1回です。
アンケート回答の実例はこうです。《時代の変化に合わせ若者支援に取り組みされていて感心しました。専門家でない柔軟な姿勢が若者に受け入れられると思いました。》

確かに私は何かのことを専門的に学んだことはありません。正規の大学教育は受けていません。その意味における専門家ではありません。多くの人は一つのことに打ち込み、10年重ねれば相当に深く事態を理解できるようになります。こういうのをディレッタントというそうです。
そして私は、教育学的方法を引きこもりの若者に付き合いながら考えてきたディレッタントになります。そこでいう教育というのは教えることではありません。むしろ育てることです。
日本には教育基本法というのが1947年にできています。その第1条「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」となっています。テストでいい点数を取り、進学や就職に有利になることが教育の目的とは言っていません。
引きこもりの経験者はこの教育目的から脱線している学校教育などの被害者でもあります。こういう被害者に対して教育の可能性を私なりに追求してきたわけです。しかしこの先の方が長いと感じています。たぶん無限に続きます。その過程でいろいろなことが起こります。引きこもりの経験者が成長するのもそのいろいろなことの一つです。

パワーポイントの活用に異論

 セミナーや学習会に参加するとパワーポイントを使う説明が多くなりました。
有効なようですが、私はむしろダメではないかと思うことが多くなっています。一言で言えば「するすると入り、するすると漏れ出していく」感じなのです。
有効に見えるのは、わかりやすいこと、講師はそのために苦心されるので、講師にとっては精密さが求められるのでしょう。ところが受講者にとっては逆に定着は悪くなると思います。
まず受講者は聞きながら自分なりのノートをとることができにくいです。講師はその手間を省いているつもりかもしれません。受講者は自分なりの理解の経路ができません。
プロ野球の野村監督がスワローズ時代には選手に書かせていたものを、タイガースに移ったあと野村ノートとして要領よく説明するために選手に配りました。その苦心があだになったという話しを聞いたことがあります。これはパワーポイントと同じではないですが似たところがあります。選手や受講者が自分で書く手間が抜けるからです。
自分で書くことにより、自分なりの視点や、大事なことが思い浮かぶものです。それができづらいのです。受身型の学習スタイルであり、自分の問題意識をつくり自分のテーマにして問題に向かうスタイルを弱めます。
いいところは、図表などがあるとイメージしやすいこと、箇条書きになっていると整理されていますからもれなく伝えることができます。だから大衆的な場面では好評です。より個別的にテーマを持って探ろうとする人には思い付きが入り込めなくなります。大衆向きではあるがプロ向きではないかもしれません。
記憶に関する本を読んだところ、記憶には4つの過程があります。
「①記銘=印象を刻みこみおぼえこむ過程。②刻みこまれたものを失わないように保持する過程。③保持する印象を思い出す、意識に再生させる、想起の過程。④新たに経験したことや思い出されたものが以前に記銘されたものと同一と認める再認の過程」だそうです。
「するすると入り、するすると漏れ出していく」というのは、最初の記銘のところでわかった気にはなるけれども、本当のところは違うのでしょう。
聞きながら、見ながら自分なりのノートをとるという原始的な方法の有効性を敢えて進言します。パワーポイントが自分の問題意識づくりに効果的になる可能性はあると思いますが、まだその域に達していません。したがって外形的なカッコよさにだまされるのです。

子若法立案の広田先生が講演

27日(日)の講演会「子ども・若者ビジョン(2010年)の新しさ」を、子ども・若者育成支援推進法(子若法)の立案にかかわった広田照幸先生に話していただきます。かつしか市民大学の講座です。会場は亀有地区センターホール・リリオ館7階です。会場は広いので当日参加もできます(参加費無料)。
これを準備する「かつしか子ども若者応援ネットワーク」の全体会(23日)の集まりは少人数でした。6回目の講座ですから多少慣れてきたことや3学期の忙しい時期などの事情が重なったためでしょう。
全体会では他にいくつかの状況が話されました。葛飾の教育に関しては、中学校の学区を外す方向にある、小学校・中学校の一貫校が設立される、夏休みの短縮化が検討されている。これらは地域の実態から生まれたものというよりは、他区で行われたことを引き移そうとするもので、早期教育、知識の詰め込み促進になるものです。
むしろ高校を卒業した後の所属をなくした青年への教育的なサポートが必要です。教育の前倒しよりも後倒しが求められているのです。都立のチャレンジスクールでは高校とはいえ4年、5年、6年の在籍の中での対応が考えられ、取り組まれ始めました。こういうことが葛飾区の地域条件の中で、具体的に考える役割が「かつしか子ども若者応援ネットワーク」に求められそうです。学力に代わる教育評価方法として、社会力がどれだけついたのかの教育評価基準を提起できるようになれば、葛飾発の現在に必要な教育運動になりませんか。
今回は話し合われたことに、私の意見を取り混ぜて報告いたしました。

