社会的所属が社会的身分になる

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「ひきこもり高年齢化の対応をひきこもり体験者と一緒に考える親会」という妙に長いネーミングの会の後の反省会です。
引きこもり経験者への関わりのなかでは、継続的な人間関係をどうつくるのかが目標になることは確かだろうと思います。そこでなぜ継続的な人間関係がつくれないのか、避けようとしているのかを検討しました。
参加者それぞれ意見を出しましたが、内容を私なりにまとめてみました。
思い出すのは、引きこもり経験者が仕事についたときに恐れる3つの事態です。職場の仕事や人間関係のなかで、失敗したとき、怒られたとき、詮索されたときの3つです。このうち詮索をされないために日ごろから同僚との人間関係を近くしない、少し距離を置く状況をつくろうとしていることです。
なぜ詮索されないことが必要なのか。「それは自分の惨めさを暴露されるからです」。こういった人もいますが言い方は人によってさまざまです。自分でも自分の状態を認め難いのに、他の人に開示していくことはできないのです。
少し顔見知りになれば、「いま何をしていますか?」という会話は普通にされます。そのときの一瞬の間が怖いのです。どう答えるのか、なんと答えるのか。普通に答えられないとそれ以上に人間関係は続かないものです。この事情は引きこもり経験のない人には理解しづらいかもしれませんが、かなり重要なことです。
会社員です、学生です、主婦ですと普通に答えられる人には問題はありません。問題自体を感じることはできないでしょう。受験生です、求職中です、家事手伝いです。これらもたぶん大丈夫でしょう。大丈夫というのは聞いている相手が了解できるし、言っている本人も納得できるときのことをいいます。これらは社会的身分を本人も聞く相手も了解できるときです。
引きこもり経験者です、無職です、何もしていません。これらはどうでしょうか。本人のキャラクターによりますが、場所によっては言えるかもしれません。しかし人間関係として継続しづらいし、一般にどこでも言えません。答えを何となく濁したり、答えないですまそうとします。これは意外と大きなダメージです。
社会的身分の曖昧な状態が対人関係をつくるときの、特に継続的な対人関係づくりのときの障害になるのです。

他の人に言える・言えない、本人が納得する・できないの境界はどこにあるのでしょうか。社会的な所属関係だと思います。学生は学校という社会関係の所属を示します。妻・母が家庭内の立場を示しているのに対して、主婦は社会から見たその家族における立場を示しています。家事手伝いはどうでしょうか。これも社会から見たその家族における立場を示しています。しかし、それが認められるのは女性であって、男性にはまだ(?!)社会的承認レベルでは低いようです。
社会的所属関係かどうかの境界はあるけれども、それは時代とともに変化するものとしておきます。そして本人が納得できるかどうかが関係します。

以前にある大きなイベントに参加するとき、不登校情報センターから5名が参加したことがあります。参加するには名刺を提出に、それを首から提げネームプレートにする条件がありました。私には通常の名刺があります。他の人には「不登校情報センター あゆみ書店担当」「不登校情報センター 創作部担当」という名刺を作成しました。渡された本人がそれをどう感じたのかはわかりませんが、要するにこれが社会的身分、社会的所属を象徴するものです。
社会的身分は名刺だけによりません。職名を持つこと、それには学生や主婦が入ります。本人が納得するのであれば、病気療養中も入ります。失業中とか、休職中なども可能でしょう。
こういう社会的身分があることで対人関係をつくりやすくします。社会的身分が曖昧であると対人関係をつくりづらくします。そんなわけで余談ですが、不登校情報センターの会員当事者で本人が希望すれば、身分証明書を発行しようと考えました。

それとは別に引きこもり状態の人への訪問目的もここを考えます。社会参加、それ以前の家族以外の人との接触や継続的な対人関係づくりをめざすのであれば、社会的身分の自己認識が必要になりそうです。「自分は引きこもり状態」と自己認識するのも一つですが、それは社会的身分ではないし、社会的所属を表していません。
それは本人の状態像であり、外側から押し付けられた自己理解では意味がありません。「レッテルを貼られた」感じになるのでしょう。「自分は引きこもり状態」というのも、本人が自分なりに納得できる自分の状態を表現できるのであればいいのですが、そのあたりが初期の目標になりそうです。そのうえで、対人関係をつくるときに有効な自己認識にどのように成長させることができるのか。社会的状態の自己認識を社会的身分にいかに成長させるのか。訪問サポートの目標の重要な一つではないでしょうか。

反省会ではもう一点、エネルギーの補充(チャージ)についても話しました。これは別にまとめます。

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