Googleの不登校検索で2位

ブログ内のページビューがなぜか急増しました。何かあったかなぁと思いつつ、Google検索で不登校をキーワードにして調べました。「不登校-Wikipedia」につぎ2位になっていました。ページビュー急増はこれに関係するのでしょう。2位は高すぎる感じですが…。
12月に見たときは100位にも入っていません。ようやくWikiシステムによる体系的な様子が、検索システムにも有効とされるレベルまで進んだということでしょうか。まだ作業途中であり、かなり未整理部分が残っています。まずは一歩前進としておきましょう。

当事者団体と支援団体

1月19日に東京都ひきこもり支援の説明会、1月20日になでしこ会の引きこもり支援講演会に出席しました。
東京都のほうの正式名称は「東京都ひきこもり等の若者支援プログラム普及・定着事業 研究事業募集説明会」です。主催は東京都の青少年・治安対策本部 総合対策部青少年課。
出席者は引きこもり支援に関与する支援団体から数十人です。
参加者の関心は、その出席が東京都の引きこもり支援事業の一部として、研究助成を受けようとするものです。支援団体からの活動報告がありましたが、事務報告に域をこえません。行政機関のできることはこのあたりなのでしょう。
なでしこ会の「講演会とバンド演奏会」(愛知県武豊町)には講師としての参加ですから同列に比較はできません。主催には現地の社会福祉協議会と現地のボランティア団体朴の会が加わります。
当事者家族としての手がかりを探し、つかもうとするものでした。この2日間の2つの会合は支援団体と当事者団体の対比を鮮明にしました。

ある団体において支援団体色が強くなるほど、活動にビジネスの色彩が強まります。当事者団体色が濃くなるにつれ、自立・自助の社会的な性格を帯びるようになります。こう書くとかなり極端に特徴を際立たせたことになります。一つひとつの団体をこれによって判断することはできないのですが、留意しておきたいところです。支援団体の役割を否定するつもりはないし、必要であると主張しますが、よりいっそう当事者団体の性格を発揮することが取り組む方法の基本になると悟りました。
不登校情報センターの居場所がどれだけ当事者のスペースになっているのかを私が言うのは公平ではないでしょう。同様に親の会(大人の引きこもりを考える教室)も私が言うのもおかしいわけですが、しかし親が主役になっていないことは明らかです。可能な形で自主運営に向かう親の会にしたいところです。今回のなでしこ会の様子を見て思ったことです。

武豊町での講演会報告

昨日は愛知県知多半島にある武豊町でひきこもり支援の「講演会&バンド演奏」がありました。バンド演奏はフレンドシップなでしこの居場所を利用する若者たちが結成している「フレンドシップなでしこ」。私はその前座として「長期化するひきこもり支援活動」という講演をしました。
共催団体は、武豊町社会福祉協議会・ボランティアグループ朴の会・NPO法人なでしこの会の3者。町長の籾山芳輝さんは簡潔に具体的な予算による支援内容をあいさつの内容に入れていました。私の講演の間も席に座り聞かれていたのは驚きでした。
講演は80分くらいでしたが、いくつかの質問を受けそれに短時間で答えました。答えはサイトにも載せておきますが未完成です。別コーナー「引きこもり支援講演での質問」に掲載します。また講演も少し時間がかかりますが整理していずれ掲載します。
質問項目は、懇親会の場など思いだせる質問もあります。
(1)親の対応のしかた
(2)集団的な自立の内容
(3)能力差や性格・気質の違い
(4)ゲームに集中している人
(5)外出のきっかけづくり
(6)個人事業とSOHO
(7)医療・医師との関係
(8)居場所での支援のしかた
(9)不登校親の会の状況
(10)なでしこ会の優れている点は?

*アンケートの感想文⇒「講演への好意的感想に感謝

効率的サイト制作よりも居場所

不登校情報センターのサイト制作がまどろっこしいと思うのか、「ボランティアでNPOの応援をしているところがあるので頼んでみたらどうですか」と教えてくれる方がいました。
そうすればサッサとできるし、内容も充実するし、不十分なところはすばやく解消し、活動は発展するというのです。
ご心配はありがたいのですが、実はこれは逆なのです。うまく作業が進むということは、ここに来ている引きこもり経験者のすることがなくなります。それは人の中にいることをテーマにする人の場所、対人関係の訓練、知り合い・友達づくりの場をなくすことです。行く先がなくなり、居場所が1つ消えることです。
フリースペース(居場所)づくりの経験をとおして、話し合うしかすることのない場所は維持できないことがわかりました。居場所にはいろいろな要素を持ち込むことが考えられます。学習、創作活動、発表会、食事会、職業訓練…などです。それはそれぞれの居場所の様子や条件、特に集まってくる当事者の要望により成長します。
不登校情報センターにおいてはホームページづくりと周辺作業が中心になってきたということになります。居場所があってのホームページづくりです。ホームページを職業としてつくるレベルのものではありません。この制作作業のまどろっこしさは、この居場所の状態とあっています。
その周辺に創作発表会などがあります。先日は食事会がありました。そういう居場所が不登校情報センターです。このようなスペースで、しかも各自のペースで少しずつ作業をしています。引きこもり経験のある方には比較的楽にやれるはずです。一般社会ではムリと思う方は相談に来てください。